パラレル
はじめに
これは私、日向ユイガの身に起きた2003年5月の出来事だ。
前年2002年には日韓合同のサッカーワールドカップが開催された。
日向ユイガ45才、人生には思いもよらないことばかり起きる。
人の記憶なんて曖昧なもので、昨日のことだって事細かに覚えているわけじゃない。
日常は振り返ってみれば、実態のない不安定な記憶で出来ている。
このことは、私は書き留めていた。
だから、20年の時を経て、今に甦っている。
第一章
雨が降ったり止んだりの空模様がもう2週間も続いている。
5月だと言うのに肌寒い。
私は、いつまでも出しっぱなしのなま渇きの洗濯物みたいで、幸か不幸かもよくわからない。
多分社会の通念から言ったら、不幸ってレッテルを、間違いなく貼られるんだろう。 人にレッテルを貼りたがる奴って意外と多い。
世間ってやつは曖昧なことを嫌う。
白か黒か、善か悪か、幸か不幸か見極めないと気が済まない。
確かにお金はないし、頼れる人もいないし、ちょっと先の保証さえないと、ないものを数え上げたらきりがない。
おまけに子供は反抗期、しょっちゅうため息でるし、たまに涙もでる。
しかしだからって不幸とも限らないようにも思うのだ。
医者にいったら間違いなく、自律神経失調症だの更年期障害だのってもっともらしい名前つけられるんだろうなあ。
社会の通念から逸脱した者はうかうかと、もの思いにも耽れない。
「先生、でも私カラオケも、ダンスもあんまり楽しくないんです。
経済的にそんな場合じゃないっていうのもあるんですけど、パーと騒ぎたいって思わないんです。 長く営業やってたせいでしょうか?
サービス精神の残骸みたいな自分、感じちゃうんですね。
私ね、そこそこ優秀な営業マンでしたし、歌って踊れる営業マンっていうのかなり本気でめざしてました。
それはそれで張りのある毎日でした。
でもある気持ちのいい秋晴れの日のことです。
雲ひとつない秋の空を見ていたら急にです。
ちっぽけな入れ物の中で特有の価値観に踊らされてる自分が、猿回しの猿みたいに思えたんです。 滑稽なんです。
ブランドの服もバッグも、みせかけの家庭もあっと言う間に色褪せちゃって、野性に帰りたいって思ったんです。
それで取りあえず、いらないものを、片っ端から捨てたんです。
随分極端だと思うでしょ。 先生あきれないで聞いて少し長くなるけど・・・。
でもね、ふと立ち止まったら欲張って抱えてたもののほとんどが、意味のないガラクタだったってこと・・・。
そしたら自分が人間で、母だってことだけ残ったんです。
それはそれでスッキリしたんですけど、猿じゃなかったってことは面倒なことも沢山あって、周囲にはいろんな見方をされる・・・。
みんなが、捨てたくても捨てられないでいるものを、捨てた私の行き着く先は、不幸じゃないと帳尻があわないとでも思うんでしょうか。
鵜の目鷹の目探りが入る。
結末を見届けて早く「やっぱりねー」って納得したいんでしょうね。
ちょっと疲れてたら、華やかさが無くなったとつつかれ、早々に同情までされちゃう。 私は一人になって、もうすでに剥がれかけてる殻を脱いで、その中に見えてる柔らかい私を、外の風にも耐えうるように身づくろいしたいのに・・・。 そんなところは誰にも見られたくないのに・・・。
人って何をさて置いても、ハイテンションでなきゃならないんでしょうか。
面白くないことがあると、バカ騒ぎして酒呑んで、頭がからになるまで踊って、むりやりからにした頭にまたガラクタ詰め込む。
それだって十分不幸な上に悲しいと思うんです。
私が同情したい位。
家が面白くないから出かけて屯すのは少年だけじゃないですよ。
非行主婦は、身の守り方知ってるから、表にでないだけ。
先生!もしかしたら私、今とってもいい方向に向かってるんじゃないかと、思うんです。
ほら玄米食にすると最初体内の悪いものが出てきて、その後お肌がつるつるしたとかいうのと同じで・・・今その悪いものが出てる最中じゃないかと・・・。 それっておめでたい錯覚なんでしょうか?」
「そうですか・・・。 それは 非常におめでたいですね。 不幸から逃避するのに、これまた酷く屈折したものですね。
鬱になるというならわかりますが・・・。そんなことでは豊な老後はみこめませんよ」
「だって先生、老後、老後っていいますけど、老後の為だけに生きてるわけじゃないですよね」
「そうですね。 でも今の続きに老後があるんですよ。 だから豊な老後の為に今がんばっておくんです。 もう45才なんですから、少々のことは目を瞑って、現実を見ることです。ちなみにあなたは人は何の為に生きると思うのですか?」
「それがよく分からないんです。 愛なんて不確かなものだし、確かで普遍的なものなんてないように思える。 はっきり目に見えないから自信ないんです。 それは最近私のまわりをふわふわしてる。 でも寸でのことでつかまえられない。 泡みたいに消えてしまうんです。 何の為なんて考えなくても生きてるってこと、それだけでいいんじゃないかって思うんです」
「それはかなり重症ですね。 浮世離れ病と私達はいっているのですが・・・取り敢えず踊るんです。何も考えず、誰彼構わず手を繋ぐんです。
立ち止まってはいけません。 時代の波に乗るのです。
価値観の相違もなにもありません。 明らかに目に見える幸せに拘ることです。 大きな庭付の家に住んで、いい車に乗って、すきなところに旅行もしたい。 具体的な欲望を否定してはいけません。
欲望があるから人は頑張れる。 元来そういうものです。
いいですか、あなたは疲れてる。 さあベイビー! そこのベッドに横になって下さい。 心が柔らかくなって、テンションの上がる治療をしてみましょう。 いっしょにがんばりましょう」
「でも・・・がんばるって・・・」私は混乱をひとまとめに胃袋に追いやった。
第二章に つづきます。
また来ていただけたらうれしいです。