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2021年4月24日の気持ち

あまりネガティブなことは書きたくないのだけど、今日はちょっと書きます。

この度の緊急事態宣言による「劇場への無観客開催の要請」により、ほぼ全ての公演が中止となった。そして、またしても何枚かのチケットが天に召されてしまった。
今、どうしようもなくやるせない気持ちだ。

とはいえ「公演が中止になりチケットが天に召される」ことは、コロナ禍になってから何度もあったはずなのだ。
しかし、これほどまでに無力感にさいなまされたことはなかった。
何故だろう?? そのことを少し考えてみたいと思う。

昨年の4月、初の緊急事態宣言が発令されたときも、舞台はすべて中止になり大量のチケットが天に召された。
でも、この時は色々なことがよくわかっていなかったし、その割には「今どういう状況で、なぜこういう措置が必要なのか」の説明が「8割おじさん」などによって、今より遥かにロジカルになされていたように思う。

7月のタカラヅカ星組公演の際、感染者が一人出たために公演中止になったことがあった。
このときは私にとっては待望の新人公演のチケットを確保していたのでそれなりに残念だったはずなのだが、今より遥かに諦めのつく残念さだった。
なにせ感染者が出たというのだから、これはもう仕方がないないと思えたのだろう。

今年の1月に緊急事態宣言が出たが、このときは公演中止という事態は避けられた。このときは、結論が出るまでのイライラ感と公演続行が確定してからの安堵感の落差に自分でも驚いた。
今にして思えば、今日のこの気持ちの種は、この頃からすでにあったのだと思われる。
このときは幸いにして公演続行したから、その芽が噴き出さずに済んだのだ。政府との交渉ごとに尽力してくださった方々には感謝しかない。

そして今回である。
最初の緊急事態宣言の時に言われていたのは「このままでは医療が崩壊する。体制を作るために時間が必要」だということだった。
それは実にもっともだし、協力せねばという気になった。

そして、あれから1年経った。
相変わらず「このままでは医療が崩壊する」と言われている。
1年、時間はあったのだ。その間、何が改善されたのかが全く伝わってこない(ように感じる、もちろんそれぞれの現場で尽力されている方はたくさんいらっしゃるのだろうけど)。
それどころか「実は医療は崩壊していない」という情報の方に説得力のあるものが目についてしまう。

いっぽう演劇界は涙ぐましい努力で何とか公演を続けてきている。それでも感染者の発生で突然公演中止になることは今でも珍しくない。薄氷を踏む思いでの努力が功を奏して、昨年の6月の事件で騒がれて以降は問題を起こさず今に至っている。

端的にいうならば、
「何ら実効性ある施策を打てていない政府に、努力を重ね感染リスクを抑えてきた人たちが、なぜ犠牲を強いられなければならないのか?」
ということなのだ。
つまり目的と手段が全然結びついていない感じがする。
これは演劇界に限った話ではない、他に制約を強いられている業界の方々も同様に感じているのではないだろうか?

それに・・・観客あっての演劇に対して「無観客開催の要請」って・・・何だそれ!?!?
「観客入れずにライブ配信すればいいでしょ」という譲歩のつもりかもしれないが、現実問題としていきなりそれは不可能だ。
ここでも演劇への無理解が透けて見えてしまって本当に哀しくなる。

元来こういうことを書くのはあまり好きじゃないし、得意でもない。
でも、書いてモヤモヤを整理したかったというのもあるし、今のこの気持ちは記録に残しておくべきだという気がしたので、書いてみた。

不満ばかり言っているのも好きじゃないので、少し元気がチャージされたところで、自分にできることを考え始めていきたい。
まず、このゴールデンウィークをどう過ごすか?
そして、少し長い目で見て、何をすべきなのか??


※写真は昨日まさに芽が出たばかりのミニトマト。
昨日からの今日でこの成長ぶり。
荒んだ心も少しだけ和む…かな。

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中本千晶
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