『プロミセス・プロミセス』の感想がうまくまとまらない話
本当は、公演評としてばっちりまとめたいなと思っていたのだ。
…が、どうにもうまくまとまらない。
でも、このモヤモヤした気持ちは記録しておきたく、これを書くことにした。
名作映画『アパートの鍵貸します』を、喜劇王ニール・サイモンが脚色。1968年にブロードウェイで初演された作品。バート・バカラック(作曲)とハル・デヴィッド(作詞)による音楽が全編を彩る…なーんていう前置きは、もう良いですね。極私的な記録だし。
いってしまえば「不倫」のお話である。正直、上演が発表されたときは「えっ??このテーマをタカラヅカで取り上げるの?」とびっくりだった。ところが、幕が開いてみると、皆さんこのコメディに大笑いし、ハッピーエンドを楽しんでいる風である。
ただ、私はそんなに気楽に笑えなかったのである…。
傷つき追い詰められるフラウ(天彩峰里)があまりに痛々しくて。「ダメっ!!!少しも早く、そんな男とは別れなきゃ!!!!!」と、心の中で百万回ほど叫びたくなっちゃった。
いっぽう、シェルドレイク人事部長(和希そら)に関しては、夢を売るタカラヅカの男役として、こんな引き出しまで増やしちゃって良いのかしら?と、むしろ心配になるほどだった(褒めてます)。
みねりフラウ、最後は悪縁?を断ち切り幸せになってくれて本当に本当に良かった…。そう思ういっぽうで、勧善懲悪的なラストを見ながら、全てを失ったそら部長の行く末を案じたくもなってしまった。
一歩間違えばセクハラパワハラな4人の重役たちを絶妙に魅力的なイケオジに仕上げてしまう、清く美しいタカラヅカパワーにはひれ伏したくなった。曇りなき心で役作りを探求するタカラジェンヌには感動しかなかった。
そんな私の、どうにもしんどい部分を芹香チャックの天真爛漫な明るさがカバーしてくれた感じである。
たとえ「名前も正しく覚えてもらえない地味な男」という設定であっても、ミュージカルの舞台で主役はやっぱり愛すべき存在であって欲しいもの。芹香さんの温かく柔らかな華やかさは、その条件を満たすのにぴったりだった。コメディエンヌとしてのセンスも存分に発揮され、まさにハマり役だったといって良いのだろう。
楽しそうな皆さんから、やや置いてけぼりを食わされたような気がしてしまった私。もしかして、心が病んでいるのかしら?と心配になったので、映画『アパートの鍵貸します』を見直してみることにした。
すると…
映画は、心置きなく楽しめたのである。
物語から適切な距離を取って、冷静に眺めていられる自分が心地よかった。
フラウのことも「可愛いなあ〜〜でも男性を見る目は残念な子だなあ〜〜」と、過剰に思い入れすることもなく眺めていられたし、シェルドレイク部長の顛末についても「致し方ないよね」と自分の中でばっさり切り捨てることができた。
何故こんなふうに違うのだろう。
もともとタカラヅカの舞台を観るときの自分の立ち位置が、近すぎるのだろうか?
それとも「映画」と「舞台」を見るときの立ち位置の違いなのだろうか?
あるいは、映画とタカラヅカそれぞれの役づくりの違いゆえなのだろうか?
何となく、タカラヅカ版の方がフラウもシェルドレイクもウェットな気がする。とくにシェルドレイクに関しては映画よりはるかにフラウへの想いが純粋な気がした。
謎は解けぬままである。
ただ、こんな作品をちゃんと成立させうるところまで進化してしまったのねタカラヅカ!ということだけは確実に言える。すごいぜ宙組。
「皆さんこのコメディに大笑いし、ハッピーエンドを楽しんでいる風」と最初に書いたけれど、もしかすると一人ひとりの心の奥底には色んな思いがあるのかも、とも思う。
それをあえて見せずに明るく笑うのが、このコメディの大人の楽しみ方なのかも知れない。
ご覧になった皆さんは、いかがでしたか?