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高校野球からのエトセトラ
高校野球大会も昨日の準々決勝で、応援していたチームがいなくなってしまいました。 淋しいです。
私はプロ野球はほぼ見ないのですが、高校野球は大好きです。
数年前まではお盆休みは、ほとんどテレビにかじりついていて、終わってしまうと喪失感に襲われていました。
なぜだろう、高校野球には刹那なロマンがあるのです。
大体はピッチャー目線で、ぶつぶついいながら見ています。
ピッチャーの心の声をつぶやきながらです。
ノーアウト満塁なんて状況になったら、もう吐きそうです。
次、フォアボール出したら押し出しです。
ホームランなんて打たれたら、走者一掃です。
かと言って、低め狙ったらパスボールということもあります。
硬くなればなるほど、ストライクははいりません。
すべてを投げ出して逃げたい気分ですが、大観衆の中逃げる訳にもいかないのです。 もう無になって、立ち向かうしかないのです。
腹を括ってです。 そんな妄想をしながら見ていました。
でも、今年は大分状況が違っていました。
一点を争うような試合が多くて、内野の守備はどのチームもほぼ鉄壁です。
ピッチャーの投げる球もこれを投げたらどこに飛ぶとか計算しつくされています。 勝敗を決めるのはミスと運みたいな試合が目立ちました。
だからこそ、暑いことから来るだろうミスが、痛々しく感じました。
人間の闘争本能を満たしてくれるスポーツも少しづつ変化していますね。
娘が中学2年生の頃です。
一つ先輩の3年生に、須藤君て子がいました。
彼は色白でちょっと目を引く美形で、そのうえ運動神経がいいので、体育祭ともなると、もう母たちの声援がすごかったんです。
私もご多分に漏れず、リレーで彼が出ると「須藤くーん」て応援していました。 須藤君は野球部でしかもピッチャーでした。
そしてある日娘が言うには「須藤さあ ピンチでマウンドで泣いたらしい」と「はあ」とは言ったものの、気持ちわかるわー 中学生にはまだ耐えられんかもしれん と思ったのです。
体育祭には須藤君のお父さんもきていました。
あれ!!見たことある顔だけどと思ったら、友人とよくいくスナックにきているギター片手によく郷ひろみの曲とか歌っている人?でした。
『言えないよ』とかバラード得意な人でした。
あいさつしていいのか、悪いのかで、目だけで黙認しました。
私は子供が保育園にいっていたころから、飲みにいく機会も増えました。
保育園のお母さんたちは、働いている分そういう飲み会も大好きです。
そのスナックは小さな店でしたけど、歌好きが多くて、いつもお客さんでいっぱいでした。 友人が働いていたのもあって、一人でも行けるような店でした。
私は父方の先祖が旅芸人だと言われたことがあります。
血筋なのかパフォーマーなところがあって、存分に歌って踊れるこのお店は貴重でした。 客寄せパンダみたいによくママに呼び出されて、うまく使われてた気もしないでもないです。 まだ若かったので・・・。
娘の卒業式の時、父兄代表の謝辞を読んだ時も、そこのお客さんで酒癖の悪い男と目があって、彼はフリーズしていました。
まあどこで誰にあうかなんてわからないのが、人生です。
話が大分それてしまいました。
コロナ渦以来そんなに繁盛しているスナックなんてなさそうです。
あれはあれで、楽しい時でしたが、もう二度とこないであろう時代です。
久々に思い出しました。