八百びくに
途方もない長寿や不老不死の存在が、世界中の伝承や物語に登場している。不老不死というテーマは文化や時代を超えて人々を魅了していることがわかる。
今回は少年漫画やゲームにも登場する、有名な八百比丘尼(八尾比丘尼)について紹介する。
八百比丘尼(八尾比丘尼)について
京都北部の竹野郡乗原には、大久保家という家族がおり、この家族の娘は八百比丘尼として知られる。
八百比丘尼は、人魚の肉を食べることで800年もの間生き続けたと言われている。京都府北部の丹後半島に位置する京丹後市丹後町では、乗原に住んでいた大久保家の娘が、ある修験者が庚申待を行った際に持ち込んだ人魚の肉を食べたことで800年もの間生き続けたとされている。
乗原周辺の松の並木や敷石は比丘尼が作ったものとされており、京都北部だけの伝承かと思いきや、実は、この八百比丘尼の伝説は、北海道と九州南部以外のほぼ全国に広がっている。
柳田國男の研究を基に、高橋晴美氏による調査によると、この伝説は全国の28都県89区市町村121箇所にまたがって分布している。
伝承の数は166にも及んでいる(石川県・福井県・埼玉県・岐阜県・愛知県で多く見られる)。
八尾比丘尼は、「八百比丘尼」とか、「白比丘尼」とも呼ばれており、800歳まで生きたが、その姿は17~18歳の様に若々しかったと伝えられているが、地域によっては伝説の細部に違いがあるが、複数の疑問点が残る。
疑問点
この伝承は非現実的な要素が多い。人魚の肉が不老不死の効果があるとされているが、これは現実的ではなく、幻想なのかもしれない。
人魚そのものは合成獣のような生命が実在することは仏教などの伝統宗教には登場しているが、欲界の人間世界に存在したかどうかは定かではなく、古来インドでは欲界と色界がダブっていたたために、天や魔も人間世界に現れていたそうであるが、古来、日本も妖怪や物の怪などはいたようであるため、日本もそうだったのかもしれない。
仏教において、不老不死の存在自体は規定されているため、この物語の要素も信じる方々もいるでしょう。ただ、八百比丘尼の伝説が全国各地で見られ、こうした伝説は単なる民間伝承や都市伝説の一つである可能性があります。
このような伝説は、地域の文化や人々の想像力に基づいて創り出されることが多いため、その真実性には疑問が残る。
この疑問点を持った上で、以下の伝承を見ていこう。
その他の説話
彼女が京都清水の定水庵に住み着いたときは、長寿の娘を一度拝見したいと人々が日々押し寄せたという話もある。人々は800歳まで生きた「八百比丘尼」と呼ぶようになった。
ただし、八百比丘尼とは、長寿の尼僧を指す言葉でもある。実際は八百比丘尼の伝承は、全国各地で見られ、その数は数え切れないほど存在する。
島根県には、尼僧が植えたとされる老杉があり、尼僧にゆかりのある杉は、能登半島にも存在する。こちらは彼女が箸を置いたところから芽を出し、育っていったらしい。
同様の話は埼玉県や長野県、岡山県などにも残っている。ゆかりの地が非常に多いため、八百比丘尼の死に際やその年齢についても、さまざまな説が存在している。
晩年は庵で余生を過ごしたとか、橋で転んで亡くなったとか、旅途中で病に侵されて亡くなったとか、様々で、入定したという説も存在する。
入定とは?
日本では弘法大師 空海が有名であるが、原義は単に「禅定(ぜんじょう)に入る」という意味である。禅定とは禅那=ディアーナのことであり、もともとはサンスクリット語に漢字を当てたものである。
当時、仏教が中国に入った際に「ディアーナ」と呼ばれる瞑想状態の名称を禅那とし、その深い瞑想状態に入ることを禅定とするのが本来の定義である。
しかし、日本においては空海のイメージがあまりにも強いため、本来の意味では用いられることは少ない。
日本では、堂入り・断食・生き埋めなど苦行の果てに絶命してそのままミイラ化する、いわゆる「即身仏」となることも「入定」などと総称的に用いることが一般的である。
しかし、この一般的な「入定」と、実際の入定とはまったく違う場合が存在する。
それに、生き埋めという単語一つとっても誤解が多い。インドなどでは瞑想のために地下に穴を掘り、真っ暗な部屋のようにしてリトリート(瞑想のための個室を指すが、実際には電球も家具なども何もなく座具と土壁だけである)を作る。その中は非常に暗くて狭く、3日もいれば酸素も非常に薄くなり、一般人には到底その場にいることは不可能だ。
八百比丘尼が入定したとされる洞穴もリトリートであり、瞑想のために入るスペースである。