幼児教育との関わりをふりかえる②
2015
はじめに花をそえる
2015年3月、関わり始めた当初に入園した子どもたち(いわば同期!)が卒園を迎えた。幼稚園という場における1つのサイクルを体験し、大まかな流れを、大まかに理解した。
何よりも、当初は2~3年で続けばいい方だろうと思っていたのに、気がつけば4月になり、入園式の日の幼稚園に私はいた。入園式に出席し終えた新しく5歳児クラスにあがった子どもたちと、遊び始めた。新入園児を迎えるための受付に置かれた、キレイなお花で。
受付用テーブルには、花とティッシュが置かれていた。初めは受付テーブルに座って、受付ごっこが始まった。来場者役が、手をチケットのように受付に差し出し、受付役が手をピッとかざして受付が完了する。それを何度か繰り返す。次はチケットがティッシュに代わった。
隣には、花が活けられた花瓶が置かれていた。花瓶には水が入っている。その水を花の茎を使って、ティッシュにピッっとする。すると遊びは受付ごっこというよりも、ティッシュに水が広がっていく様子に興味が移り、やがて水が絵の具に置き換わり、画用紙にスタンプをすることになった。
ふりかえり①で書いたように、私は2012年に幼稚園という子どもたちの世界に初めて触れ、ワークショップという手法に自信をつけ、プロフィールに記載するようになった。さらには、幼稚園という場所を、アーティストとして活動できる場所=アーティスト・イン・レジデンスとして位置付けた。
一方で、幼稚園はアーティストがただ制作に打ち込めればいい場所ではない。子どもたちと巻き起こす様々な結果を見て、「これもアートなんですか!?」という違和感を先生から投げかけられた。それが先生たちとの対話のきっかけになり、職員室などで様々な話をするようになった。そういった時間は、先生たちがどのように子どもたちの遊びを見て、どのように考えているのか、保育の世界観を深く知るきっかけになったように思う。
これから詳しく見ていく2015~2017年までの3年間は、幼稚園の内から外に向けて発信を試みる3年間だったのではないか。ふりかえり②では、その3年間を見ていく。
清心幼稚園×中島佑太の出張ワークショップ
この3年間の活動の特徴は、『清心幼稚園×中島佑太』として、幼稚園から出張してワークショップを行うようになったことだろう。
1回目となる出張ワークショップは、JR前橋駅前のイベントで開催された。幼稚園スタッフらと相談し、独自のワークショップを考案するのはやめ、日々の子どもたちの遊びを切り取り、来場者に体験してもらうことになった。そこで入園式の後に行われていた、花を使った遊びにスポットが当たる。
駅前の会場にテントを張り、満開の花を並べた。ワークショップのタイトルは《はなのまま》。イベント名の『ままマルシェ』からヒントを得て、ダイナミックに並べられた花の様子を表した。
ここでは、子どもたちが行ったように満開の生花に絵の具をつけてスタンプをしたり、生花を解体して構造を観察することなどができる。花そのものに触れることから、遊びや創造の着想を得る可変的なワークショップである。
一般の花屋と見間違え、選んだ花を買おうとする来場者が現れたり、丸めた花でキャッチボールをした草野球ならぬ『花野球』が印象に残った。
「指導」という言葉を使っていることに、今では恥ずかしさを覚えるが、入園式後の花での遊びについて、facebookにこのように投稿している。
花で遊ぶということは、状況が違えば多くの場合はNGだろう。それが「ダメ」ではないという状況と態度を提示することが、今のアーティスト活動にも続く、ルールというテーマについての重要な視点に繋がっている。
ワークショップを準備するワークショップ
私の代表的な活動の1つに、《じゅんびしつ》(2013年〜、千葉県松戸市)がある。松戸アートラインプロジェクト(2010〜2012年に継続的に参加)の卒業制作として、「アーティストがいなくなった後の街に残るもの」というテーマで結成したユニットである。ワークショップの実施や成果ではなく、ワークショップを準備するプロセスに活動の重点を置き、準備する日をワークショップと位置付け、《じゅんびしつ》と名付けた。
まず、《じゅんびしつ》メンバーらにワークショップを実施する上での基本的な構成やノウハウを、実践を通して共有した。次に、事務局から支給された予算で、ハサミなどの基本的な道具を提供し、ロゴマークをメンバーとデザインし、それを描いた提灯を制作した。その活動は、地域アートプロジェクトが終了した2013年以降も続いており、2023年に10周年を迎えた。
これまで、聖徳大学が主催する屋外イベント『アートパーク』に毎回参加し《もくもく製作所》を行ってきた。《もくもく製作所》は、リスクを回避したがるご時世に、多くの大人に見守ってもらいながら木工に挑戦でき、大型のインスタレーションを制作できる貴重な機会になったと言えるだろう。「黙々と」「木工」を楽しむことをかけた「もくもく」というネーミングなど、メンバーの性格が現れた地域に根差した活動こそが、《じゅんびしつ》の特徴となっている。
この頃、流行していた地域アートプロジェクトへの問題意識を持ちつつ、子どもを通してみる社会に関心を持ち始めた時期に、群馬大学でワークショップの経験を学生たちに伝えながら、アートマネジメントの人材育成をする事業に講師として関わることになった。
その他にも、玉川大学の保育学系の講座や群馬私立幼稚園協会(ニューリーダーの会)など、単なる体験を目的にしたワークショップではなく、子どもの周りにいる大人たちの研修の場に呼ばれる機会が続いた。
「アーティストなので先生ではありません。なかじと呼んでください。」
これらのレクチャーの場でもそのように説明し続けている。講師という立場を引き受けつつも、アーティストのワークショップであり続けようとした。保育や教育などを学んでいない(そもそもアートも不勉強な)私が、教員や保育士を目指す人々に、何かを教えることはできないし、したくもない。ワークショップという形式を使って、一緒に何かを考えていくことしかできなかった。
地元の大学が主宰する育成事業で、《じゅんびしつ》の第二弾となるような、その経験を活かしたプログラムを行った。目的合理性にとらわれず、準備することを楽しみ、そのプロセスで感じたことや気づきを大切にするメッセージを、プログラムに込めた。
これらの講座では、いわゆるワークショップのつくり方のような内容が期待されていたと思う。それを形式的に教えるのではなく、準備するというオープンで可変的な状況で、参加者と話すということを重視した。
なぜ絵の具と紙を渡したのか
3歳児に「えのぐがしたい。」と言われて、絵の具と紙を渡した。その子は、黄緑色の絵の具をお皿に出すと、筆で混ぜ、紙に塗り始める。やがて手で絵の具を触り始め、手の中でハンドクリームを塗り込むように、絵の具をこねくり回し、満面の笑みで僕にその手を見せてくれた。絵の具を塗った紙ではなく、手を。
ふりかえり①でも述べたように、清心幼稚園の子どもたちは、紙に筆で描くために絵の具を用いるのではなく、服を脱ぎ、全身に塗りたくるように遊ぶことが多い。それを分かっていながら、つい無意識に絵の具と紙と筆を結びつけてしまっていた。
常識とは18歳までに身につけた先入観のコレクションであると、アインシュタインは言う。私は、絵の具でこのように遊んだことがなかったのだ。
私にとって絵は、幼稚園の頃から、大人から言われたように画用紙に描き、美術大学に進学するために練習をした。好き好んで描くことは、ほとんどなかったのだ。
子どもたちが見ている世界に触れる
幼稚園の床には、通風口と思われる格子状の蓋がある。その下にはゴミが落ちないよう網があり、その隙間には様々なものが挟まっていた。ある日、隙間に落ちたものを拾うために蓋を開けることになった。網があるとはいえ、床下にはほこりが溜まっていた。子どもたちはハサミを使ってほこりをつかみ、掃除を始めた。
隙間に挟まったものをとるという目的はとっくに果たし、掃除をし始めた子どもたちは、このほこりだらけの床下の空間を呪いの世界と表現し、短い時間でその想像を膨らませ、すぐにその話題から抜け出していく。
子どもたちの皮膚の内側において、どのような想像をするかは自由であり、強制することはできないものだ。そして、呪いの世界が、どのようなものなのかは本人しか分からない。掃除という営みを通して、そのような世界を刹那的に立ち上げ、子どもたち同士で共有し合う瞬間に立ち会った。そこには、大人の指導や評価のない、子どもたちが主人公の世界がある。
見えないものを見えるようにするという命題をアートは持ってきた。その視点に立てば、この呪いの世界とはどのようなものなのか、つくってみよう(=視覚化)、というのが“アート的”だったと思い込んでいたのかもしれない。
しかし、制作され視覚化された作品が、アートなのではない。アートとは、皮膚の内側、想像の中に生まれるものである。職員室での様々な会話で、保育士たちがどのように子どもたちを見ているか触れてきたことで私も、子どもたちが何を感じ、想像しているか、保育士的な視点をまねて垣間見るようになった。しかしそれは、他者の皮膚の内側で起こっていることなので、想像することしかできない。視覚化し、作品にし立てていくことで、それは見えるようになるのかもしれないが、見えてしまうようにもなる。見えてしまうことで、上手かどうかとか、的確に表現ができているかとか、もしくは保護者や保育士だけでは体験できなかったことをアーティストと体験することができた、とか様々な評価がつきまとう。少なくとも私自身がそのような考え方に縛られていた。
保育士的な視点を通して子どもの世界を見ようとする、そんな経験によってつくることをめぐる評価の呪縛から、私自身が逃れられたのかもしれない。
2016
海を越えてやってきたもの
海を越えてきた青、ウルトラマリンブルー。そういうネーミングには、どうしても心が惹かれてしまう。
オランダを代表する画家ヨハネス・フェルメール(1632~1675)。
彼が生まれたオランダではラピスラズリは採取することができない。そのため、アフガニスタンから輸入されていた。海を越えてやってきたことから、ラピスラズリはウルトラマリンブルーと呼ばれている。
とても高価な顔料であったにもかかわらず、フェルメールはふんだんに使用して、フェルメールの代名詞となったのだった。(フェルメールは、妻がお金持ちだったらしい!)
清心幼稚園×中島佑太による《フェルメールブルー想像研究所》は、高崎シティーギャラリーで開催された『フェルメール光の王国』展の関連イベントとして、フェルメールブルーをテーマにしたワークショップである。この展覧会では、最新のデジタルリマスタリング技術によって、経年変化したフェルメール作品の色調を再創造したリクリエイト作品が展示されている。
このワークショップでは、展示されているフェルメールの作品群の中から、気に入った「青」を1つ選び、それを粉絵の具を混ぜて再現することを目指す。例えば、青と言っても光が当たっている部分の青と、影になっている部分の青では、同じ1つの青を表現しているにもかかわらず、全く違う。
同じ名前で呼ばれる色同士の違いに目を向け、実際につくってみる過程を通して、フェルメールが多用した青がどのような色なのかを理解していくことが狙いの1つだ。
さらに、会場の照明は、16色に調色できるLEDライトを使用した。光源の色を変化させることで、つくった色は全く違って見えるようになる。私たちが目にしている色は、世界は、いったい何なのか。そういう疑問が湧いてくる。
複製画という一見マイナスに思える条件を、最新の技術を使ってプラスにとらえていくこの展覧会。絵に絵の具がついた手を近づけたり、子どもたちが何度も色を見合わせるために走り回っていたり、本物があったらとてもできない体験だろう。
清心幼稚園との出会いのきっかけは、彼らが美術館に訪れたことだった。前橋の中心街にも近く、アーツ前橋や街中のギャラリーなどにも何度も通った。作品を触ろうとしたり、デリケートな展示の前で子どもたちが動き回ったり、監視員やスタッフを何度も戸惑わせた。
得てして美術館やギャラリーなどで行われる展示というものは、このような子どもたちが多く参加する実験的な活動とはどうしても折り合いが悪い。引率する側の大人も、常に緊張を強いられ、展示を楽しむことなどできないことばかりになる。そうすると美術館やギャラリーからは足が遠のいていく。
しかし、清心幼稚園のように"空気を読まない”人たちが、何度も通い、そこを活動の場にし続けることで、受け入れ側も慣れていく。
清心幼稚園×中島佑太による出張ワークショップは、単なるワークショッププログラムをお届けするサービスではなかった。アートをめぐる子どもたちと保育士、アーティストとの活動の経験を、地域に共有していくものだったのだ。
大学生の家をフィンランドにする
フィンランドにはまだ行ったことがないのだが、きっといい国なんだと思う。
『表現の森 協働としてのアート』(アーツ前橋/2016~2022※1)は2016年から始まり、現在まで続く長期プロジェクトとなっている。2015年に群馬大学の学生たちとワークショップを行ってから、学生たちが表現の森の活動を手伝いに来たり、清心幼稚園の子どもたちと遊びに来たりと、交流が増えていった。
私の専門ではないので詳しくはないが、当時の保育業界は、小学校との連携や接続について、声高に叫んでいた(幼保小連携というらしい)。
私も『こんわく!』と名付けた小学生向けのワークショップを幼稚園内で行い、清心幼稚園を卒業した小学生が幼稚園に戻ってこられる場をつくり続けていた。それは幼保小連携の推進のためではなかったが、すんなりと小学校に馴染めない特に新1年生の保護者からの要望は、毎年あった。
2024年現在、30万人超え目前と言われている不登校の問題や、小学校の(特に図工・美術の)あり方を巡り、ワークショップの現場を手伝ってもらうことを通じて、教育学部の学生たちと議論することも、自然と増えていった。
『表現の森 協働としてのアート』の中島佑太×南橘団地(以下『表現の森』と表記し、全て中島佑太×南橘団地のことを指す。)は、アーティストである私が、前橋市北部に位置する南橘団地(前橋市南橘町)の住民たちを対象にしたプロジェクトである。まだ海に行ったことがない小学生との団地内で出会ったことをきっかけに「旅」をテーマにし、団地=居住空間を旅するようにワークショップを行う《LDKツーリスト》を行ってきた。
表現の森が始まった2016年当初、思い描いていたプランは、団地住民の居室空間に、どこかの国や地域を思わせるインスタレーションを制作し、そこを回るツアーを行うというものだった。その実験を兼ねて、清心幼稚園の卒業生たちと、学生の家をフィンランドにしてみることにした。
清心幼稚園の子どもたちも、学生たちにとてもよく懐いていて、親しかった。子どもたちと大学生のよき関係性があり、ある一人暮らしの大学生の部屋が汚いこと、汚いが故にモテないことを聞き出したようで、みんなで掃除をしにいって、モテ部屋にしてあげたい、というのが子どもたちの要望だった。ミーティングの末、フィンランドをイメージさせる「オーロラ」「ダイアモンドダスト」「トナカイ」を制作した。それがモテ部屋なのかは分からないが。
学生のプライバシーに関わることなので、詳細は書かないが、思っていたよりも汚かった。親戚でもない子どもたちを、自分の車に乗せて移動するだけでも避けられているこのご時世に、学生の家の掃除をさせるのは、さすがの私も戸惑った。マスクやエプロンなどを持参し、やる気満々だった子どもたちも、あまりの汚さにテンションが落ち、参加者の高学年女子を含む3人全員が私の膝の上に避難してきた。
しかも1日では掃除がしきれず、2日間通うことになった。このような教育的な意義もない、アーティストの実験的な企画に理解を示し、協力をしてくれる保護者にも感謝しかない。
その後学生は無事に卒業し、巣立っていった。引っ越すギリギリまで、ダイアモンドダストが残っていたとのことだった。頭に引っかかって邪魔だったことだろう。
新しい環境で、恋人ができたらしい。しかし部屋は相変わらず汚いようだ。まあ、部屋の汚さとモテは関係なかったということだ。
※1 アーツ前橋による主催は2022年まで。その後はグローバルピッグファーム株式会社の支援のもと、群馬朝鮮初中級学校関係の在日コリアンコミュニティーを加えたより広域な南橘地区での活動を継続している。
卒園生の保護者グループとのコラボレーション
子育てサークル『はぐくみ』は、清心幼稚園を卒業した保護者を中心にした地域コミュニティーである。はぐくみからワークショップの依頼を受け、表現の森から取り組み始めた「旅」をテーマにしたワークショップを提案した。
前述の通り、このご時世多くの子どもたちを遠くに連れていくのは難しい。そこで、どこにも行かなくても、どこかここではない遠くの場所へと想像の旅に出るワークショップ《⚫︎⚫︎で行く!見えない旅》を企画した。
ワークショップでは、旅のテーマに沿った目隠しと、ガイド用の案内旗を制作する。目隠しをした旅行者を、案内旗を持ったガイドが想像の旅へと案内する。タイトルの『⚫︎⚫︎』は、目隠しを表している。
※私は、《家族のルールをつくるー東家ー》(2020~)によって「マスクをマスクと言うことができない」ため、以下アイマスクを目隠しと表記する。
今回のはぐくみとのワークショップでは、はぐくみの中心メンバーたちと、今回のワークショップのシンボルとなる目隠しを自作するところから始まった。
黒いフェルトを切り出して二重にし、ゴムを縫い付ける。ミシンのある個人宅に集まり、ワークショップ参加者分の目隠しを制作した。のは、ほんのひとときで、大半はお茶をしながらお喋りしていたというのはここだけの話である。
ワークショップは、地域向けの活動スペースを持つ高崎市内の神社で行われた。目隠しや案内旗、ツアー内容の制作は地域スペースで行い、ツアーの実践は屋外で行った。
鳥居や参道となる急な階段など、様々な地形を利用し、目隠しをした旅行者を(無理やり)案内する。私も実際に体験したが、とてつもない恐怖体験だった。制作されたツアーには、例えば様々な動物に会えるツアーがあった。目隠しも案内旗も動物をモチーフに制作されていて、ツアー内容をイメージしやすい。
「今足元にはハリネズミがいます!なでてください!」
などと案内され、視覚以外の感覚を使ってたくさんの動物に会うことができた。
私が学生時代から過ごしてきた地域芸術祭には、その地域に滞在するアーティストやスタッフたちが地元住民の自宅に招かれ、食事などをいただくことがある。単なる交流ではあるが、いわゆる飲みニケーションや食を介した交流は、地元住民との協働という名の下において行われる。つまり、地域芸術祭育ちと言っても過言ではない私は、住民宅に招かれることが、協働による作品制作の重要な成功ファクターであるという神話の信者だった。
表現の森のゴールも、個人宅での旅だった。残念ながら南橘団地内での活動では、そのゴールの達成はできなかったが、そのイメージを実現するために、実験的な活動を行ったことは、個人的に大きな経験となった。
清心幼稚園では、一貫してスタッフと保護者の個人的な関係には一線が引かれていた。そのリスクマネジメントには一定の理解ができる。それでも外部スタッフである私は、個人のアーティスト活動として、清心幼稚園で築いた子どもたちや保護者との関係性を、園外での様々な活動に様々に結びつけた。活動のパートナーシップというだけではなく、彼らはいつも私の思考を促してくれる存在だった。
それが私の協働的活動の礎になったととも言うことができるだろう。
2017
とりのおうち
本題は幼児教育との関わりを振り返ることである。お気づきかと思うが、やや話題がそれ、園外に広がった活動の話ばかりになってきている。2017年のふりかえりは、園内での園児たちの活動に立ち帰ろうと思う。
6年目の活動となった2017年は、4歳児の子どもたちがつくった《とりのおうち》に「ライトをつけたい。」という相談を持ちかけられたことから始まった。手作りのぬいぐるみでできた鳥たちのおうちを、2016年末から段ボールでつくっていて、年明けには2階建てになっていた。
とりのおうちの電気には、園に持ち帰っていた《フェルメールブルー想像研究所》で使用した16色LEDライトを、使用することになった。園の倉庫の一部は、私の倉庫と化していて、各地での展覧会やワークショップの際に使った道具や素材などを園に置かせてもらい、園もそれを使用することでメリットを共有していたのだ。(この振り返りはあくまで私個人サイドの見解であり、園の見解は異なる可能性が十分にある…。あえて確認を取らないことにする。)
この時の子どもたちが5歳児になり、9月になったある日。木で建てたおうちが、傾いてしまうのはどうしたらいいか?という相談を担任と子どもたちから持ちかけられた。技術的なアドバイスをしながら、子どもたちがつくったおうちを一緒に補強していった。するとこのおうちは、以前は段ボールの家に住んでいたとりのおうちだったのだ。
当時の段ボールのおうちがその後どうなったのかは、残念ながら記憶にないが、とりのぬいぐるみが果物カゴのようなものにそっと入れられている様子は、ほのかに記憶に残っている。
とりのぬいぐるみを使ったこの遊びは、学年が変わっても継続した。最終的に木材を使って建てられたこのおうちは、オレンジのフェルトで屋根瓦などが付け足されたり、アップデートを繰り返しながら、卒業式まで園に残ることになる。卒業にあたり、子どもたちは話し合いの末、次の5歳児の子どもたちにこの家を使っていいよ、と方針を決めた。
次の5歳児たちによって、アップデートが繰り返された結果、数年後に5歳児の保育室の半分は、宇宙になった。
多くの人にとって、年度の切り替わりというタイミングで、保育室や教室の環境は大きくリセットされるものだと思う。私もそう思ううちの1人だった。とりのおうちで遊んでいた子どもたちや、ともに過ごすクラスメイト、そして清心幼稚園の保育士たちは、軽やかにそのステレオタイプを乗り越えていく。
2024年現在、中長期的なアートプロジェクトをいくつか行っている。その多くは、アーティストの私がイメージする華々しい“アート”作品をスペクタクルとするものではなく、細く地味で長いものになっている。それはこのとりのおうちの影響が大きいと言えるのではないか。
このとりのおうちで遊んでいた子どもたちの何人かと、いまだに会うことがある。その中の1人はアーティストを目指しており、美術大学進学を目標にしているらしい。茨の道かもしれないが、この項の最後にそれを記すことで、彼女への応援のメッセージとしたい。彼女が大学に進学し、アーティスト活動をする頃が、この業界が健全な場所になっているよう、力を尽くしたい。
そして、いつかまたコラボレーションを長きに渡ってできる日を、楽しみにしている。
在園の保護者とのコラボレーション
清心幼稚園は、キリスト教系の幼稚園である。そのため毎年イエス・キリストの生誕を祝うクリスマス祝会が行われている。クリスマス祝会の会場では、係の保護者によるチャリティーイベントとして、キャンディーレイと名付けられたキャンディーを包んだレイ(ハワイ語で花輪の意)を販売していた。
キャンディーレイは、透明なフィルムでキャンディーを包んだ入れ物になっている。そこから、レとイを入れ替えて、キャンディーの入れ物をつくる《キャンディーイレこうじょう》というタイトルと、ワークショップとして行う方針を提案し、『清心フェスティバル』という2年に1度開催される保護者活動によるイベントで、ワークショップとして行われることになった。
《キャンディーイレこうじょう》は、例年保護者が制作していたキャンディーレイを、ワークショップに参加する子どもたちによって制作するワークショップである。その準備のプロセスを公開し、参加することで、クリスマス祝会でただキャンディーを購入するだけではなく、チャリティー活動へ意識を向けさせることが、このワークショップの狙いの1つだった。キャンディーレイを購入するだけでは、ただのキャンディーのお買い物になってしまう。
保護者によるキャンディーレイ制作を一旦やめ、《キャンディーイレこうじょう》というワークショップを行う過程で、保護者にワークショップとは何かというレクチャーを行った。日々、清心幼稚園がアーティストと行なっている体験とは何か?
そのようなレクチャーは、清心幼稚園の3階で行われた。3階は子どもたちが基本的に入ることのできない、主に保護者が利用するためのコミュニティースペースになっていた。当初はサークル活動なども盛んに行われたいたらしい。
その他にも、そのスペースを使い、保護者と共に子どもたちが使う素材を準備する《しゅうかん素材会議》を行った。『しゅうかん』は「習慣」と「週間」を表し、日々の暮らしの中で出るモノに、遊びの可能性を見出していくワークショップである。
例えば、緑や赤などと色に縛りを設け、家庭にある廃材などを持ち寄ってもらい、様々な形に切り出し、整理していく。その作業を、会議=おしゃべりしながら行うというものだ。
同時期に、アーツ前橋や北九州市立美術館といった公立美術館で、地域にひらくプログラムを行っていた。子どもたち対象だけでなく、幼稚園という場所で保護者にワークショップを開き、交流することで、一般的に身近だと考えられていないアートについて考えてもらう機会になる。私にとっても、アートに触れてもらう意味は何なのか、常に考えを巡らせていた。
しかし、そこに集まってくるのはいつも女性たちであった。
鉛筆とは何か?
ある日、子どもたちと楽器をつくって演奏会をすることになった。太鼓やバイオリンなどの楽器を、工作し始める子どもたち。
しかし、弦を即興でつくるのは、難しい。
ひもを張ってみたり、マスキングテープをひも状にして張ってみたりするが、どうしてもバイオリンのような音は鳴らないのである。鉛筆を2本縦に繋げて、張ってみるが、それもやはりなんだか違う?
どうしたら音が鳴るようになるの?と相談をされるが、園内にあるものは限られている。さまざまな素材や技術を探求しながら、じっくりと進めたいテーマではあるが、子どもたちの求めるスピード感は、大人の思惑を待ってはくれない。
私は毎日幼稚園にいられるわけではない。もし毎日いるとしたら、子どもたちの関心が継続している間に、活動や探求を進められたのかもしれない。しかし、それができなかった。継続性や探求的な要素は保育士さんに引き継ぐとして、私にできることは、もう少し刹那的な、即興的なことだったのかもしれない。
鉛筆は本来、バイオリンの弦として使用されることは想定されていない。ものの持つ意味や使い方など、固定化した考え方をずらし、秩序を揺るがすこと。
日々の保育の中で継続的な活動がしにくいというジレンマを抱える中で、揺らいだ秩序をその場に残していくことが、私のアーティストとしての役割だと認識していく。
保育士や保護者といった、子どもたちの周りにいる大人に向けて、子どもたちとの遊びやワークショップを開いていくことで、秩序を揺るがしていくことが、私の考えるワークショップになっていった。
なぜアーティストではダメなのか?
この頃、東京家政大学や玉川大学などの保育士養成の講義に、ゲストとしてレクチャーやワークショップを行った他、2017年には保育学会でもポスター発表を行った。私自身が保育に関することを主体的に学んだことはないが、大学や学会を通して、さまざまな研究を知り、研究者との交流を持つ中で、業界や子どもたちを取り巻く環境の動向に触れることになった。
同時に、私の活動はレッジョエミリアアプローチ(イタリア)や芸術士派遣事業(高松市)などとも比較されることが多かった。アトリエリスタや芸術士に振る舞うこともできたし、感化される部分も大いにあった。しかし、それらのアプローチを知る中で、なぜアーティストではダメなのか?と疑問が生まれた。
現地に見学に出向いた高松市の芸術士派遣事業では、地域のアーティスト支援という側面もあると聞いた。アーティスト支援というのであれば、アーティストを派遣すればいいのではないか?なぜアーティストではなく芸術士でなくてはダメなのだろう?
私は、2024年現在も保育施設を回り続けている。アーティストとして。でもそれは本当にアーティストがやるべき仕事なのか?アーティストであり続ける意味は、今でも考え続けている。