【為末大学-4 楽しめないのは何が原因ですか?】
為末大学の内容を書き出す第4弾!!
今回のキーワードは「楽しむ」です。
よく聞きますよね。
楽しんで来いよ、受験やスポーツの試合など、勝負の場面でも使われますし、
人前でプレゼンしたり、発表する時にも言ったり、言われたりする人も少なくないと思います。
そして、実際に楽しくそうに終わる人と、全然楽しめない人が存在します。
そこにはどんな違いがあるのか。
非常に興味深い解説を為末さんがしてくれます。
【この記事でわかること】
・楽しむとは
・楽しめる人と楽しめない人の違い
・楽しめる人になる視点
楽しむとは何か
この問いの答えがポイントです。
楽しくない人→外部からの評価を重要視。
社会からの評価によって価値を決めている
楽しめる人 →内側評価がある。自分は自分で価値があると思えている
外部がどんな評価をするかを気にしない
つまり、会社からの評価とか、友達や親からどう思われるか。など、
他者からどんな風に見られるかを気にしていると、楽しめるものも楽しめくなるということです。
では、なぜ自分の中に評価軸があると楽しめるのか。
結果に対しての捉え方が全くかわる
今から行う行動によって失うものは何か?を考えた時、前者と後者で全く違う感覚が生まれます。
楽しめる人は仮に失敗したとしても、それを自分で自分に価値があると思えているので、ある1つの結果が出たというでしかありません。
ところが、外部からの評価が自分の価値を決めているなれば、“絶対に失敗したくない” “成功させなきゃ”そういう義務感が先立つことが容易に想像されます。
この差が楽しめるかどうかを分けているということです。
目線を転換出来るか
ある種、この考え方は仕方がない部分はあります。
人間は社会的な評価軸で価値を決められるという世間が当たり前だからです。
常に外部から評価されている感覚は特殊なことではありません。
そこで世の中を見る変えることがポイントとなります。
この視点の転換が重要になります。
外部からの評価を気にする自分から脱出はそれをしている自分をメタ的に認知するかどうかで可能になります。
価値や意味などない
そもそも外部で作られた価値や意味など人間が勝手作り上げたものでしかありません。 大きな生物とか生きるという観点からすると、重要視している価値基準など何も意味がありません。
だから、何もしないではなくて、何も意味がないんだから、自分がやりたいようにやる。自分が楽しいとかやりたいと思ったことをやることこそが重要だというのが、人生のベースにできれば、きっと楽しめるようになる思いました。
そこがなかなか難しいんですけど、価値の転換をしようと考えている時点で、
ある種、他者評価からどっぷり浸かっている状態からは抜け出しているので、
幾分か楽になると思います。