井伏鱒二作『黒い雨』を読んで
この本を読むようになったのは、友人からの勧めです。
広島には2度行ったことがあり、原爆ドームにも行った経験があります。10年以上前のことですが。
当時と比べて、私は少し頭に知識が入ったと思います。
「黒い雨問題」についても、教科書程度ですが、少し前知識があります。
どれほど自分が黒い雨問題について知っているのか?まだ知らない黒い雨問題の側面はどんなものがあるのかを知りたくて、この本を読み始めました。
この本を読んで、一番興味を持ったのは、政府とか軍のことを批判する登場人物があまり出てこないことです。
描写されている出来事が戦時中だからいろいろと統制されていたのだと思います。
でももっと内面的な怒りのような感情が表現されていることを予想していました。日本軍、米軍に対する広島の住民の怒りみたいなのが描かれていると予想していました。でも実際は、そのような感情はほとんどなく、戦前と戦後が連続的に、住民の人たちの生活が描かれている印象を受けました。
黒い雨という題名にも関わらず、描かれているのは、原爆や黒い雨の被害にあった人たちの日常、悲惨さもあるが、あの時、そして戦後の広島で流れてた人間の行動・暮らしが描かれています。例えば、原爆当初の工場労働、食べ物、医療などが生活の視点から描かれています。
黒い雨や原爆が、『黒い雨』の作品の中心にあるわけではない、とのことに気がつきました。
よくよく考えていると、暮らしがあって問題がある のだから、黒い雨問題・原爆問題ばかりが描かれているのは、問題に注目しすぎになるのかもしれないと思いました。
人間の生活が、ある問題が起こることで、変化した。全てが変化するわけではないということを感じました。
さらに、これは『黒い雨』の作品のメッセージではないとは思いますが、『黒い雨』に描かれている家族の形が、いわゆる家父長制度的な家族なのですが、このタイプの家族がうまく機能していることに、驚きました。
現代なら嫌悪感を感じるほど、家族の中で父親が指導者的ポジションから妻や娘に言葉を言っていきます。妻と娘はそんな父親に感謝します。戦争という危機状況が、父親の指導者的ポジションをより確立させていきます。
時代が変わるって、不思議なものだと感じました。
男性の家庭での役割も、大きく変化したと感じました。私はまだ意識できていませんが、変わっていない人間関係の部分も多いと思います。
さて、原爆の被害者への補償も、黒い雨への補償も、現在まで行われています。今も行われている補償の状況について、どのような経緯と問題があるのか、勉強してみたくなりました。