映画『ブータン 山の教室』
岩波ホールが座席数半減でも上演を続けるとのことだったので、『ブータン 山の教室』見に行ってきました。絶対見逃したくないと思っていた作品だったので、ラッキー。
主人公ウゲンは首都ティンプーのいかにも今どきの若者。教職は取ったもののやる気全然なし。オーストラリアに行ってミュージシャンになることを夢見ています。
その彼が、ブータン随一の僻地、ルナナ村への赴任を命じられてしまう。ティンプーからは8日間かかり、うち7日は山道を徒歩で移動。電気も通っておらず、紙も貴重品という筋金入りの僻地です。
村人の心づくしの歓迎に対してもウゲンは感謝のかけらもなく、礼儀知らずで最初はホント感じ悪いのですが(笑)、それが村の人たちとの生活の中でだんだん変わっていく、というお話。
・・・そう書くといかにも陳腐ですが、ウゲンのいかにも今どきな若者っぷりも、ルナナ村の人たちの暮らしも、リアルに等身大に描かれていて、安易な田舎礼賛にも都市生活批判のどちらにも陥ることがありません。予想に反して「ブータンの大自然素晴らしいっ」というお話ではありませんでした。いやもちろん、その美しさに目を見張る瞬間はたくさんあるのですが。
廃校同然に寂れたボロボロの教室を前にウゲンが立ちすくむシーンで何故かわからないけど、突然涙が出てきてしまった・・・ここで泣きますか私?この涙の意味は何?と我ながら謎。以前東ティモールに行ったときのことを突然思い出しました。戦禍から立ち直り始めたばかりの頃のあの国の学校も、確かこんな感じだったな。それこそ演劇もへったくれもなかったよなあ、と。
ブータン出身の写真家パオ・チョンニ・ドルジ氏の映画監督デビュー作なんだそうです。実際のルナナ村の人たちが出演しており、なんと映画のポスターにも登場している笑顔の素敵な女の子も村の子なんだそうな。しかも、映画の中で優等生で、でも家庭的には気の毒な境遇にある女の子として描かれるペム・ザムは、そのまま実際の彼女だと知ってびっくり。
「世界一幸せな国」といわれるブータンからの「幸せって何?」という問いかけは考えさせられるものがあります。でも、最後には結局、今の自分自身の生活の中で地に足つけて「幸せ」を見つけていこうと、心はブータンではなくちゃんと日本に立ち戻って来られたのは何故だろう。それは、この作品の結末の妙かもしれません。
ルナナ村に残されている美しい自然も伝統も、もちろん大切。大切だとはわかりつつ文明化の圧倒的な波に押し流されていってしまう。それは歴史の大きな流れであり、もはやそこに抗うことはできない。そんな諦観と、それでもなお大切だと思うものは大切にして生きていこうという力強い意思。ラストのウゲンからは、その両方が感じられた気がしました。それは何もブータンに限った話ではない、普遍的な問題提起のように思います。
そして、この作品を通してもうひとつ考えさせられたこと、それは「歌うこと」、もっと広げていうと「表現すること」の意味でした。
目下、緊急事態宣言での事実上の公演中止要請に対してぎゃんぎゃん憤ったりしていますが、そんな今だからこそ、何故私たちは「表現したくなる」のか、その根源的な意味に立ち戻ってみてもいいのかもしれないなと、ふとそんなことを思ったり。おそらく、ルナナ村の人たちはコロナ禍とか関係なく、今日も「ヤクに捧げる歌」を歌っているのでしょうから。
予定より少し早めに着いたので、神保町を散策しました。もしかしてコロナ禍以降初めてかも。
レトロ喫茶ラドリオが健在で嬉しかったなー。
でも、古書店街はほとんど閉まってました(涙)