「できるようになった」は突然に。
僕の仕事は、まぁ簡単に言いますと "「売れる」を創造する"ということになるのですが、サラリーマン時代は「人財育成」のスペシャリストとしても多く仕事をしてきました。
「教育」ってのは「人に何かを教えることだ」って当時の上司に教えられて、初めて新入社員の“教育担当”になったのが20年以上前のこと。
「教育」ってのは教えることが目的なのではなく、
「教えるという行動の結果、育まれる」ということだと気付いた。
「育った」という結果が教育の目的であり、教えること自体が目的ではないんだと気付いた。
それが初めて教育担当になってから5年後のこと。
5年なんて、かなり時間がかかったけど、
でもそれに気付いたことで、逆に「行動に焦点を合わせる」重要性をも学んだ気がします。だから重要な5年だった。
例えば、こんなケースがよくありました。
仕事(作業)を教えるトレーナーと新人スタッフとの間で「初期トレーニング」たるものがあるのですが、その時によく新人スタッフからこう言われました。
「トレーナーの言うことがその場その場で変わって混乱してしまいます…」
そういえば僕も新人の頃、そんなことがよくありましたわ。
上司の言うことが とにかくコロッコロッ変わる(笑)。
教える側からすれば論理は一貫しているつもりでいると思います。
だけど現場ではケースバイケースで対応することもあるから 時にはイレギュラーな事態も想定しての判断が必要なこともあるのでしょう。
そんなところが新人からみて「言うことが変わる」という印象になるのかもしれません。
「前回はああ言ったのに、今回はこう言ってる」って思うと「不満と不安」が湧き出てきます。疑心暗鬼になるとコミットメントができなくなり教育効率が下がって、結局のところ教育はうまくいかなくなります。
こんなことが続いた頃に「作業」だけではなく
「意味」や「目的」をもバランスよく教えていくことが、
僕の言うところの
「育むという結果に焦点を合わせた教育」
になるんだと気付いたのです。
これは「できるようになること」を望んでいる人たちには例外なく必要な考え方だって思います。
何かに挑戦し、それが「できるようになる」ために何をするべきでしょうか。
例えば、僕の友人で塾の経営者がいるのですが、
塾でも成績の悪い子供さんは、たいてい「勉強の仕方」が分かっていないそうです。
この話しは実際に大きなヒントになりました。
その話を聞いたあとで僕は自分の生徒たちに、
「勉強のやり方」についての行動レパートリーを与えて反復させるようにしました。
学力は記憶力や理解力によって向上するものですが、それ以前に「勉強のやり方」が問題なのです。できる子とできない子の差は明確にここだと感じます。
勉強のやり方が上達すると、もともと備わっている記憶力や理解力がフルに活用できて、結果として成績が上がったり、成果が出たりします。
つまり、何度も何度も間を置いて反復しているうちにできるようになっていくのです。
新入社員には、ビジネスにおける行動を分析し、それをブレイクダウンしてチェックリストにして反復させました。
その中の項目はすべて「行動に即した項目」、すなわち「行動レベル」です。
だからすぐに「行動」しようとできます。
「結果」は「行動」にしかついてきません。
結果ばかりに焦点を合わせると、それは「評価主義」になり、
「できる子を伸ばし」、「できない子を批評する」ことに 結果的になってしまうのです。
あくまで僕らがフォーカスするのは「行動」です。
その行動を具体的にしてやることが、
僕ら教育者のすべきことですね。
なぜならば、人は具体的なことでないと行動できないからです。
どんな素晴らしい知識も、
どんな素晴らしい体験も、
どんな素晴らしいアイデアも、
具体的に行動できなければ、どんな結果も出ません。
「できるようになる」ということは、
行動することに焦点を合わせた考えを進めていく中で、
僕の場合、「突然に」できるようになったことだったのです。
すべてのことが「できるようになった理由」があるわけではないことを、みんなはなんとなくわかっています。
ただひとつだけあるとするならば、
頭の中であれこれ考えていても
「行動しないとできるようにならない」。
ということでしょうかね。