「依存」と「自立」
「自分」と「環境」を分けること。最近、よく考えることだ。
いろんな人の悩みを聞く機会があって、その時、結構、この「自分と環境を分けて考える」話にたどり着く。案外、自分で解決できない「環境」に意識を向けて悩んでいることがある。でも、そもそも自分じゃないから、解決することなんてできないのよ。
最も多いのが「人間関係」。「相手からどう思われているか」とか、「承認欲求」的な話とか、相手に「こうしてほしい」とかね、いろいろありますよ。ホント。
「褒められたい」ってのは、「承認欲求」と同じか。「こうしてほしい」って思うから、「〇〇してくれない」とか、「分かってくれない」みたいなことになると。
結局、相手とか環境に「依存している」ことになる。自分でコントロールできないものに依存しても仕方ないでしょう。
例えば、「こんなに頑張ってるのに、認めてくれない」って、相手に求める。
これって、「こんなに頑張ってきたのに、なんで雨なんだ!」(お天道様は認めてくれない)って憂うのと同じよね。
こんな風に極端に例えを変えてみると、ちょっとナンセンス感が伝わりやすくなる。
だって、いくら雨を恨んでも解決できない問題だもの。雨と人(相手)は、自分で制御できない「環境要因」と見たら同じ意味になりますよ。
相手とか環境に目を向けるんじゃなくて、「自分にできること」、「自分がしたいこと」にフォーカスすべきです。自分のことなら、自分で考えて、自分で行動すれば良いし、自分次第。
何となく、今見えてる「景色とか相手(=環境)」に一喜一憂して、思い悩んじゃうんだけど、これから見たい景色(目標)に思いを馳せて、それが見えるまで歩む(=自分)ことを考えた方がいいでしょう。
どうしても、見えるものに反応しちゃうんでしょうね。反射的に。そして感情的になっちゃうと。
目の前に見えないものを予測して見える様にするためには、俯瞰(ふかん)できる視点が必要かもしれません。どうしても、近視眼的に注目してしまうので、鳥観図的に見るんだな。そんな視点は、どうやって身に付けるんだろう。多分、いろんなことを「知って」「分かって」「考えて」「想像する」しかないのかも。つまり、「勉強しろ」ってことか。
結局、「依存」からの脱却。「自立する」ってことですかね。
依存って対象はいっぱいある。家族への依存。学校への依存。大切な人への依存。先生への依存。会社への依存。上司への依存。人や場所だけで考えてもこんな感じだ。「依存症」って言うぐらいだから、いきすぎると、病的になりそうだよね。
まずは、マインドセットを自立させることから考えて、自分がすることを決めて行動しましょう。
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