姫野カオルコ作『彼女は頭が悪いから』を読んで

私は日常生活の中で、時折、最低な発言をしてしまいます。

傷つきやすいという性格を持ちながらも、店員さんにキツく当たったり、人の嫌がることをしてしまいます。

そんな自分の無神経さが大嫌いで、いつも人に優しい人になりたいと思っているですが、簡単にはそうなれない。

人と会話した内容を家に帰って一人で思い出し、
『あの時どうしてあんなことを言ってしまったのか?』
と、家に帰って一人でいるときに激しく後悔します。

私が小説を読む目的には、私の抑えられない攻撃性を少しでも減らすためということもあります。

実際は私が体験していない立場からの感情を摂取したい。
なるべく男女のバランスよく摂取したいと思っています。

さて、今回感想を述べる姫野カオルコ作『彼女は頭が悪いから』は実際に起こった事件をモデルとして書かれた小説です。
当事件は、複数の東大学生が加害者として、女子大生に性的な暴行を起こしたという事件です。事件の内容も非常にショッキングながら、その後インターネットを通して被害者である女性への批判が行われ、社会問題となりました。

読んでいて、私は気持ち悪くなりました。苦しくなりました。

加害者であるつばさの思考回路は、
私も過去、同じように感じたことがあると
加害者との共通性を見出してしまったことが気持ち悪くなったのです。

(私は、絶対につばさのようになりたくないと思いました。
自分の攻撃性を削ぎ落とし、新しい自分になりたいと思いました。)

(人を学歴や職種で判断してしまう、私の汚い部分を意識しました。
もっと人間として、楽しさや喜びを見出させる人になりたいと思いました。)

(こんな気持ち悪い作品は、しばらく読みたくありません。)

一つ疑問に思ったのは、『彼女は頭が悪いから』はあくまで実際の事件をモデルにしたフィクションですが、ここまで典型的な人間はどれほどいるのでしょうか。
私が大学生の頃は、この加害者男性のような思考回路の人間が多くいたことも事実で、私も周りにかなり影響されていたと思います。
では今の社会に出て働いている人間はどうなのでしょうか。

正直に言って、私にはわからない思考回路の人間がいます。
友人ともそのような話をすることがあります。温度感が違う。
考え方が合わない。本質的な会話が成立しない。

そんな人をバカにしてしまう自分もいますが、
一方で、バカにするというよりは、
関係性を作ることを諦めるという感覚が強いと思います。
(ああ、この人は私とは違う感覚の人なんだ という風に)

ここからは現時点での私の考えですが、
関係性を諦めた人間に対しても、見下さないように注意したいと感じました。
(なんだかこの文章を書いていて、見下さないように注意するっておかしい表現だと思います。認めるという感覚がいいのかもしれません。)

認めるって難しいですよね。
結局、そっと距離をとって、ついには批判的に外から眺めるというスタンスに陥ってしまいそうです。

『彼女は頭が悪いから』は読んでいて気持ち悪く、でも自分を振り返る、苦しい本でした。

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2024.11.20 追記

さて、この本を読み終わって、1ヶ月が経とうとしているますが、
そこで今の自分に残っていることは、
あの終わり方に一体どんな意味があるのだろうということです。

女性の大学教授が出てきて、何だか事態を丸く収めたような、何か権力に楯突いたような記憶があります。
(どうして、作者はこの女性大学教授を登場させる必要があったのか。この教授が出てこないと、ストーリーにメッセージが載ってこなかったのだろうか。)

あの犯人に、嫌な自分を重ねていたという、
重ねていたというか、
私は本を読みながら、私と犯人はこの点で違うのだという相違点をはっきりとさせたくて読んでいた感覚があります。

(実際は東京大学に行けなかった、行こうと思うほど努力もしなかったし、能力もなかったという点は、明らかに違う点で、
それ以外の思考回路は、2年前までの私と良く似ている点がありました。)


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