「ホニャラ的夫婦の人生! 加藤瑛美&武留」
迷い続けた人が
本物になる
福島正伸
古民家ゲストハウス「ホニャラノイエ」オーナー夫婦と出会ったのは、中村あっちゃんがプロデュースする「くるまざダイアログ大学」講義のZOOMだった。その後、アーミー(網谷克敏)とvoicyの収録途中に2人をZOOM越しに紹介された。偶然にも、アーミーが収録したのは「ホニャラノイエ」だったのだ。
えみポン(加藤 瑛美)、たけポン(加藤武留)の2人には夫婦漫才のような2人のトークが炸裂、夫婦仲の良さを「これでもか」と見せつけられ、収録中、終始あてられっぱなし。「いい夫婦とは?」の問いに一つの回答を得た気がした。いい夫婦とは?お互いに違いを認め合いリスペクトしていること。相槌の打ち方、合いの手の入れ方でありありと感じることができた。4年前に結婚し、2年前に古民家宿「ホニャラノイエ」をOPENした2人。今回収録した1回10分、前半全6回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。
岐阜県揖斐郡大野町にある古民家宿&イベントスペース、「ホニャラノイエ」。「今を生きる人間だから幼少期の記憶がない」と言い放ったのがエミポン。小2の時の夢はスーパーのレジの仕事!?。小3の時は陸上部だったのでオリンピック選手と答えていたが、本当の夢ではなかった。夢を聞かれるのが苦痛だったという。一方、タケポンの夢は、「電車の運転士になりたい!」と明確だった。鉄道が好きすぎて、「飛行機なんて乗るもんか」と思っていたほど。学生時代の愛読書は時刻表、筋金入りの「鉄っちゃん」だった。
えみポンは、小2から小5までイジメられて人間不信になり、自分から話しかける勇気がなかったという。たけポンも、小学校高学年から中高時代にイジメられて「暗黒期」と語った。自分の殻に閉じこもり周りから浮いた存在だった。乗り越えたきっかけは、青春18きっぷを握りしめて行った鉄道旅。月一で集まってキャンプする野外塾だった。家と学校以外の「第三の居場所を持つ」って大切だ。高校ではブラスバンド部に所属した。そこで「イジメられる」を「イジられる」に自分で変換した。後輩からもイジられたけど楽しかったという。
えみポンが言った。「たけポンは自分大好きだけど、私は自分がダメだと思い込んでいた」と。中高一貫校で大学からデビューできたのは、冷静になってロジカルに考えたから。「初対面から嫌われていると思っていたけど、初対面では何もわからない」と思い込みを捨てた。
たけポンは工業高校を卒業すると鉄道運転士の夢を実現するべく名鉄を受けて落ちてしまい、東京IT会計専門学校名古屋校(鉄道ビジネスコース)に進学した。「イジられるのも意外に面白い」って発想を転換し、イジられキャラを確立していたので周りを明るくするムードメーカーとして過ごした。学生時代、「鉄道」に走り過ぎていた自分に気づけたことが一つの転機となった。もっと視野を広げようとスキーをはじめ身体を動かすことを始めたのだ。内面から外へ目を向けることによって旅のスタイルも変化した。鉄道に乗ること自体が目的のように、鉄道に乗りまくってた旅から、ゆとりを持って宿泊して人と交流した。そのゆとりが就活にも活きた。「学校内選抜枠一つ広げてもらって試験を受けられた」って運も引き寄せJR東海に就職した。
えみポンは京都大学・総合人間学部に進学。両親は落ちると思っていて「受かった」というと、「どこに?なんで?笑」。幼い頃よりやりたいことがはっきりしていたタケポンに対して、やりたいことがわからないエミポン、「定年まで働くのが人生だと思い込んでいた」。受かっていたSEに就職することに違和感があった。そのタイミングで「1年留年してから就活すれば」と、選択肢を広げる親のアドバイスが良かった。就職先をキャリアカウンセリングの仕事に決めてからNZワーホリ8ヵ月行く選択をした。
JR東海に就職し、車掌から運転士になる研修3日前に会社側の手違いで行けなくなった。ショックのあまり「運転士になる夢」にも会社に対してもやる気が失せた。夢破れたどん底の状況の時に出合ったのはソーシャルマラソン、「シャルソン」。全国に広がる、ご当地マラソン、人と人がつながるランニングイベントだ。何もわからないまま、たけぽんは、「シャルソン」のイベントを岐阜で主催して、みんなで創り上げていく喜びに溢れた。能動的に動いたことで得られた「凄い楽しい!」という感覚。同時に、会社員として生きる自分に疑問を感じた。「こっちのほうが自分に向いてる?」
帰国後の就職も決まってからワーキングホリデーでNZに渡航したエミポン。NZで見た自給自足コミュニティを「自分とは関係ない別世界」と感じてしまった。「私は定年まで働く!」という思い込みが強かった。でも短期的ではなく、長期的視点で見ると、きっと心の中のどこかに「こういう生き方もあるんだ」って種が植え付けられたんだと思う。それが、今の古民家宿で独自の世界をつくっていることに繋がっているように感じるから。その証拠に、社内でエミポンが一人で「効率改善プロジェクト」を立ち上げてるところに、その片鱗が見えた。「25歳までには結婚したい!でも営業もトップになりたい!」複雑な思いを消化できないまま職場で突然泣き出してしまう状態になり、半年悩んで30歳で会社を辞めた。「30歳って、いろいろ考えちゃう年齢!?」
会社員の仕事をやりながら「シャルソン」のイベントにのめり込む二足の草鞋生活に体力の限界を感じた頃、たけポンが旅先で出合ったのが望さんが運営するゲストハウス安曇野「地球宿」。「将来、こんな宿ができたらいいな」と思った。いろいろな場所から泊り客が来るから、常時旅している感覚になれることに魅力を感じた。そこでふと立ち止まって考えた。「会社の中で幸せそうに見える人がいない。こんなふうになりたくない。自分に合わないところに自分が尊敬できる人はいない」。安定した生活を捨てて「宿をやる!」決意をした。JR東海に入社したことを一番喜んでくれた父親とも和解し、最終的には新たな夢を後押ししてくれた。
NLP心理学と運命的な出合いをしたエミポン。当時、岡山県倉敷市でゲストハウスをやっていた中村あっちゃんと出会った。NLP心理学のお試しセッションをやらせてもらいながら、ヘルパーからスタッフになった。「夢を応援したいから宿をやってるんだ」って言った中村あっちゃんに共感した。セッションを続けて行くうちに、相談者の人生に入り込み過ぎてセッションができなくなった。そこから人生の迷走が始まる。「私は今、何をやりたいんだろう!?」自問自答して「書きたい!」に辿り着いた。そこで徳島県の「空音遊 Kunelasob」オーナーの半生を綴った本を自費出版までこぎつけるも、その後、キーワードを入れてSEO対策、アフィリエイト広告収入などの依頼を引き受けていると「私はこういうことをやりたいわけじゃない!全てを手放して、廃人になろう!」と決意。さらに「計画的廃人!?」を実行に移した。廃人って計画的になれるものなのか?笑。時給は高くてもキツイ旅館の仲居さんをやった経験は、結果的にゲストハウスの良さに気づくことになった。「石垣島→与那国島→草原に座る」廃人になる計画を実行したが、廃人になれない。再びNLP心理学の仕事を依頼されて自分を掘り下げていくうちに、廃人のように実家に引きこもることになった。この状況を両親は受け入れた。「そのままで、えぇ、ずっと寝てたらえぇ」。母親が散歩に連れ出してくれているうちに徐々に回復していった。
いよいよ2人の接点となる安曇野「地球宿」で運命的な出逢いをする。仕事上のパートナーを欲していたタケポン。「もしかしたら、結婚できるかも」えみポンの思惑通りになっていく・・・初めて会った時の2人それぞれの第一印象は?たけポンの告った言葉とは?その後、たけポンのとった行動とは?交際から3ヵ月で結婚というスピード婚!?。災い転じて福となす出来事とは?アジア→南米→アメリカ→ヨーロッパ→シベリア鉄道22ヵ国3ヵ月で世界一周!?。結婚、退職、世界一周、そしてゲストハウス開業、そして・・・「ゲストハウスは学校だった!」出版!?。人生の転機になるようなことが短期間に「てんこ盛り」。
下記は1回10分、後半全6回のvoicyラジオ対談放送!
今回の対談で「生きるとは体験すること。起こった出来事に意味を見つけ出すこと」と思えた。2人共、「やる!」と目標を決めてからのエネルギーの注ぎ込み方が半端ない。いくつになってもエネルギッシュに生きたい。
少しでも失敗をする可能性があるとやらない人と、
1%でも可能性があるなら挑戦しようと思って行動する人、
人生はただこの差なだけ
ゲッターズ飯田