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『バイオーム』にモヤモヤし続けた話

作者の上田久美子先生は「起承転結のあるストーリーを作ることから解放されたかった」とのこと(プログラムより)。
だとすれば私も、きっちりまとまった感想なぞ書かなくてもいい、この数日、この作品と向き合ってモヤモヤし続けた私をありのままに綴ってみよう、そう思い立って、これを書き始めてみます。

◆1度目の観劇

じつは私、この作品の公演評を書く気満々でした。
何せ、あのウエクミ先生のタカラヅカ退団後の第一作、しかも制作発表でのお話を聞く限りでは何やら斬新、これは何か書かない手はないでしょう、と。

ところが、観終わって困ってしまいました。
面白くなかった…。
つまり、私が思う「面白い舞台」で必ず感じる、作品世界にぐぐぐぐぐっと引き込まれる感じが全然なかったのです。

何故か?
色々考えました。

政治家一家の物語と、その庭にある植物たちの物語を、一人二役で並行して進めるという趣向は、確かに斬新でした。
それぞれの役者さんに対する、人間と植物の役の振り分け方(たとえば、麻実れいさんには一家の鍵を握るふきさんと庭の主のようなクロマツ、など)にも意味がありそうで、面白いなと感じました。

でも、人間側、つまり政治家一家のドロドロ愛憎劇は、ありがちといえばありがちで陳腐に感じられました。この方向に斬り込む系統であれば、他に面白い作品はいくらもあるし、ウエクミ先生の魅力が発揮されるのはこの路線じゃない気が。全ての鍵をふきさん(麻実れいさん)に握らせるのも無理がある気がしたし、説明過多な箇所が多々あるのも気になりました。

むしろウエクミ先生の経験値と強みが活かされたのは植物の物語の方だと思いました。でも、植物の世界には人間とは違う時間軸が流れているよねという設定には、それほど新鮮味は感じられませんでした。

「これは果たして朗読劇なのか?」ということも気になりました。
絵本の読み聞かせをやっている友人曰く「朗読劇とは、引き算の演劇」だと。確かにその通りで、余計な装飾を一切廃して、戯曲の言葉の力だけで聴き手の想像力を喚起させるのが朗読劇じゃないのでしょうか。だとすれば、『バイオーム』は朗読劇じゃない。
たまたま植物劇と人間劇に分かれていて、役者が動かない植物劇の方がたまたま朗読劇のように見えてしまうだけ。
かたや人間劇の方は完全にごく普通の演劇で、それが証拠に役者さんはどんどん動いて、場面によっては本も手放している。だとすると、どうも中途半端な演劇に思えてしまいます。

◆その後…

ところが、Twitterをみると絶賛コメントが続々。
そうなると、途端に自分に自信がなくなってしまうのが情けない。まるで正解を求めるかのように、自分に近いコメントを探すけれど、なかなか見つからない。
これは私の感性がどこかおかしいんじゃないか、何か受け取るべきものを受け取れてないのではないか?
…だんだん不安になってきます。

いっぽう、友人にも手当たり次第に感想を聞きまくりましたが、少なくとも私の周辺の人たちの感想はどちらかというと私の評価に近いものでした。「5点満点でいうと何点?」という質問をしてまわったところ、3点台の人が多かったのです。

このギャップは如何に?…この作品は果たして「面白い」の?
モヤモヤな日が続きました。これを晴らすためにも、もう一度自分の目で確かめたい。「面白い」かどうかは自分で見定めるしかないのだ…そんな思いが次第に募ります。
観るとしたら、12日の千秋楽しかない。もともとこの日は終日家で仕事をするつもりでした。それを観劇で潰すのはどうかと思ったけれど、さりとてこのままモヤモヤしているともっと仕事に支障をきたしそうでもある。

それで結局、観ることに決めて、おけぴをポチったのです。
11日夜『ガイズ&ドールズ』幕間のことでした。

◆千秋楽リベンジ観劇

1幕は前回よりも面白く観ている自分がいました。

・理由その1
この作品ってむしろ植物側が主軸の物語なのでは? そう気付き、そういう目線で見ると色々としっくりきました。そうなると、人間の物語は植物たちの覗き見の対象だから陳腐でオッケー、むしろ陳腐であるべきです。
植物からの目線を意識しつつ演じる人間の役はどことなく滑稽味を感じさせるし、植物の役の方は、どれも前回より力強さが増している気がしました。

・理由その2
2度目の観劇は3階席からだったのですが、この作品、ある程度後方から見た方が装置の美しさが堪能できるし、全体を俯瞰することで独特の世界観が体感できる気がします。

・理由その3
これはタカラヅカあるあるですが、この作品も2回観て味わえる面白さがあるようです。とくに、全てを握っているふきさんのセリフは2回観ると色々含みが多く、彼女の執着がひしひしと伝わってきました。確か、観劇&配信という謎のセット券が販売されていたけれど、もしかしてこれを感じさせることが狙いだったのかも、と思ったりしました。

でも2幕はやっぱり、説明的すぎると感じてしまったし、ちょっと生理的に受け付けないところや、唐突な展開に違和感を感じるところもありました。
「植物から見た人間世界の物語」という構成自体がどんどん崩れていき、さらに、主軸であったはずの植物の世界自体も最後には破壊されてしまって大混乱。いつしか植物目線になって観ていた私の穏やかさもぶち壊され、唖然としたまま幕が降りました。これぞ諸行無常。
「作品世界にぐぐぐぐぐっと引き込まれる感じ」は、やっぱり最後まで感じることはできなかったのです。

ただ、人間の心が宿ってしまったクロマツの盆栽(野添義弘さん)がルイに対して「死なないで!」と願う姿を見たときは、愛する人たちに「死なないで!」と思える「人間」っていいな、やっぱり植物じゃなくて人間で良かったと、ふと思ったのでした

役者さんたち、皆さん素晴らしかったです。
…ということは最初の観劇時も感じていましたが、千秋楽にその思いをより一層強くしました。
それぞれが違う魅力と役割で作品を支えておられるさまが、まるでこのお話の植物たちが作り上げている庭の生態系のようでした。

結局、モヤモヤが晴れることはありませんでした。
でも悟ったのです。モヤモヤのままで良いのでは?ということに。
このモヤモヤを抱えたままでいられる懐の深さを持ちたいものです。

「面白い」とか「面白くない」とか評価することも、もはや意味がないことに思えてきました。もっとも私自身、1週間近くこの作品とその周辺部分に翻弄され続けていたわけで、そのこと自体がすでに「面白い」と言われてしまいそうですが。

先に挙げた評価のギャップについても、なぜそうなるか仮説はいくつか考えられます。ですがそもそも、そういうギャップさえも呑み込んでしまうのが、この作品そしてウエクミ先生の持つパワーなのかも知れません。

そして、ふと思いました…。
もしかしてこの作品、「感動」とか「カタルシス」とか「理解」とか「学び」とか求めがちな私たち観客に対する復讐なんじゃないか、とも。

以上。
納得いくまでとことん向き合うことが、この作品への誠意かなと思ったので、しつこく考え、長々書きました。
そして、私もまた「ウエクミ先生のこれから」を引き続き楽しみにしている一人であることには変わりありません。

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中本千晶
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