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最高裁判決を通して感じたちょっとした違和感(同一労働同一賃金)

最高裁判決
メトロコマースと大阪医科大の有期契約労働に関する最高裁判決が出た。基本的には厚生労働省のガイドラインの内容に沿う内容であり、判決としてはあり得る範疇かと思う。ただ、とにかく均等とか均衡を判断するのは長期雇用を前提とする日本では極めて難しいとは思った。

あくまで、ケースバイケースで判断されるので、今後も様々な判例が積み重なっていくと思うが、一つの判断基準になる大きな意味合いを持つ判決であった。

学生時代を振り返って
少し振り返ると学生時代にフリーターやニートの問題に関心を持ち、社会構造の転換の中で、新卒一括採用の機会を逃した、若しくは上手くはまれなかった若者の労働問題について勉強をした。ストレートに言うと、労働とは資本に搾取されるものだと捉えていたし、労働問題に直面する若者を被害者的に捉えていた。その気持ちは大切に持ち続けているが、今回の判決を妥当と思えるのだから、だいぶ企業に染まってしまったのかもしれない。

ちょっとした違和感
さらに企業的な考えになってしまうのだが、雇用関係の基本が労働の対価として賃金が支払われると考えると同じ企業の中で働く人と比べて賃金が高い、低いと判断していいのだろうか?非正規雇用の賃金水準(労働条件)が決定される労働市場は企業内ではなく外部であり、外部の市場で整合がとれていればいいのではないか?と思う。その是非は置いておいて、長期雇用を前提とした日本の企業内での賃金の決め方は相当特異なのであるにも関わらず、裁判はその企業内の労働市場と比べて合理的か不合理かを争う。

例えると、求人票に20万円と募集があり、他の企業と比べて好条件だから応募し採用された場合に、同じ企業で働いている人が30万円の賃金、賞与、退職金をもらっていることに気付き、その人との差を不合理として争うわけである。

恐らく私のちょっとした違和感はここにある。ただ、この違和感は遅かれ早かれ多くの人が持つのだと思う。ジョブ型雇用が広がり、より賃金や労働条件が外部の労働市場で決まるようになった時に、多くの人が企業内市場での労働条件の決定の仕方に違和感を持つのだと思う。そして、その時にこの2つの最高裁判決の持つ意味がより増すのだと思う。

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