言わなくてもいい思っているだけで。
ひとこと多い人ってこれに尽きる。
それを発することで誰かが嫌な思いをしたり、自分が優位に思えたり、そんなことのために気持ちを発するのはエゴじゃないか。
思うのはタダなんだから思っていればいいじゃないか。
よくそう思う。
思ってしまうのは人間皆聖人ではないからしょうがない。それを誰かに言うか言わないか、で、品があるかないかが決まってしまう。
いい大人になってもそれに気付けず余計なことを言っちゃう人は育ちが悪いとしか例えようがない。
いま言うという動詞を使っているけれど、いまや書き込む、もそれに値するのだろうか。気持ちを控えてアウトプットしていると少し物足りない。かといって罵詈雑言行ったり書き込んだりしていると、他人には不快感なのに自分は快感だったりする。この不快感さの快感を覚えてしまうのが良くない。覚せい剤みたいなものか。マスターベーションのつもりが公開マスターベーションになっている訳で。逮捕じゃん逮捕!
これに巻き込まれない様にするにはどうしたらいいか。
まず自分が公開しないこと。
公開している人を見てみぬふりをすること。
結構、難しいことだと思う。
自分が決めて実行していることがひとつある。
絵文字を使わないこと。
色のついているものは解り易いので少々使用するけれど、元来ある絵文字は使用しない。何故なら、あれって本当は一方通行だからである。
笑っている顔をつけてみても、楽しそう、ととるか、笑われてる、ととるかは相手次第。なんとなくかわいいから、って、かわいいは万国共通じゃない。双方のかわいいが80%合致していれば使ってもいいかもしれないけれどね。ロシア文字がよくつかわれている絵文字、ロシアの方はどう思っているんだろうね。
なんてことをふと思ったので久しぶりにNOTEに来てみました。