アーティステックな未来のために
瞬時にきらめいては消えてゆく、そういう世の中だから私は紙の本を買います。 長い時間を共有できるその存在感に安堵します。 なんでもAIにとって代わられる時代になって、短く切り取られた言語、パフォーマンス、音楽がめまぐるしく私たちをとりまき、瞬時のきらめきが切り取られてゆきます。
成田悠輔さんの夜明け前のPLAYERS公式に、ギタリストのMIYAVIさんが3回に渡って出演されました。
私はギタリストという認識でしたが、俳優もされているようです。
サムライギタリストの異名をもつギタリストですが、多方面で活躍されています。 眼光の鋭さが、アーティスト然としています。
彼のスワップ奏法といってたたくように出す音は、日本人の強みと狂気を三味線からインスパイヤしたものだそうです。
同じ音源をニュアンスの違うものにしてしまいます。
インパクトが凄いです。
そうして隙間にしかない可能性に託して、新しい音をつくるのだそうです。
そんな中でも人が共鳴したものはYOASOBIみたいに言語を超えて世界に広がっていきます。
ひと昔前までは、詩に感銘し、メロディに共鳴してという段階をへて人の心に届いていたものが、今は瞬時のインスピレーションで、瞬く間に拡散します。
成田さんがMIYAVIさんに、ひいている時、頭の中でなにを考えているのかと聞いていました。 何度か奏でてみて、MIYAVIさんは何も考えてないと言います。 研ぎ澄まされた感性は思考ではなく、身体を介してパフォーマンスとなるんですね。
アーティストのMIYAVIさんと、天才学者の成田悠輔さんのコントラストがはっきりとした瞬間でした。
また音楽の未来について聞かれると「10年後には音楽も進化して機械が人間が感動するものを作れるようになるだろう。そうなったら人間は無用の長物になってしまうだろう」という不安も語られていました。
私も常に疑問に思っていることがあります。
はたしてAIが人間の感性までも脅かすものになり得るのでしょうか。
人間には個体差があって、同じ人間同士でも理解し難い理不尽な感情もあります。 あいまいさもあります。
私はそこはAIには凌駕できない領域であってほしいと思うのです。
音楽もシチュエーションを問わずあらゆる手段で楽しめるようになるだろうと言います。 そうなったら原点回帰で1対1で届ける音楽が価値あるものになるのかなと、MIYAVIさんは言います。
その1対1のニュアンスのあるパフォーマンスはAIには出来ないと思いたいのです。 コロナ渦から世の中が急速に変化しています。
財布すらもたずに出かけることも、いつのまにか日常です。
様々な価値観がガラッと変わるのもそう遠い未来ではないと思います。
人間が無用の長物にならない為にはなにをしたらいいのでしょうか。