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ミュージカル『HOPE』
「ベストセラー作家が残した原稿の所有者は誰なのか?」を巡る法廷劇だと聞いていた。実際にイスラエルで起こった裁判をモチーフとしているそうだが、イメージしていた法廷劇とは違っていた。弁護士と検察官が丁々発止の議論を戦わせる舞台ではなかった。
つまりこれは「自分の人生をどう裁くか」という物語なのだ。
舞台はイスラエル、テルアビブの法廷。ユダヤ人の有名作家ヨーゼフ・クラインの遺稿の所有権を巡って、国立図書館と老女エヴァ・ホープが争っている。30年にわたる裁判が結審しようとしているその日、法廷に出かけるのを渋るホープの背中を同居しているK(実は原稿の化身)がそっと押す。何故ホープは原稿の所有にこだわり続けるのだろう? ホープによる回想がはじまった。
第二次世界大戦前夜のチェコスロバキア、無名のまま亡くなったヨーゼフ・クラインの才能を惜しむ親友ベルトが、その遺稿を恋人のマリーに託したのがことの始まりだった。
ユダヤ人への迫害が激化する中、マリーと娘ホープもまた強制収容所に送られる。修羅場にあってもなお、まるで恋人そのものであるかのように原稿に執着し続けるマリー。複雑な思いを抱きながらも、ホープは母と原稿を守るため手段を選ばず生き抜こうとする。
だが戦争は人の心も物の価値も変えてしまった。ベルトは別の女性と家庭を持っており、マリーのもとから去っていく。いっぽうヨーゼフ・クラインの作品は一躍脚光を浴び、マリーの手元に残された遺稿は突如として財産的価値が跳ね上がっていた。
なおも戦火が続くパレスチナでホープはカレルという男性と出会い恋に落ちる。だが、カレルは遺稿の半分をオークションで売って手に入れたお金を全て持って一人で去っていった。
人を裏切り、裏切られ、ボロボロになったホープに残されたものは、あれほど自分を翻弄し続けた「原稿」しかなかった。そしてホープは「原稿」と共に自分を閉じ込めて生きてきたのだが…。そんなホープの人生に、原稿の化身であるKが「判決」を下す…。
創作物としてベルトが心から愛した「原稿」は、マリーにとっては愛のくびきとなり、やがて財産的価値を持ち始めた「原稿」をカレルは利用する。この価値の変質の中で翻弄され続けるのがホープの人生だった。
だが、驚くべきことに、おそらくホープは原稿をまったく読んでいないのだ。素晴らしいと言われるその内容がどんなものなのかにも興味を示さない。
その「原稿」に縛られ続けたホープは、「私の物語など誰も気に留めない」と嘆く。ところが他ならぬそのホープ自身の「物語」を観客たちは今、注視し胸打たれていることにハッとしせられる。人は誰しも自分の物語を生きる自由があるし、それら一つひとつがかけがえのないものだ。誰も気に留めない物語など、ひとつもない。じつに鮮やかな視点の転換である。
なおも躊躇するホープに対する「夕焼けが広がる空は美しいですよ」という言葉にも勇気づけられる。人はいくつになっても物語の続きを紡ぐことができるのだ。高齢化社会日本にぴったりの一言だなと思う。
若き日のホープを演じる清水くるみのエネルギッシュな芝居に圧倒された。老年のホープ役の高橋惠子の諦観との落差が、彼女の激動の人生をよく表しているようだ。それだけに、ホープが最後に見せる笑顔の清々しさに気持ちが救われるようだった。彼女に寄り添うK(永田崇人・小林亮太のWキャスト)の透明感も美しかった。
もともとは韓国発のミュージカルである。2017年、韓国芸術総合学校の卒業制作として誕生し、2019年に初演されて話題を呼んだ作品とのこと。ノンストップ2時間の濃密な舞台を、法廷の書記の席に設られた2台のピアノ生演奏による音楽がさらに盛り上げてくれる。
新納慎也が上演台本・訳詞・演出に初挑戦したことでも注目された作品だった。これまで舞台では直球の二枚目から変化球まで幅広い役どころを見せ、映像の世界でも大河ドラマで一躍知られるようになった新納が、演出という新たなジャンルでの今後どのように活躍の場を広げていくのかも楽しみになった。
※公式サイトはこちら
※別の媒体に掲載予定で執筆しましたが、諸事情により掲載できなくなった公演評です。作品には罪はないので、こちらにて紹介させていただきます。
※画像は「希望」で検索して出てきたものから選ばせていただきました。
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