三島由紀夫作『仮面の告白』を読んで
三島由紀夫さんの作品を読もうとしたのは、この『仮面の告白』が最初ではなく、本屋でたまたま読んだ『美しい星』でした。
でも結局、『美しい星』は途中で読むことを諦めてしまって今、本棚に置いてあるだけになっています。
最近の私は、なんだか楽しいと感じる時間も一定の割合はあるものの、ほとんどの時間がなんだか苦しい。
理由は大体検討がついているが、その理由が人間関係によるものなので、簡単には排除できなくて困っている状態です。
三島由紀夫を私に勧めてくれた人は、言えば私にとっては先生的な存在の人で、文化や芸術を教えてくれる人です。
三島由紀夫にもう一度、再挑戦したいのだが、何から読み始めればいいのかと相談した時に、『仮面の告白』を勧めてくれました。
初めて、三島由紀夫作品を読み遂げて、圧倒的な文章の美しさを感じました。
よく言われがちで、私の潜入感が三島由紀夫作品の文章を美しいと感じているのかと思いましたが
それでも綺麗と私は感じましたし、
なんだったら、文庫本のページを開いた瞬間から文章の配置が綺麗だとすら感じました。
私の三島由紀夫さんのイメージと言ったら、はっきりとした言動で、最後の自決、そして坊主頭という感じでした。
『仮面の告白』を読み、三島由紀夫さんのイメージは全く変わりました。
あまりにも、『仮面の告白』の主人公(つまり三島由紀夫を反映していると思われる人物)は弱く、臆病です。
私からすると、身近に感じる、愛することができる人間のように感じました。
園子との関係で生じる、主人公の感情。そのほとんどが私にもなんとなく分かるものでした。
同時に、前半の同性愛について悩む主人公は、後半の異性へ抱く感情の言い訳にも読み取れると感じました。
純粋な愛という感情について考えました。
他人の人生を踏み躙る契約、結婚という制度。
追い出したくなるが、追い出せない感情、恋の感情。
屈強で男らしい周囲に対して、劣等感を感じる表現も私の中の三島由紀夫のイメージが更新されました。
三島由紀夫のこの感情に感動する、私であってよかったと感じました。
おそらく私が、なんのコンプレックスもなく、楽しければそれでいいと思うような人間であれば、『仮面の告白』を読んだ時の感動は味わえなかったと思います。
私は苦しみたいと思います。
年末にかけて、仕事的にも、街中の雰囲気的にも、全ての部分で苦しい時期になると身構えています。
ある感情に流され、人と何かを求め合うことはとても素晴らしくて、私にはない勇気が必要なものだと思います。
ならば私は一人で、心の中に毒を抱えて、その割に外見は笑顔で、
与えられた役割を全うし、
小説を読むことを通して狂って行きたいと思いました。
ここからの時期は、寒くなってきて、どう過ごすのも覚悟が必要な時期です。自分を厳しく見つめなおし、削っていけたら、かっこいいなと、多分無理だろうけど、そんな風に思いました。
(お願いだから、そっとしてほしいという感情の割合が、ここ2週間ほど大きくなってきている感じがあります。)