中本正樹

Nakamasagas(なかまさがす)代表/文化庁派遣支援員/全国公立文化施設協会コー…

中本正樹

Nakamasagas(なかまさがす)代表/文化庁派遣支援員/全国公立文化施設協会コーディネーター/茨城県まちづくりアドバイザー/株式会社カゼグミ シティプロモーション・広報ディレクター/日本経営協会講師/シティプロモーションアワード実行委員会委員

最近の記事

公務員を辞めるまで#5

毎年9月に「来年も公務員続けるの?」と自分に指を向けて10年。地方創生、全国ヨーグルトサミット、シティプロモーション立ち上げ、広報おみたま改革、みの〜れ改革。一瞬たりとも気が休まることがない、充実した時間でした。 「10年あっという間だったな」。この先もあっという間に月日が流れてしまいそうで、10年先の自分が後悔しないだろうかと自問自答。自分に踏ん切りをつけるためにも「次、辞めるキッカケになるような出来事があったら決断しよう」と決めたら、すぐに来ました(笑)上司にその場で「

    • 公務員を辞めるまで#4

      「公務員を辞めて別の道へ」と動き始めたのは11年前。四季文化館みの〜れ誕生前後9年、小川文化センターアピオス改革を5年。文化行政通算14年(のちに2年間追加で16年)経験後に市長公室政策調整課への異動が決まったときのことです。 文化ホール職員としてやりがいと手応えを感じていた私は、「フツウの公務員」としての生活が自分を殺して生きることとイコールに思えてならず(のちに自分の考えが浅はかであったことを思い知りますが)何人かの方に相談しました。 そのとき「住民の人たちに寄り添っ

      • 公務員を辞めるまで#3

        父が亡くなったことをきっかけに、自分の命の使い道を模索し始めた頃、全国の公共ホール職員が修行にやってくる合宿「ステージラボ」長崎セッションで、ホール入門コースのコーディネーターを務める児玉真さんからお声掛けいただき、講師として4日間参加することになりました。 私自身、24歳の時にこの「ステージラボ」金沢セッションに参加して心の灯火を得た経験があったので、講師側としてお声掛けいただいたことはこの上ない喜びでした。 参加者は3チームに分かれ、そのうち1チームを私が受け持ち、4日

        • 公務員を辞めるまで#2

          辞めることをはっきり意識したのは、13年前に父が亡くなったことがきっかけです。 父は戦時中に兵庫県尼崎市で上杉家に生まれ、半年後に終戦を迎えました。当時は不治の病だった結核を患っていた父の父が亡くなり、継いで父の母も病気で亡くなって、父の姉は親族に、父は近所の中本家の養子となりました。 みんな食べる物に困っていた時代。中本家も親族を頼って茨城県志筑村(現在のかすみがうら市)に。父は幼少期から新聞配達をして家計を助けていたようです。冬の早朝は手がかじかんで、自分で貯めたお金

        公務員を辞めるまで#5

          公務員を辞めるまで #1

          今日からnoteを始めてみました。 退職するまでと、退職してからのことを少しずつ書いていこうかなと思います。その後はたぶんFacebookからの転記になると思います(笑) 26年間勤めた小美玉市役所を2024年3月末で退職。同時に起業してNakamasagas(なかまさがす)を立ち上げました。 退職届を出したのが昨年11月。 実は10年前から辞めようと思っていて、「月に2回まで」と決めて全国各地からご依頼いただく研修に赴いたり、視察の受け入れを行なってきました。自治体内

          公務員を辞めるまで #1