「特に用はないんだけど」を大切にする理由
最近友人に、なんでもない連絡をしている。
「元気?」
「特に要はないんだけど」
そうすると大体、思いもよらぬ会話が始まる。
「実は体調を崩してたんだ」
「先月、結婚したよ」
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるの」
返事に、ハッとする。大切な人の近況を全然アップデートできていなかったことに気づくのだ。
「会えないから」を理由に、知ろうともしなかった。状況を知らなければ、辛い時にサポートすることも、お祝いのシーンを共に喜ぶこともできない。
大切な人との関係をサボっていたような気がして、なんだか恥ずかしさと悔しさの入り混じった、酸っぱい気持ちになった。
もはや日常になってしまったコロナ禍。距離感を意識して過ごさなければいけない毎日は続く。
でも、心まで、距離感をとることに慣れてしまっていいのだろうか。いや、良いわけない。
「ねえ聞いてよ!!!!」
「失恋したので居酒屋集合!!!」
昔はこんなふうに、ラインが始まってたんだっけ。
でも今は、聞いてほしい話だったり、事件が起きても、「集まる」という選択肢がとれない。
集まって話す臨場感を諦めざるを得ないと、わざわざ連絡を取ったり、報告をしたりするのが億劫になったり、遠慮してしまう気持ちもわかる。
悔しいけれどそうやって、コロナによって会話が減ってくんだろう。
でも連絡を受ける方は、大切な人の遠慮なんて求めてないし、なんなら、議題なんて求めてない。
何か起きなくても、私たちはもっと話していい。
このご時世、「知らせがないのは良い知らせ」なんて、通用しないくらいの気持ちでいたほうが、いいんじゃないか。
知らせたり、共有するきっかけが圧倒的に少ないし、掴めないだけ。
その中でゆるやかに、薄れてしまう大切な人との関係に、抵抗したい。
だから私は、なんでもない連絡を意図的にとるようになった。
久しぶりに交わす言葉は、想像以上にお互いの心をあっためる。
そして意外にも、なんでもない連絡ほど、喜んでもらえたりもする。
これが私の、「特に用はないんだけど」を大切にする理由だ。
これを読んでくれた方。
よかったら今から、大切な人に「なんでもない連絡」を入れてみてほしい。
きっと何か、新しい風が吹くんじゃないかな。
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