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楠岡由浩(帝京大)をより知って応援する為に高校時代を紹介します。

第101回、箱根駅伝がいよいよ明日に迫ってきました。慶誠高校陸上部出身の楠岡由浩くんを高校時代に指導をした顧問の中村が紹介をします。
箱根駅伝をご覧になるすべての皆さんに彼のこれまでの頑張りを知って応援して頂けたら幸いです。

中学時代は、3年間、サッカー部に所属し、中体連の駅伝で選手として借り出されるかたちで駅伝には出場していました。私が勧誘したときの自己ベストは9分36秒位だったと思います。その当時まさかこんなに速くなるとは想像していませんでした。

入学したばかりの楠岡。身体もまたまだできてません

その当時の慶誠高校は、私が陸上部を創部して、まだ3年しか経っておらず、部員もそこまで多くありませんでした。また、この代は、新入部員は4名しか来てくれませんでした。

楠岡は入った当初は同級生で2番手でした。走りもすごく綺麗なわけでもなく、中体連で借り出された陸上続けたい選手なのかな位しか見えていませんでした。つまり、どこにでもいる普通の選手でした。

1年生の時は、練習量に対してなかなか体が対応できず、疲労骨折や怪我が多く、なかなか結果が出せませんでした。

その当時、彼には走りのセンスはあるから、結果を求めることよりも、怪我をしない身体を作りなさいと言っていたのを覚えています。

楠岡は家に帰ってからの補強やストレッチを毎日行うルーティーンを作り、欠かさず行いました。

2年生の都道府県駅伝の選考会で、14分24秒で走り、一気に熊本県を代表する選手に上がっていき、3年生になってからは、金栗では当時の松井(埼玉栄)についで2位、そして織田記念では大会新記録の14分09で優勝しました。
その後、インターハイ決勝進出・国体で3位入賞13分代と大きく成長することができました。

南九州やIHでは弟(左端)といつも一緒
都道府県駅伝では2年生から選ばれました
織田記念優勝から一気に全国区へ
栃木国体13分台+3位入賞

ただ能力があったから、強くなったわけではなく、彼はチーム開拓、そして強くなるための努力を欠かさず行ってきました。

冬合宿を行った際、朝練習を始める前、彼は朝から湯船にお湯を溜めて、体を温めてから練習に参加してきました。朝一では体が硬くなるから、少しでも怪我のリスクを減らし体が動くようにしていたそうです。

勉強も1年生の時は、良い点数ばかりではなかったが、競技の実績が上がるにつれ、勉強することが競技に影響が出ると理解し成績も上位に上がりました。

性格はシャイなので、人前であまり多くを語る事はありませんが、内に秘める思いはとても強く弱音を聞いたことはありませんでした。レース前のメンタルは誰よりも上げていくのがうまかったです。

本人提供

そんな彼がなぜ帝京大学を選んだのか。
私目線では、
・中野監督の人柄
・自分で考えて練習ができること
・先輩が帝京大学にいること
・練習の雰囲気が慶誠に近いこと
・練習環境とサポート体制
こういった点が良かったみたいで、今は複数名帝京大学でお世話になっています。

1年目は、練習量と身体が追いつかず、疲労骨折を繰り返して、走れない状態が続きましたが、中野監督が声をかけ続けていただき、チームメイトに支えられ、腐らずにやってこれました。

2年目にして、練習に適応し始め徐々に上がってきました。トラックはまだタイムこそないですが、高校時代の走りに比べてパワー、スタミナは見違えるほど良くなっています。

出雲・全日本と徐々に上がってきて駅伝感覚を取り戻してきており、いよいよ箱根。

本人提供

私自身も学生時代、日体大で箱根駅伝を目指し、選手ではなく、主務として運営管理車に2年間乗りました。大学4年の時は総合優勝も経験させて貰いました。あの時から約13年…指導者として、箱根駅伝を走る選手を育てたい、あの想いを今度は教え子にも経験してもらいたい…その夢が叶いそうです。

慶誠から箱根へ

慶誠高校に入ってくる多くの部員は箱根駅伝を走りたいと夢を見て入って来ます。ですが、現実は甘くない。毎年2人くらいしか関東には行けません。多くの先輩・後輩がこれまで目指し、諦めてきた舞台。楠岡が慶誠高校最初の箱根ランナー

由浩。
君が進む道はいつも誰かの道標になっている。

夢の舞台
楽しんで行っておいで
これまでのように君は開拓者だ。

前列4人が同期メンバー


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