真紅
「あ、やべー…ちょっとティッシュくれない?」
「またぁ?お前ほんとよく鼻血出すよね。」
「いやぁホントだよな…病院行っても良くわかんねぇって言われてさ、「良くわかんねぇじゃねぇよ!」ってツッコミそうになったわ。」
「へへへ…でもお前そんなんじゃ、私服でも白いシャツとか着れないよな、真っ赤っかになりそう。」
「そうなんだよ〜。だから服も条件反射で赤っぽいやつ買っちゃうんだよ〜。そのせいでやたら派手なやつみたいになって恥ずかしいけどな〜」
「…やばい、乗り過ごした!」
時間を気にしながらもスパートをかけ仕事を終わらして、やっとこさの思いで乗った終電。安心感からかついつい寝過ごしてしまい自分で降りる駅から5つ先の駅で目覚めてしまった。
「結局タクシーかよ…情けねぇなぁ…」
しかし今は12月、忘年会シーズンということも重なりどこの駅前でもタクシーなんて止まっていなかった。
一抹の絶望を感じながら5駅分歩く事を決意したのであった。
すると愛用している型落ちのスマートフォンに1通の電話がかかってきた。
「もしもし。」
「おぉーもしもしー。オレオレ!田崎!」
「田崎って…鼻血の?」
「おぉい!そんな覚え方してんなよー!笑 今何してんだ?」
「いや仕事だったんだけど…電車で寝過ごして、駅前でタクシー拾って帰ろうと思ったんだけどさ、忘年会シーズンでタクシーが無くて歩いて帰ってたんだ。」
「ハハハ!地味に情けないことしてんな!笑」
「うるせーよ笑。…でもお前久々だけど、俺の連絡先知ってたっけ?」
「いや、人伝いに教えてもらってさ、ちょっとお前に用事があって。」
「用事?用事って何の?」
「用事って程のもんじゃないんだけどさ、お前今週の土曜日って何してる?」
「休みだけど…何があるの?」
「じゃあお願いなんだけどさ、テレビ見てくれないか?」
「はぁ?」
「まぁそうだよな、はぁ?だよな笑」
「いやマジで意味わかんねーよ。どゆこと?」
「なんていうかな…サプライズ!サプライズみたいなもんだな。」
「えぇ?マジで意味わかんねーよ」
「とりあえず土曜の夜7時になったらテレビつけてみてくれ!そんじゃーな!」
「いやちょっと待てよ…」
「あ、そうだ!またお前からティッシュもらうかもしんねーからそん時はよろしくな笑 じゃあおやすみ!」
突然の電話は始まりも終わりも突然だった。
「…あんな変なやつだったっけ…?」
そして土曜日。俺は洗濯して、掃除して、みたいな普通の休日を過ごしていた。しかし内心は普通などではない。あいつが何かを「しでかす」時は本当に何かを「しでかす」ことが多かったからだ。
昔、俺は今で言う「いじられキャラ」だった。
何の特徴も無い、Mr.平凡なのが自分の特徴であったのだが返ってそれが「いじりっ子」からしたらいじりがいがあったのだろう。
俺はそれを気にもしてなかったのだが、ある日、いじりっ子の1人が俺のポケットティッシュを取るだけ取って使わずにゴミ箱に捨ててしまった。
今考えても訳の分からん、何の生産性もないいじりだったのでさすがに俺は怒ってしまった。
これが見事に火に油でいじりっ子たちは喜び出して俺の色んなものをゴミ箱に捨てようとしたのであった。
流石に許せなくなったその時。
「何やってんの?」
「おぉ田崎、今こいつのものをゴミ箱に捨てるっていう遊びしてんだけど…お前も…」
「うるせぇ」
その瞬間。俺はおそらく人生で最初で最後である、人間が人間の右ストレートで教室の端から端まで吹っ飛ぶのを目撃してしまった。
「お前らがやってんのはいじりじゃなくていじめだ。次こいつにちょっかいかけたら全員ぶちのめすからな。ほら、行くぞ。」
「お、おう…」
いつも温厚で鼻血を垂れ流している田崎がこの時だけは真剣な顔つきだった。
「…なぁ…」
「んー?なんだ?」
「何で、助けてくれたんだ?」
「…お前ね、優しすぎるよ。」
「え?…」
「多分心のどこかで気付いてたんだろ?「これって本当にいじりなのかな?これはもういじめなんじゃないのかな」って。」
田崎は俺の心を見抜いていた。
最初はほんの軽いいじりだったのだが、抵抗しない事を良いことにそのいじりがだんだんエスカレートしていったのは事実だった。
俺はそれがいじめだと認識した途端、心が壊れていくのではないか、何より誰かに訴えた時にもっとひどい仕打ちを受けるのではないかと怯え、心の中で「これはいじりなんだ」「みんなかわいがってくれているんだ」という風に変換して、現実から逃げていたのだ。
「一つ、教えといてやる。」
「…何?」
「これはお前が抱え込んでる、お前が解決しないといけない、お前自身の問題だ。だけどそれを見て、それを感じて嫌な気持ちになってるのはお前だけじゃないってことだ。」
「…」
「俺は腹立ったから殴っちまった。殴っちまったことは後悔してるけど、少なくともあいつらに対して怒りを覚えたことに関しては、1ミリも後悔してないぜ。」
「…」
「次、あいつらがまたなんかちょっかいかけてきた時はお前自身で何とかするんだな。よっぽどヤバかったら助太刀はするけど。」
次の日、前日の一件でいきり立ったいじりっ子たちは一斉に俺に攻撃をしてきたが、俺はありったけの声量で反論をすると今までの事は何だったんだと言わんばかりの勢いで尻尾を巻いて逃げてしまった。
こんな簡単にスッキリできるのなら最初からすれば良かったのに。
また明くる日、俺は立ち向かうきっかけをくれた田崎にお礼を言おうと思いながら登校すると、田崎は転校していた。親の仕事の事情という説明は受けたものの、クラスメイトは誰もその事は知らずにこの学校から立ち去ってしまったのであった。
約束の時間になった。夕飯の支度をしてからポチッとテレビのリモコンの電源
ボタンを押した。
「これより、世界フライ級選手権試合を行います!」
歓声が飛び交う超満員の会場のど真ん中に、あの時の鼻血のような真っ赤なガウンを羽織った、あの時の顔つきをしている田崎が立っていた。
「嘘だろ…」
田崎は昔から俺がスポーツに疎いのを知っていたため、世界中の人たちに見守られている中、自分が世界に挑む事を知らないと分かっていたのだろう。
あまりにも突然だったので用意していた夕飯の事などはすっかり忘れ、テレビの前で思わず正座していた。
状況を飲み込む暇もなく試合が始まった。俺はボクシングについては無知中の無知なのだが、対戦相手の世界チャンピオンと田崎の間には得体の知れないプレッシャーが飛び交っているのが画面越しからでも計り知れた。
膠着状態のまま、試合は最終ラウンドへ。見ている限りでもお互いのスタミナは限界に近く。序盤のような素早いパンチは見られなくなっていた。するとチャンピオンの左ストレートが顔面を直撃した。
「あぁー!!!」
俺は思わず叫んでしまった。パンチを喰らってしまった田崎はフラつき、その場にゆっくり倒れてしまうのかと思いきや、グッと踏みとどまり豪快に鼻血を垂れ流しながら微笑んでいるのであった。
その顔はいつも俺にティッシュを貰おうとする時の、「またかー?」と言いながら微笑む顔と一緒だったのだ。
ダメージを確認したチャンピオンがもう1発渾身の左ストレートを打ち込んできた。
「もうダメだ。」
誰もがそう思った瞬間、チャンピオンの左ストレートと交差するように田崎の右ストレートがチャンピオンの顔面を捉え、チャンピオンはリングの端から端まで吹っ飛んでいった。
「あの時の…右ストレートだ…」
田崎は世界チャンピオンになってしまった。
テレビの前で起こった出来事に呆気にとられながらもそのまま勝利者インタビューが始まった。
「見事「新」世界フライ級チャンピオンに田崎祐志さんですー!」
「ありがとうございます!」
「かなり苦戦を強いられた今回の試合、最終ラウンドでは対戦相手の強烈なパンチで鼻から出血も見られましたが、ズバリ今回勝てた要因は何でしょうか?」
「うーん、僕はボクシング始める前から鼻血が出やすい体質でいつもよく鼻血流してたんですけど、昔学生時代の友達でいつもそれを見越してティッシュくれる奴がいたんですよ。何でか知らないけどパンチ喰らった時にそれを思い出しちゃって笑 それでリラックスして体の余計な力が抜けたのが最後のパンチに繋がりましたね笑」
「嘘つけよ…」
いつもはアイツの鼻血のために差し出していたティッシュだったけど、今日ばっかりは俺が涙と鼻をすするためのティッシュになってしまった。
試合後に田崎から電話がかかってきた。
「もしもしー!どうだった?ビックリしたろ!」
「ビックリも何も、お前すごすぎ笑 おめでとうな」
「終わった後のインタビューも見たか?」
「うん、全部見たよ。」
「あれさー本当なんだよな!本当に鼻血出た時にお前のこと思い出してさー」
「なんか恥ずかしいよ」
「で、最後の右ストレートも…」
「あの時の右ストレートだった、でしょ?」
「ハハハ!よく分かったなー!」
「でもお前の試合見たら元気もらったよ、最近仕事忙しくて元気もなかったからさ。」
「おー!そうだったのか!じゃあ俺も試合終わったし、今度飯行こうぜ!」
この時俺は世界チャンピオンになったお祝いに今度はポケットティッシュじゃなくて箱ティッシュを贈ろうと決意したのであった。
終
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