音楽の政治性 / 個人的社会に声をあげた名音楽2024
2024年も年の瀬。今年、僕がいいなと思った、社会に声をあげた音楽をみんなに広めていきたい気分になったので、紹介していく。
僕は、音楽には未知の力があると思う。僕の政治的な原動力の一つに音楽があって、日々僕は音楽に救われている。
2025年、みんなで音楽を通じた小さな革命を起こしていきましょう。
※紹介する順番に特段理由はない
DANNY JIN「Boycott (Dir.by HAKU)」
DANNY JINは、パレスチナと日本にルーツをもつラッパー。年齢は19歳。イスラエルによる虐殺行為に抗議する内容の楽曲を多く発表しているが、なかでも僕がお気に入りなのは、9月1日にリリースされた「Boycott」という名の曲だ。そのリリックに注目してみてほしい。
イスラエルによる虐殺に加担している企業の名前がリズムに合わせて登場してくる。覚えるのが大変なくらいたくさんあるボイコット対象の企業をリリック内でリスト化し、ボイコット運動を呼び掛ける楽曲になっているのだ。
それから、個人的に好きなポイントは、コカ・コーラやドミノピザといったそうそうたる世界的大企業のなかに「辻清人」が混ざっている点だ。「辻清人」が歌詞に出てくる楽曲は、おそらく前にも後にもこの曲だけだろう。
DANNY JIN「政治 (Dir.by Haku)」
もう一つ、今年、10月30日にリリースされたDANNY JINの曲を紹介する。この「政治」という曲は、先ほどの「Boycott」とは異なり、日本国内に焦点を当てた曲だ。
というリリックにはハッとさせられる。死にたくなる原因は僕のせいじゃないけど、死にたくなるようなこの世の中を構成しているのは僕を含むこの社会なのだということに気づかされる。そしてこの曲は人々の行動を促す。
そしてリリックの内容は、フードロス、貧困、給食格差、教師の労働問題、裏金、投票率、報道、立ちんぼ、闇バイト、戦争、自殺と、具体的な社会問題へと移っていく。
そして最後のリリックがとても良い。
2025年、どっかでバズって流行ってほしい。
ISSHIN 「tohyoken」
次に紹介するのは、ISSHINというラッパーによる「tohyoken」という楽曲だ。
彼は尼崎市に住む高校生で、中学時代に理不尽な校則について抗議する曲をつくった経験をもつ。それについては、朝日新聞のこの記事が詳しい。
今年は衆議院東京15区補選、東京都知事選、自民党総裁選、アメリカ大統領選、衆議院選と、話題になる選挙が多かったが、中でも記憶に新しいのは、あの荒れに荒れた兵庫県知事選だろう。
県内に住むISSHIN。しかし、高校生なので選挙権はない。そのため、音楽を通して「俺の代わりに投票に行ってくれ」と、上の世代に投票行動を呼び掛けた。YouTubeの概要欄に彼の思いが書かれているので一部を引用する。
そしてISSHINは、自身の問題意識の原体験となった、学校教育についても歌っている。
人々の政治への無関心とリテラシーの低さの原因は、日本の学校教育に起因する。やっと最近日本も主権者教育に取り組み始めたが、まだまだ不十分すぎる。ISSHINのリリックに僕も完全に同意する。
crystal-z「Children Story (feat. UUUU)」
沖縄警察署暴動事件を覚えている人はどれほどいるだろうか。
2022年1月27日深夜、沖縄市内でバイクを運転していた男子高校生が警棒を持った警察官と接触し、右目を失明した事件に端を発し、警察署に地元の若者ら400人あまりが終結、投石などの暴動へと発展した。
「なぜ少年は失明したのか?」
加害警察官と被害少年の証言の不一致と、若者の暴動というセンセーショナルな報道から、ネットでは「誰が悪いのか」という論争が巻き起こった。
結局、故意に少年に警棒を当てたとして、特別公務員暴行陵虐致傷罪の疑いで警察官は書類送検され、暴動に関与した若者たちも逮捕された。
そんな経緯ののち、今年の10月27日にこの曲は、突然リリースされた。この曲の収益は全額、被害少年へと寄付されるそうだ。
歌っているのは、crystal-z(クリスタルジィー)とUUUU。crystal-zは、過去にも、東京医科大学の不正入試問題の「当事者」として抗議する楽曲を製作した経験のある医師兼ラッパー。楽曲制作までの詳細な経緯は明かされていないが、歌詞の内容から、crystal-zは医師としてこの事件に関わったのではないかと推測することができる。UUUUも、地元沖縄市コザを拠点に活動するStreet HipHop集団に所属するラッパーだ。
失明した少年のものと思われるCTスキャンの画像とともに、ミュージックビデオはスタートする。
「ペラペラケツも拭けねーサツの束」というのは、警察への批判と、賠償金の少なさをかけているリリックだろう。
こうした、警察への批判と、被害少年への賠償金の少なさへの抗議を匂わせるリリックは随所に存在している。
ぜひ、少しでも曲を再生して、曲を買ってください。
米津玄師「さよーならまたいつか!」
NHKの朝ドラ「虎に翼」は、日本初の女性弁護士となった猪爪寅子を主人公にしたドラマで、「生きづらさ」や「フェミニズム」に焦点を当てた政治性の強いストーリーが話題となった。
そんな主題歌が米津の「さよーならまたいつか!」であった。
毎朝、多くの人に勇気を与えた「虎に翼」は、いつもこの曲から始まった。
歌詞の内容自体は、そこまで社会風刺的な要素はないものの、米津はインタビューで次のように語っている。
男性として客観的な曲を作ってほしいという制作陣に対し、米津は男性の立場から女性を神聖視することの暴力性を考え、あえて逆に主観的な曲を製作したという。
こうした米津の思いと心意気によって、このような軽やかなメロディーとは裏腹の強い歌詞が生まれたのだろう。
僕は音楽の専門家ではないので、他にもたくさん良い曲はあると思う。特に僕はあまり洋楽を聴かないので、そのあたりはぜひ教えてほしい。
2023年以前の「社会に声をあげた曲」についても以下、列挙していきたい。ぜひ聴いてみてほしい。
RAP AGAINST DICTATORSHIP「ประเทศกูมี」
足浮梨ナコ「オッペケペー節 令和ver」
足浮梨ナコ「#結婚の自由をすべての人にの大阪地裁の判決に不服申し上げる ラップ」
戸川純「パンク蛹化の女」
おしゃれTV「恋のテロリストNo.1 (ケイちゃんののってけミサイル)」
曽我部恵一「ギター」
ano「普変」
過去に僕は、旧来のいわゆるプロテストソングに対してやや否定的な文章を書いたことがある。集団から個人の時代への移行に伴い、強烈なメッセージ性を放つプロテストソングで集団が連帯するのではなく、音楽に内包された政治性が個人の運動の原動力になる。音楽が個人を動かし、個人の行動の集合によって変革をもたらすという考えだ。
前述したような曲たちも、個人が行動する大きな原動力になっているに違いない。「明日からスタバをボイコットしよう」、「俺は投票に行く」。音楽に影響を受けた個人の「小さな革命」の原動力となるに違いない。
最後に、以下その文章を転載する。
さよならプロテストソング
一九六九年、新宿駅西口地下広場では、ベトナム戦争に抗議して集まった若者たちによるフォークの歌声が響いていた。
五十年後の二〇一九年、そこから三駅離れた渋谷の街では、「ダンスは抵抗である」というメッセージとともに、クラブミュージックを流しながら道路上で踊る「プロテストレイヴ」が行われていた。
私たちが社会を変えようとするとき、常に音楽はそこにあった。
音楽番組がお茶の間を賑わせた時代は終わり、イヤホンでSpotify から音楽を聴く時代になった。集団の時代から個の時代になった。
時代は変わった。シュプレヒコールを声高に叫ぶデモ隊が通行人から白い目で見られる昨今、強烈なメッセージを放つ露骨な「プロテストソング」はもう過去の産物であり、再び市民権を獲得する日はおそらくもう来ない(もちろん良い曲ばかりで筆者も好きなのだが、ある種、博物館の展示品的感覚を抱いている)。
かと言って、今の音楽に政治性が含まれていないかと言ったらそれはまた違う。自己肯定感の下がる同調圧力社会を笑い飛ばした「可愛くてごめん」(HoneyWorks /二〇二二年)、敷かれた線路の上を黙って歩く「多数派」の大人たちが支配する社会構造を批判した「サイレントマジョリティー」(欅坂46/二〇一六年)、浅はかな多様性賛美社会を皮肉った「普変」(ano、尾崎世界観/二〇二二年)など、現代においても、社会を批判する曲は多くつくられ、若者を始めとした大衆に支持されている。
あくまでもこれらの解釈は全て中村によるもので、そのあたりは受け手によって大きく変わるだろう。一見、政治的でない曲でも、人によっては政治的に捉えるかもしれないし、その逆だってあるかもしれない。
音楽を糧にした小さな革命
前述した通り、個人が好きなタイミングで音楽を聴く時代になった。
音楽はイヤホンを通じて体内へと流れ出し、その人の思想の糧や心の燃料となり、それぞれの革命の原動力をつくっていく。ここでいう革命とは、学校で押し付けられた校則を破って髪を染めることかもしれないし、ミソジニストの同僚の発言を諫める勇気かもしれない。個人が個人のレベルで音楽を聴き、個人のレベルで身の回りの小さな革命を起こす。そしてゆくゆくは、SNS などを通じて繋がった個人が現実に運動を起こし、社会に大きな変革をもたらす。
その象徴的な運動として、今年四月の統一地方選挙における「FIFTYS PROJECT」を例に挙げる。「FIFTYS PROJECT」とは、将来的には議会における20代・30代女性やXジェンダー・ノンバイナリー等の当事者の割合を、まずは三割(将来的には五割に)まで引き上げることを目標とし、前述した項目に当てはまりステートメントに賛同する全国各地の候補者を支援、選挙ボランティア活動を推進する、大学生・大学院生を中心としてスタートした活動である。この「FIFTYS PROJECT」では、SNS(と記者会見の報道)を用いて候補者やボランティアを募り、オンラインで繋がって、時には実際に会いに行って応援するという手法を取り、結果的に、統一地方選に立候補していた二十九人のうち二十四人が当選する(うち茨城県日立市議会、長野県諏訪郡富士見町議会の候補は無所属新人にも関わらずトップ当選を果たした)という大勝利を収めた。まさに今まで個人レベルで日常的な小さな革命を起こしてきた全国各地の人たちが、SNSを使って繋がって現実のムーブメントを巻き起こし、社会を変えたわけである。
「FIFTYS PROJECT」運営メンバーの一人である山島凜佳さんは、ロンドンを中心に活動するシンガーソングライター・Rina Sawayama(以下、リナ)の「Minor Feelings」という曲が、活動の原動力となったという。「気づかない・傷ついていないふりをしたり、笑って誤魔化したり、無理をして背伸びをしたり。私が息をするようにしていた癖たちを、よく表してくれてると感じた曲です。自分のminor feelingsに目を向け、信頼のできる人たちと活動することは、そんな過去の自分や、自分の脆弱さを抱きしめて「そんなことしなくていいよ」と心の底から思ったり、それを糧にしながら一緒に強くなっていくような感覚です。この曲を聴くとそんな原動力を思い出すことができます」と山島さん。
リナは、昨年のライブパフォーマンス中に、自身がバイセクシャルであることを公表し、日本の同性婚法整備の遅さを批判。それだけではなく、当事者以外の観客に向けて「アライとして一緒に闘おう」と共闘を呼びかけた。ここでは、アーティストの政治的発言の是非などといった短絡的な話ではなく(そりゃ当然是に決まっていると思っているが)、バイセクシャル・アジア人・女性という戸籍を割り当てられた者といったマイノリティの立場で生を受けたリナの書いた、マイノリティの「些細な感情を抑え続けることで大きな苦しみを背負いこんでしまう」という苦しみが描かれた曲によって、山島さんが勇気づけられ、生きる糧となり、活動の原動力となった点に注目したい。かなり飛躍させれば、「リナの「Minor Feelings」がきっかけの一つとなり、日本政治の世界でマイノリティであった立場の候補者が次々と当選した」と言うこともできないわけではない。
こうしたところに私は、音楽と政治の未知なる可能性を感じている。
「音楽に政治を持ち込むな」とかいうくだらない話ではなく、「音楽から始まる変革の可能性」を議論したい。「プロテストソングを皆で歌って社会を変える」という前時代的な構図ではなく、「え?この曲?」みたいな曲から政治性が取り出され、結果的には「大きな何か」になるかもしれないという、全く予想できない無数の構図が出来つつある。
一人称の時代とされる現代、日本の社会運動において音楽はどのような役割を果たすのだろう。また、音楽そのものに内在する政治性とはなんだろう。もっと言えば、音楽・芸能界のなかにも社会課題はうごめいている(それこそ、前述した「サイレントマジョリティー」を歌っている欅坂46が「大人たち」にコントロールされているという矛盾もある……)。「音楽と政治」の
構図だってそうなのだ。(初出:情況2023年夏号「「音楽と政治」を超えて」)