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「大人の修学旅行」国内キャンピングカーの旅。実施までの道のり!?

「中村隊長と行く大人の修学旅行」キャンピングカーで行く葉山〜三浦半島海岸の10月5日(土)〜6日(日)が人が集まらず、ツアーキャンセルになった。

<反省点&改善点>

・本格募集開始したのが9/9(月)から2週間と募集期間が短すぎた
・「家族で旅したい」要望が多かったので子供料金(小学生半額・未就学児無料)を新たに設定したが、親子で参加するには高額なので、料金の見直しをする。国内の旅は海外に行くためのステップと位置づけ、できるだけ安く参加できるようにしたい。
・6年ぶりに無料イベント「地球探検隊を知る夕べ」をオンラインで開催し確かな手応えがあった。今後は定期的にリアルで開催予定。
・アメリカで2回キャンピングツアーを経験していても国内は未経験のため体験談が語れないというネックを感じた。noteやFacebookで心から「良い」というために年内に家族で参加する予定。息子だけでなく娘たちにも参加してもらいたいので家族で日程調整でき次第、チェリーに連絡する。

【「大人の修学旅行」キャンピングカーでフロリダ一周2002~2003の旅の思い出】

あれは、テロ直後、「大人の修学旅行」が生まれた「ニューヨークでカウントダウン2001〜2002」をした翌年、2002年の年末年始だったと思う。モーターホーム(キャンピングカー)でフロリダ一周の旅を企画すると30人以上が集まった。ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのあるオーランド発着でアメリカ最南端キーウエストで新年を迎える現地発着8日間の旅。


一番大きくてバスのようなクラスAのモーターホーム(キャンピングカー)からミドルクラスのクラスCまで7台で連なってフロリダを一周したのだ。運転免許のない女子一人でも申込可能にしたら、免許を持っていない女子ばかりが集まってきた。ドライバーが「ガイドと俺の2人じゃ足りない」そう思っていたところに、毎日集荷に来る佐川急便のお兄さんが来店。
「あっプロがいたよ!俺と一緒に年末キャンピングカーでフロリダ一周しない?ドライバーが必要なんだけど・・・」
「隊長、勘弁してくださいよ。年末年始の超繁忙期に休暇取ったら会社、首になっちゃいますよ」
「そうしたらさ、1人だけ途中参加の途中帰国ってのは、どうよ?」

結局、彼は12月28日からの旅に30日からホテルで途中合流し、ウエルカムパーティーをして、31日に大晦日パーティー、カウントダウン、1日の元旦はニューイヤーズパーティー、2日にさよならパーティーをして濃~い4日間をフロリダで過ごした。

問題は、国際免許は取ったもののペーパードライバーがいて、アメリカの道路を見て、「こんなに広い道路なら私も運転したい」と言って本人は笑っていたが、一緒の車に乗った隊員たちは、広いキャンピングカーの運転席のすぐ後ろに立って、「危ない!左、左、ガードレールにぶつかるぅー」とか叫び、「寿命が縮まったよ」とみんなで笑っていた姿を鮮明に憶えている。俺とガイド以外の隊員たちはアメリカでキャンピングカーを運転した経験のある者はいなかったのだ。初めてのアメリカドライブ、左ハンドルで右側走行、二車線以上ある場合は一番右が低速走行用の車線で、左が追い越し車線、赤信号でもいったん停車後右折可能、踏切での一時停止は不要と何もかも日本と違う。しかも、全長8m〜10m近くあるモーターホームに4〜7人乗って、それを見ず知らずの初めて会う隊員に命を預けるのだ。毎日ハラハラドキドキしていた。後にも先にも30名以上集まった「大人の修学旅行」はない。事故も怪我もなく全員無事で帰国したけど、あんな無謀な旅、もう2度とできないな 笑。

途中立ち寄った湿原地帯の世界遺産「エバーグレーズ国立公園」

こんなこともあった。
現地の道路事情に詳しいガイドは1号車のドライバーをしていた。俺が真ん中の4号車に入ってトランシーバーで1号車のガイドの言葉を後方の5号車から7号車までの車に伝えていた。ガソリンスタンドに入って、なぜか後ろにいるはずの5号車が俺たち4号車の前を走って出て行った。しばらく走って5号車に「前に1号車から3号車まで見えてますか?どうぞ!」
「隊長、まったく見えてません!」
「迷ってんじゃん!」
地図を見ながら助手席にナビをする隊員が座った。キョロキョロしながら、ゆっくり走っていると、突然パトカーのサイレンが・・・車を停めると、キャンイングカーに両手をつけるように指示され、後ろ向きにボディチェック。「めっちゃレアな隊長の姿。ポリスに捕まる隊長ウケルぅ~」と隊員たちは笑って写真を撮りまくっていた。

「あのぅー安全運転してたんですけど・・・」
ミラーのサングラスをした黒人のポリスが一言!
「ハイウエイを走るには君は遅すぎる!もっと早く走りなさい!」

大晦日はアメリカ最南端キーウエストにいた。全米最大のお祭り、ニューオリンズの「マルディグラ」。キーウエストの「ニューオリンズハウス」では、「マルディグラ」を模したお祭りをやっていた。ビーズを求めて叫ぶ群衆のパワーに圧倒された。海岸に行くと頭上を大きな花火が舞っていた。あそこまで間近で見た花火は初めてかもしれない。

そして、参加者みんなで創っていくのが地球探検隊の旅。
「隊長、セブンマイルブリッジを元旦ランしたいんですけど・・・夢を叶えてくれませんか?」と最年長の60代の隊員マサさん。彼は毎日走るのが日課の人。すると、20代、30代、40代の隊員男女が「私もやりたいです!」と声をあげた。
セブンマイルブリッジはフロリダ半島の南端からキーウェストを結ぶ国道US-1号線(海上高速道路)にある42の橋の中で一番長い橋だ。

約10km走る隊員たちも、応援する隊員たちも、本気だった。
ゴールしたマサさんが満面の笑みで「隊長、夢を叶えてくれてありがとう!」と硬い握手をしたのが最も印象的な旅のハイライトだった。いくつになっても若々しいマサさんに影響されて「毎日走ること」を始めた隊員も多い。

ちなみに、マサさんとはその後、会社が一番苦しかった時期に同世代の友人を3人も誘ってモロッコ・サハラ砂漠縦断ツアーに参加してくれた。傾きかけた会社の経営で、ハッキリいって相当疲弊していた俺だったけど、成田空港の搭乗ゲート前で既に宴会ムード。
「隊長、一緒に呑みましょう!」

2017年12月に実施したモロッコ・サハラ砂漠縦断ラクダ旅!参加者は20代から70代まで11人

旅の途中、
「隊長、僕はね。旅もカメラも登山も、70代になってから始めたんだ。何かを始めるのに遅すぎるということはないよ。人生いつからでも再スタートできるんだよ。」
若者顔負けのエネルギーでサハラ砂漠でラクダを乗り回す定年ブラザースにとても勇気づけられ、気が付けば涙がホロリと頬をつたっていた。隊員たちと一緒に旅することで多くの事を学んだ。「旅学」、「旅育」って、旅からはもちろん、人からも学び、育むものだと思う。

「隊長、本当に思い出に残る良い旅をありがとう!」成田空港で、いつもの笑顔でマサさんは言った。

そのマサさんの笑顔をもう見ることはできないけど、隊員たちや俺の心にはマサさんは生きている。

人生は思い出でできている。
日本国内でも、忘れられない旅の思い出をつくっていきたい。

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 咲けば散る。
 当たり前のこと。
 けれど、また芽吹き、
 花をつけ、満開に咲く。
 ただ一つの誠。
 この思いは、いつまでも
 咲き誇る。
 原作 手塚治虫『新選組』

テレビ朝日「君とゆきて咲く〜新選組青春録〜」最終回より

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