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精神の豊かさなくして生き甲斐は感じられない

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という言葉がある。古代ローマ時代の風刺詩人かつ弁護士であるユウェナリスが残した言葉だ。この言葉は一般的に「健全なる精神は健全な肉体があって宿るべきもの」だと解釈されているが、実際の意味合いは少し異なる。ユウェナリスは「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」ということを主張したかったみたいだが、現代では間違った解釈がなされている。ユウェナリスの伝えたいとする主張が一般大衆に一向伝わらず、むしろ誤って解釈されるとは何とも皮肉な話だ。

 僕は、ユウェナリスの主張に大いに賛同する。何故なら、この発言はまさに正鵠を射た発言といえるものだからだ。後世にまで受け継がれる言葉を思いついた彼は、人間にとって本当に大切なものは精神の豊かさであることに気が付いていた。ここでいう精神の豊かさとは何を意味するのだろう。
 
それを探っていく為の具体例として、認知症患者を例に挙げる。

 病院のベッドでひたすら臥せっている認知症患者は独力で生活することが難しい。彼らは看護師や周囲の人のサポートがなければ、満足に生活することができない。何故なら彼らのサポート無くしては、円満な日常生活を送ることはできないからだ。看護師に食事を口に運んでもらったり、着替えをさせてもらったりして彼らは何とか生活している。しかし、ご飯を食べても美味しいと感じられず、趣味すらなく、何をやっても楽しいと感じられない状態は生きていると言えるのか。人間は喜怒哀楽の感情があるからこそ、生きることに希望を見出して生の領域にとどまり続けることができるのに、それらの感情がなくなると当然生き甲斐は感じられなくなる。ただ身体が動いているだけでは人間は生きているとは言えないのだ。心と体は一心同体という言葉があるように、心と体の両方が健康で、活き活きと機能していなければ、本当の豊かさを手にすることはできない。身体が動いていても、精神が死んでいれば、それは死んでいるのと同然なのである。

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ただ生きているだけの生活は難しい

人はただ生きているだけで良いというけれど、その考えを持って生き続けるのは難しい。病気やけがをして寝たきりの生活をしている人は、ご飯を食べて風呂に入って寝るだけの生活を送っている。目標や希望もなく、ただ生きているだけの生活に生き甲斐を感じることは難しいだろう。そんな生活を長く続けていると、考えがどんどん厭世的になって死の誘惑に駆られることになる。そしてこのままテレビの画面を切るかのように、生の物語を終わらせようかといった考えが頭を掠め始める。そして実際にそれを実行する人もいる。

 このように人生を生きていく上では、肉体と精神のどちらも欠けてはならないのだ。従って、精神と肉体の関係性は切っても切り離せないとするユウェナリスの考えは、正に本質を突いたものである。自殺を思い留まらせるために、自殺願望のある人に対して、「ただ生きていればいい」と言葉を掛けるのは、本人を慰めているようで、本人の心を追い詰めている。人間はただ生きているだけでは満足できない生き物なのだから。