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RUM RHUM RON 〜素晴らしきラム酒の世界へ〜 オススメのラム酒Prat3 【BACARDI(バカルディ)】

ども、のりおです。
今日のオススメのラムはこちら!!

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世界No. 1ラム BACARDI(バカルディ)

何が世界No. 1って…?
世界で一番飲まれているって事です。
実際に大手チェーン居酒屋なんかでもラムハイなるものがこのバカルディの写真と一緒にメニューに載っていたり、モヒートのベースリキュールが売られていたり(ピニャコラーダもあった様な気がしますが…)、皆さんの目に留まることも多くなってきましたよね。
カクテルベースのラムといえばコレを使っているBARも多いのではないでしょうか。

そんなバカルディは1862年、スペインからキューバへ移住してきたドン・ファクンド・バカルディ・マッソによってキューバー第2の都市サンティアゴ・デ・キューバで創業されました。
当時はそれまでの荒削りな味わいのサトウキビのスピリッツ『アグアルディエンテ』(燃える水の意)と呼ばれていたものから、ライトでスムースな洗練された味わいのものが好まれる様になってきていた。
ドン・ファクンドはその様な味覚を好む人たちを満たす味わいを作るべく10年もの間、研究を重ねたという。
コンセプトは『ロン・リヘロ』(ライトラムの意)
そして、出来上がったラムは、飲み続けても飽きないバランスの良さ、カクテルベースとしても使用しやすいクリアな味わいで、多くのバーテンダーに注目された。

バット・デバイスの採用

バカルディは当時、文盲率の高かったキューバ国民にこのラムを広めるために、ブランドトレードマークを親しみやすいデザインとするアイデアを考えた。
それは当時のスペインでは幸運、健康、家族の団結のシンボルとされていたフルーツバット(コウモリ)をラベルの絵柄とすることだった。
実はこのアイデアを思いついたのは妻のドーニャアマリアで、彼女が蒸留所に入った時に垂木からコウモリがぶら下がっているのを見て、思いついたという。
彼女はキューバの先住民、ダイノス族がコウモリを”全ての文化や財産の所有者”とみなしていたことを知っており、コウモリをブランドマークにすることを提案したという。
これがバカルディのブランドマーク『バット・デバイス』である。印象的なデザインで自社のラムを認識しやすく、手に取りやすくするための工夫だった。
その後、バカルディを使ったカクテルである”ダイキリ”や”クバ・リブレ”が世界的に人気となり、バカルディの販売数が飛躍的に増加。そのため1910年にバルセロナに工場を設け、ボトリングを開始した。やがて事業拡大が進み、キューバで最初の多国籍企業となり、1931年にメキシコ、1936年にプエルト・リコに蒸留所を建設。
ちょうど禁酒法時代だったアメリカの人々にとって、絶好のリゾート地キューバで味わうバカルディは高い人気を誇り、広く認知される様になった。
その後1959年、カストロによるキューバ革命で社会主義国家となり、バカルディは資産が没収されたため、秘伝のイースト菌を持って亡命。バハマ、カナダ、アメリカに新しく工場を設立した後、1966年に本社をバミューダへ移転。1979年に世界No. 1の販売量を誇るラムとなった。

製法

モラセス(廃糖蜜)にドン・ファクンドが開発した『La Levadura Bacardi』と呼ばれる独自の天然イースト酵母で24時間から36時間発酵。発酵後のアルコール度数8〜10°の発酵液を2種類造る。
1つはアグアルディエンテ用で1回蒸留してできた70°のアルコールであり、もう1つはレディスティラードと言う5回蒸留してできた92.5°のアルコールである。
それぞれ業界初のチャコールフィルターで濾過をし、バーボン樽で1年熟成する。熟成後にもう1度チャコールフィルターで濾過をして透明に戻す。
その後、2種類をブレンドして、蒸留水で加水してボトリングをしている。

バカルディを使ったカクテル

バカルディは”混ぜ合わせることができるラム”という特徴が当時のラムとしては画期的だった。そこから、バカルディを使ったカクテルが人気となり、その後もバカルディはカクテル文化を牽引してきたと言える
【モヒート】
1586年、モヒートの原型でアグアルディエンテベースのカクテル『エル・ドラケ』がリチャード・ドラケによってキューバに伝えられる。1920年代からバカルディを使う様になり、『モヒート』として広まる。

【バカルディ】
1933年、禁酒法廃止を機にバカルディが販促用カクテルとして考案。バカルディホワイトの使用が指定されている。1936年、ニューヨーク州高位裁判所がバカルディ以外を使用したBARに対し、『バカルディを使わなければならない』と言う判決を下したことは有名な話である。

【キューバリブレ(クバリブレ)】
1898年にスペインからの独立を助けるために戦ったアメリカ兵が、ラムにコーラとライムを合わせたのが始まり。1900年にアメリカ通信部隊のラッセル大尉が『ビバ・クバ・リブレ!(自由なるキューバ万歳!)』と叫び、それ以来、キューバリブレ(クバリブレ)として親しまれている。

【ダイキリ】
1898年、キューバで働いていたアメリカ人鉱山技師ジェニングス・コックスが仕事の後に喉の渇きを癒すためにバカルディに砂糖、ライムを加え、冷やして飲んだのが始まり。コックスは働いていた鉱山の名前を取り『ダイキリ』と名付けた。
ヘミングウェイがハバナのBAR、フロリディータで愛飲したのは、ラムダブル、砂糖抜きのフローズン・ダイキリである。

【ピニャコラーダ】
1954年、プエルト・リコのカリブ・ヒルトン・ホテルのバーテンダー、ラモン・マレロ氏が、バカルディスペリオール、パインジュース、ココナッツジュースをミックスしたとされている。

参考文献:ラム酒大全 定番銘柄100本の全知識 日本ラム協会著

最初にも書いたけど、本当に辛口で軽くすっきりしたクリアなラム。と言うかバカルディのホワイトはそのまま飲んでる人はほとんどいません。大体がカクテルベースです。ラムハイが飲めるお店も増えてきているので見つけたら飲んでみてください。自分でラムハイを作る際はサトウキビシロップをティースプーン1杯ぐらいを入れると美味しくなりますよ!!

ではでは。

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