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DULL-COLORED POP『TOKYO LIVING MONOLOGUES』
DULL-COLORED POP『TOKYO LIVING MONOLOGUES』、12日の夜の部を体験してきた。
衝撃の舞台、取り急ぎの感想メモ。
そもそも会場からして不思議空間だった。最寄り駅の小川町に降り立ち、Googleマップを頼りに探すが、場所がわからない。見れば、小さな張り紙がひとつ。ほんとうにマンションの一室のようなスペースだった。
4つのお部屋がそれぞれ、一人暮らしの4人の男女の部屋になっている。観客は中央のスペースから、どの部屋を覗き見ても良い、という仕掛けだ。
以下、私の気持ちの変化を正確に振り返っておこう。
最初は正直、うんざりした。まるで自分の部屋の汚いところ、恥ずかしいところ、見せたくないところを見せつけられているよう。「ひとり暮らしあるある」の容赦ない描写にも参った。
だが、そのうちに一つひとつのお部屋に対して興味津々になってきた。なんだかワクワク面白くなってきた。たしかに汚いかも、散らかってるかも知れない。だがそれは、カオスで秘密がいっぱいのワンダーランド、とも言い換えることができる。きっと誰だってそうだ。私の部屋だって…。
観客の目線は四方八方を向いている。あちこちで色々な事件は起こっている、つまり舞台となるべき場面はあちこちに存在するものなのだ。一方向を強制的に向けさせられる劇場って案外窮屈なものなのかもしれないと気付かされる。
そのうち、だんだん怖くなってくる。孤独な人たちの集まりとしての集合住宅。都会に林立するマンションも透かして見ればこんな感じなのかなと考えると怖い。しかも、それぞれが思いがけないところで繋がっていたりする。それはSNS社会の怖さである。
ここで描かれるのは、テレビドラマに出てくるようなステレオタイプではない。リアルな日常生活を見てしまった感がある。それは思っているよりずっと、それぞれに個性的で、もっというと異常だった。つまり「私ひとり変なのかも?」というのは杞憂で、その異常さが現代のスタンダードなのだ。
一人ひとりは孤独でバラバラ。それぞれに異常。その異常さという現代のスタンダードが集まると、世の中とんでもなく異常な方向に向かってしまう可能性がある。たたみかけるようなラストはそんなことを暗示しているのかもしれない。
そうならないためにも、せめて自分は周りの人たちともっと優しく温かくつながり合っていこう。観終わったあと殊勝にも、そんなことを小さく決意した。
黒っぽい服で来てくださいと言われた。入場時に仮面を渡された。黒服は演出上の都合、仮面はプライバシー保護のためなのかなと思ったが、それだけでもないのかもと気付いた。4人の部屋を覗き見る観客はいわば、互いを監視し合う大衆ということなのでは? つまり、知らないうちに仮面と黒服で「大衆」という役を演じさせられていたのかもしれない。
※画像はフォトギャラリーで「孤独」と検索して出てきたものから使わせていただきました。
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