別役実『あーぶくたった、にいたった』を観て、ぞわぞわした話
新国立劇場の、スケジュールに追われることなくじっくりものづくりをしようという「こつこつプロジェクト」から生まれた作品だ。
別役実さんの不条理劇「小市民シリーズ」の代表作のひとつ、なのだそうだ。演出は、西沢栄治さん。
作品解説としては、公式サイトに掲載されていた内田洋一さんの寄稿がわかりやすい。
だが、私は別役ワールドに全く明るくないので、以下は小市民中本の等身大の感想である。
1時間45分のお芝居。
正直言って、早く終われ〜〜と思っている自分がいた。別に、つまらないわけではない。だが、胸を抉られる感じがある。ぞわぞわする。辛い…。
おそらく高度経済成長期の、どこにでもいそうな夫婦の、結婚式の場面からこの芝居は始まる。
やがて、この夫婦の行く末のような場面が続いたかと思えば、別の男女が出てきて、突拍子もない事件が次々起こる。ところが、この一見別の男女も、じつは主人公の夫婦のなれの果てのようであったり、若かりし頃のようでもあったりする。つまり全体として、極めて普遍的な人間(小市民)の姿を描いているということではないかと思う。
人生とは不幸せで、意味などなく、臭気を放っていて、生きた証など決して残したくないもの。そう突きつけられるのは辛いが、共感してしまう自分も確かにいる。
見てはいけないものを見てしまった感じの舞台だった。それもまた、演劇の効用なのだ、きっと。誤解なきよう言うが、この作品、観てよかったとは思っているのである。
そして終わったあと、そこから目を塞いで過ごす平凡な日常に戻れて、ほっとした。見えていないこと、鈍感であること、逃げることも、あながち悪くないじゃないか。それもまた人間だ。
セリフの端々に、本質をついた一言が散りばめられている。中でも、珍しく好きだなと思えたのは「許すこと、愛するということは、そこに住まうということ」というセリフだ。
私はせめてちゃんとここに、住まおう。
タイトルの「あーぶくたった、にいたった」はわらべ歌だ。
この作品では、場面が切り替わるときに子どもの声で流れるんだけど、不思議と不気味に聞こえる。
そういえば私も子どもの頃、鬼ごっこの時に歌っていた。
「もう煮えた〜」で鬼が捕まえにくるのが怖かったことを、ふと思い出した。