後悔しない人生の歩きかた|自己紹介
「人生の残り時間、意識してますか?」
あなたは今何歳ですか?
自分に残された貴重な時間の価値について
深く考えたことはありますか?
もしも明日、
「あなたの余命は半年です。」
と宣告されたら、
だからこそ、僕は伝えたい。
限りある人生の中で
そして、
さらにさらに、
変化を恐れる気持ちはめっちゃわかります。 でも、やりたいことを我慢し続けたまま人生を終えることを想像してみてください。
「もっと自分らしく生きればよかった」と後悔しませんか? 明日が最後の日だとしたら、今の生き方に満足できますか?
実は人生の残り時間って意外と少ないんです。
もう一度、聞きます。
「あなたは今何歳ですか?あなたに残された日は何日ですか?」
このnoteには父の死をきっかけに「後悔しない人生を歩もう」と決意し、行動してきた軌跡を書きました。 この記事があなたの背中を押し、新たな一歩を踏み出す勇気を与えられたら幸いです。そんな思いを込めて書きました。
拙い表現もあるかもしれませんが、少しでもあなたの人生の糧になれば嬉しいです。
※本当に長いので時間があるときにゆっくりと読んでください!それでは本編どうぞ!
はじめまして、なかじです。
31歳、9歳、7歳、5歳のパパ。
会社員13年目、副業歴は5年目。
副業はSNSまわりのデザイン、WEBデザイン制作、BtoB向け資料作成、書籍PR活動、コミュニティ運営お手伝い、ココナラなど、主にビジネスの裏側をサポートして収益を得ています。趣味は読書と飲食店巡りとキャンプです。
今は色んな副業活動が収益につながり、楽しそうに活動しているように見えますが成果が出たのは最近になってから。
これまで色んな副業に挑戦してきましたが失敗の方が多かった。手探りで自分に合った副業を探すのはめっちゃ大変でした。
副業は成果が出るまでの距離が分かりづらいんです。RPGゲームみたいに次のレベルに必要な経験値が分かれば楽なんですが、そうではなく、自分に特化した攻略本があるわけでもありません。
現実はいつ成果が現れるのか分からない、自分が成長しているのか分からない。それが副業の実態です。
それでも僕が諦めずに副業をやってこれたのは、読書で得た知識を元に、見通しを立てて行動を繰り返してきたからです。また行動した先で出逢った方々に恵まれていたからです。
成果を生み出すためにスキルの習得は必要でした。でもそれ以上に自分の考え方を変えて行動する。ここが一番苦労しました。
だからこのnoteには副業で成果を出すために、「どんなことを考えてきたのか?」という思考の部分もたくさん書きました。
また思考は自分の過去の経験で積み上がった解釈で出来上がっていると僕は考えています。
なので少し長くなりますが、学生時代まで時を戻して自分の解釈を紐解いていこうと思います。
生まれも育ちも神戸っ子
南を見れば海。北を見れば山。夜景が綺麗で坂が多い街で育ちました。
小学生時代、一番頑張ったことは2年生からはじめたソフトボール。
チームは地区の中で強豪。その中でキャッチャー&キャプテンになり、小学6年生の僕は天狗になっていました。
約1ヶ月のイジメにあいました。
登校すると誰に話しかけても無視。
突然でした。はじめは数日でおさまると思って我慢していましたが、仲良くしていた友達も何日経っても話してくれず、学校に行くのがだんだん怖くなったことを覚えています。
原因がわからない毎日は不安で、ひとりぼっちはとても怖かったです。
耐えきれずに先生に言いました。
「みんなに無視されてます。」
放課後、先生が友達を集めて話す場を作ってくれました。「なんでいじめたの?」先生が友達に聞いてくれましたが、これといった理由はなかった記憶があります。僕が友達と向き合うのが怖くて原因を覚えていないだけかもしれませんが。
でも当時を振り返ると、いじめられた原因は僕がソフトボールの成功体験で天狗になっていたからだと思います。自分勝手な正義を友達に押し付けたことが、いじめにつながった原因。
うまくいっている時こそ謙虚に生きないと痛い目にあうことを知れた苦い経験です。でも人間的には少し成長できた経験。今では良い思い出になっています。
役割は自分で見つける
中学校になってからは「ひとりぼっちは怖い」 という思いが忘れられずクラス委員長に立候補。それから3年間、卒業までずっと委員長。生徒会にも入り保健体育委員長に就任しました。
嫌われない役割を探していたからできたのかもしれません。それでも役割を自分で選ぶのはいい経験でした。
中でも体育大会伝統行事のフォークダンス予行演習を2時間企画・運営させてもらったことは記憶に残っています。
「どう伝えればダンスの手順が正しく伝わるのか?」
「当日の段取りはどうすればうまくいくのか?」
「伝える」むずかしさと向き合ったのはこの時がはじめてだったかもしれません。工夫して「伝える」を探す。当時は必死で、「伝える」むずかしさを意識していたつもりはありません。それでも「伝わる」と向き合う体験ができたのは大きな財産になっています。
この経験から得た2つの価値観は今でも大切にしています。
知らない世界は面白い。
「家から近かったから」という理由で工業高校に進学。流川かよ。(カッコつけて、ごめんなさい。)
高校時代はボクシング部に属しながらバイト。ボクシングは「格闘技が好きで」とかではなく、友達に誘われて部活を見に行ったら顧問の誘いを断りきれずにやる流れに…
これは今でも直ってなくて「とりあえずやります」ってなんでもいってしまいます。いい癖でもあり、悪い癖です。
でも一対一で戦うボクシングはいい経験でした。ボクシングはサボったらサボった分だけ殴られます。足が止まったら殴られます。超現実的な社会。自分が動かないと痛い目にあうことを学べたからです。(それでも練習はしんどくてたまにサボってましたが。)
しんどいと向き合う忍耐力を育ててくれたのがボクシング。忍耐力をつけたい人にはおすすめです。
(僕はもうやりません。)
それよりも高校時代に一番経験してよかったことはアルバイト。
バイト先は高校生が僕ひとり。人生の先輩ばかりに囲まれ同級生からは聞けない、知らない世界の話をたくさん教わりました。
(ギャンブルとかお酒もこの時に覚えて痛い目にいっぱいあいましたが。笑)
きっとこの時、「自分の知らない世界を知ってる人と話すのが好き」という価値観が出来上がったんだと思います。無知はおもしろい。自分の知らない世界にワクワクを感じることができるようになった経験です。
この時の感覚が本好きなったコトにも紐づいているなぁと思います。
バイト環境で培った大切にしている価値観です。
あっという間の高校生活3年間が終了。
大学進学を両親に反対され就職へ。
18歳、就職。
就職先は大手企業から内定をもらえました。
仕事内容に惹かれたわけではなく、「接客が好きだから」という理由で決めましたが、内定が決まった時はたくさんの人が喜んでくれました。
特に父はかなり喜んでいた記憶がうっすらと残っています。でもこの頃は両親の仲が悪くなってきていた頃で実家にいるのが嫌でした。
18歳の夏、実家を出ます。
当時付き合っていた彼女と同棲生活へ。
この選択が思わぬ出来事に。
付き合って2回目のクリスマス。数日前彼女から「友達とクリスマスパーティーに行ってくる」と伝えられました。
12月25日、一台の車が自宅アパートの前に停車。彼女を見送るためにベランダに出て家の前を眺めていると、車から出てきた男と彼女がキス。
「まじかよ」でした。彼女を呼び戻して事実確認。浮気を認めたのでお別れしました。19歳の冬でした。
事件はまだ続きます。
別れた彼女に「部屋に置いている自分の持ち物を持って実家に帰るように」と伝えていました。その後、正月の連勤が終わり帰宅・・・
「モノが全部ない」
僕の衣服と壊れかけの洗濯機を残し、僕が買った家具も家電も全部なかったんです!(全部持っていけ、とは言ってない!)玄関を2度開けたこと今でも忘れません泣
就職して2年、お金も家具も愛も無くして再出発。
今では笑い話になってるいい思い出です。
20歳の夏、妻との出会いと結婚。
「お前今日空いてるか?」パチンコをしていた僕に先輩からLINE。
先輩「今日合コンやねんけどくるか?」
僕「いきます!」の2つ返事で集合場所へ。
「あの人綺麗だなぁ」と、集合場所で見惚れていた女性がまさかの合コン相手。合コン中、僕の頭の中はどうやって連絡先を交換するのかでいっぱいいっぱいです。飲み会中はうまくいかず…駅まで歩く道のりでなんとか連絡先を交換しました。
20歳の僕は駆け引きなんてできない!はじめから「付き合ってください」通りこえて「結婚してください」くらいの猛アプローチでした。(もう一回しろと言われたら恥ずかしくて無理。)
でも相手は大人の女性(8歳年上のお姉さん)さらっと受け流されます。それでも20歳の僕は諦めずに猛アプローチ。
ある日彼女が一人で海外旅行に行くことを知った僕は「空港まで送ります」とお見送りすることを伝えます。「いってらっしゃい」と見送ったのはいいけど、彼女からの告白の返事はお預けでした。
告白の返事が返ってきたのは旅先からのLINE。
彼女「ちゃんと帰って来れたら付き合おうか」
僕「ちゃんとって笑」
出会ってから約3ヶ月、諦めずにアプローチし続けた恋が実った瞬間でした。
諦めずにアプローチする。好きなものに必死になる。ハマったものがあまりない僕ですが、人生で一番必死になったのはもしかするとこの時かもしれません。
その約一年後、2014.07.05に結婚。
今年で結婚10年目。妻と出会えてよかったです。
怖いから人は動く。
2017年2月27日、この日が僕の人生の転機です。
父が膵臓癌で亡くなりました。48歳の若さでした。
「やり残したことがない」と言えば嘘になるでしょう。
寿司職人だった父は早朝に仕事へ出かけ、帰宅は毎日最終間際。帰宅後晩酌をしながらリビングの机で疲れて寝落ちする父の姿を小さな僕はよく見て育ちました。
父は自分の時間が多かった人生じゃなかったと思います。それでも文句を言っている姿をあまり見たことがなく、仕事の愚痴もあまり聞きませんでした。弱音を吐かない職人肌タイプ。
父が亡くなってから父の親友とご飯に行く機会があったのですが、「若い時から弱音は全然吐かないタイプだったな」と聞き、素直に尊敬しました。
父の遺品整理をしながら「パパはあまり口に出さなかったけどやり残したことはなかったのかなぁ」と考えているうちに、「自分はどうなんだろうか」と疑問が浮かぶようになりました。
高校時代からギャンブルにハマり、18歳からはお酒、25歳までギャンブルと飲み会漬けの日々。高校を卒業してから何も成長していない自分に気がつきました。
焦りのような怖さをこの時はじめて感じました。
「何者かになりたい」とか、
「有名になりたい」とか、
「お金持ちになりたい」ではなく、
自分の未来が怖くなったんです。
それが僕が行動をはじめた原点です。
行動する大切さは失敗と本が教えてくれた
「怖い」といってもすぐに行動とマインドが変わったわけではありません。
「後悔するから」という理由で会社を辞める勇気も持ち合わせていません。
なのになぜか挑戦した副業は仮想通貨でした。
当時流行っていたICO投資という、「この草コイン値上がりするから買いませんか?」という詐欺にまんまと引っかかりました。「値上がりするコインをわざわざ知らんやつに教える必要性ないやん」に気づけない情弱でした。
でもこの失敗のおかげで「お金についてちゃんと学ぼう」と思い、2018年11月、YouTubeチャンネルを開設してすぐの「両学長 リベラルアーツ大学」に出会います。
ここからお金の勉強を開始。読書も始めます。親父が亡くなってから1年半が経過していました。
ブログとX(旧Twitter)をスタート
リベ大でお金の使い方やNISAなど、会社員でもできるお金の増やし方を学びながらFP3級の資格を習得しました。
それでもなぜかお誘いがあるのが
・未来設計士?
・オフショア保険?
のような怪しい話ばかり。
でも断りきれないのが悪いところ。
事務所まで行き、何回も話を聞きました。
でもここでようやく、なんか違うセンサーが動きはじめます。「俺うまく利用されているな」みたいな感覚です。それからは「やらない」とキッパリと伝えて身を引き、「自分で何かを始めないと変わらない」と決心。
2020年10月、ブログとX(旧Twitter)アカウントを開設しました。
1年間半、副業迷子
ようやく自分の足で稼ごうと開設したブログ。
タイトルは「3児のパパの成り上がりブログ」
(すべってます。)
内容はリベ大で学んだ内容を実践した日記のようなものでした。アクセス数はもちろん伸びません。
Xの投稿も
「おはようございます」
「今日はこれやります」
「今日の積み上げです」
プロフィールも
「ブログ初心者〜3児のパパがサイドFIREするまでの道のりを発信」みたいに...
やってはいけないやつ、フルコンプ。フォロワーは、伸びません。でもなんでダメなのかもわかりません。
約1年間この状態で迷走。モチベーションも低下しブログの更新頻度も低下しました。
「どうすればいいのかわからない」と迷っていた時にヒントをくれたのが本でした。新刊の書籍記事を掲載したところ、アクセス数がグッと上がったんです。「これはイケるかも!」と思い、新刊メインに書く読書ブログに路線変更。
この頃アドセンスにも合格し副業のモチベーションも上がり始めます。
自分視点だけではなく、相手視点の重要性に気づき、ようやく副業のスタートラインに立った気がした瞬間でした。
Xもここから発信軸を読書に切り替えていきます。
ココナラ開始秘話
2022年6月、X(当時はTwitter)のフォロワーさんから1件のリプをいただきました。「ココナラで本の要約を販売してみたらどうですか?」と。ブログ以外の副業に無知だった僕は興味を持ちました。
アドセンスに合格し、本が少し売れて収益が発生していましたが3桁ブロガー。収益を上げるためにすぐにココナラに登録、本要約サービスを開始します。
普通にサービスを売っても売れないことはここまでの経験で学んできました。まずはリサーチです。するとココナラ界隈にWEB3分野に詳しい本要約者がいないことを発見。
ジャンルをWEB3に絞ってサービスを展開、開始して1ヶ月以内に初売上達成。少しだけ自分の成長を感じた瞬間でした。
この頃からXにも力を入れはじめます。
2022年7月、おとんさんから読書会スペース(X上での音声配信)のお誘いをもらいます。「読書アカウントとして認知されている」と実感できてめっちゃ嬉しかった。(スペースはグタグタでしたが。)
そして、2022年8月。
発信を追い続けていたマグさんからDMをもらい、読書と学びのオンラインコミュニティLectioに参加。(本好きが集まる最高の空間なのでご興味ある方はDMください。僕が大きく成長できたのはまちがいなくLectioの環境のおかげです。)
さらに8月、ココナラの収益が月5桁に到達。今までやってきたことが少しずつ繋がってきた感覚が生まれはじめます。
その後は読書アカウントとして認知が徐々に広がっていき、2022年10月フォロワー1000人達成。
ここまで2年。親父が亡くなってから約5年。地道にコツコツと続ける大切さを実感しました。PCスキルゼロスタート。ビジネススキルゼロ。そんな僕でもできました。副業はセンスゼロでも大丈夫。コツコツやることで成果を出すことはできます。
でも同時に停滞感を感じはじめます。
図解副業との出会い
2022年12月、図解に初挑戦。
読書のアウトプットと現状を変えるためにはじめた図解でしたが、図解発信をはじめたことで風向きが変わりはじめます。
図解きっかけでたくさんのお仕事をいただけるようになりました。知識をわかりやすく図解にする。本の要約で培った要約力と文章をビジュアルに変換する力が結びつき、想像以上の成果を生み出すことができました。
停滞期は挑戦しないと抜け出せないを体感したとともに、今まで読んできた本の恩恵が花開いた瞬間だったと思います。(副業観についてはまた別の記事で書こうと思います。)
「よし、ここから図解でさらに加速するぞ」と2024年へ……
息子に先天性疾患が見つかる。
1月3日の朝、突如息子が腰の痛みを訴えました。
熱など他の症状はなかったので1月5日病院へ。
レントゲンを撮ると、肺が真っ白。
その日のうちに大きな病院に運ばれていきなり入院に。
僕も妻もいきなりすぎて状況を飲み込めません。検査の結果「膿胸」という肺にバイキンが入り膿んでいることが判明。さらに厄介なことに、肺分画症という先天性疾患が見つかりました。
「投薬で膿を小さくしてから左肺の部分除去手術になります。」と医師に告げられ、驚いたというか、妻も僕も感情がついていきません。
ここから生活がガラッと変わりました。妻は付き添いで入院生活、娘たちはいきなりママとお別れ。いきなり入院した息子は投薬生活でメンタルが弱っていきました。
膿が小さくなることを待つ日々。入院生活が2週間を越えた頃、投薬によるアレルギー反応が出現しました。白血球が異常値を記録し医師から「アレルギー反応がひどくなればさらに大きな病院へ転院になります」と告げられます。
アレルギー反応で息子の体には赤い斑点、高熱は全然下がらない、この頃が一番しんどかった。
自分の体がしんどくなるよりも、子供の体に何かある方がしんどい。今まで子供達に大きな病気がなかったからかもしれませんが、健康であることの何気ない毎日のありがたさを痛感しました。
それから投薬を一旦ストップ、アレルギー反応が落ちつくのを待つ日々はしんどかった。ネットを調べるとアレルギー反応に関する嫌な記事ばかり目に飛び込んできて、忘れるためにも、とにかく図解を作成して時間の経過を待っていました。
幸いなことにアレルギー反応はゆっくりと落ち着いて転院は逃れました。薬も徐々に効いてきて、膿も少しずつ小さくなってきました。
次の問題は息子に「どうやって手術を伝えるのか?」です。
看護師さん、心理士さんと話し合い、看護師さんたちが手作りの絵本を作成してくれることになりました。入院3週間目、熱とアレルギー反応が落ち着いたタイミングで息子に手術を伝えます。
伝えた時、息子の目からは涙が溢れ「もうしんどいことしたくない」と。
いきなり入院、注射、投薬、高熱、アレルギーとしんどいの連続でした。体は元気になってきててもメンタルはボロボロ。
手術について伝えた後は息子に語りかけても反応がなく、無口になってしまいました。
SNS発信で「伝える」とは何かについて発信していましたが、伝えられる側の心の壁の厚さによって難易度が変わることを痛いほど味わいました。だって息子にすら届かないんだから。
息子の心の壁を除去するのは時間がかかりました。本や漫画を差し入れで持っていったり、何気ない話をしたり。退院して家に帰ったら「元気になるかなぁ」と妻と話したり…心のケアはとてもむずかしかったです。(今でもメンタルケアは悩んでます。)
2月6日、入院してから1ヶ月後、一時退院することができました。膿はまだ少し残っていましたが投薬はアレルギー反応が強すぎてこれ以上投与できない状態。一時退院して3月12日に手術をすることになりました。
退院してからよかったことは息子に元気が戻ったこと。これはきっと娘たちのおかげです。何事もなかったかのように出迎えてくれる娘2人が、本当に温かかった。
「自分の心地よい居場所がある。」娘たちのおかげで息子も深刻になりすぎず、日常を早く取り戻してくれました。手術についても少しずつ受け入れられるメンタルになってくれて妻とひと安心しました。
決心する。
誕生日の2024年3月9日に開業届を提出しました。
息子が入院中も副業を継続していました。
辞めることもきっとできました。
誰かに丸投げすることもできました。
でも息子も頑張っている。
逃げたくなかった。
僕が開業届を出す決心がついたのは息子のおかげです。人って「怖さ」を体感しないと動けないんです。今まで僕は未来のワクワクだけで進んできたと思っていましたが、全然違いました。
未来に対して絶望する経験は人の考え方と行動を大きく変えます。この頃、「大変な時こそ大きく変わる時」とどこかで読んだ言葉は今でも心に残っています。
しんどいは結束力をあげてくれる。
3月12日、息子の左肺下部除去手術。
落ち着いた雰囲気で息子は手術室へ。
息子を見送ってからの時間は長かった。妻と二人、何もできないけど落ち着かない。「もう終わったかな?」「予定通り進んでいるかな?」気持ちを紛らわすためにPCも本も持ち込んでいたけど、全然進みませんでした。
16時頃、病院支給の携帯が鳴りました。
「ぶじにおわりましたよ」
妻と交代で息子と再会です。チューブにたくさん繋がっている、麻酔の影響でぼんやりしてましたが、顔を見てひと安心。久しぶりに息子の手をちゃんと握って、「お疲れさま、頑張ったね」って、心から言えた気がしました。
術後は超良好。開胸せずにすんだのでなんと1週間で退院。子供の回復力恐るべしです。
2024年1月3日からの経験を得て家族の結束力が上がった気がします。しんどいを乗り越えることは大事。改めて感じた出来事でした。
等身大の自由を手に入れる
父が亡くなり行動をはじめて約7年。
騙され自分の未熟さに気づいたり、本とSNSを通じて自分の成長につながる出会いがあったり、息子の病気を通じて働き方と向き合ったり…
行動することで知らなかった世界をたくさん知ることができました。
たしかなことは、どれか一つでも欠けていたら今の居場所はない、ということです。
それと
また、
行動してきたことでこの2つのことに気づくことができました。この気づきは自分が副業を継続する上で大切にしています。
『後悔しない人生を歩いていく』ことはむずかしいです。壁にもぶつかります。でも等身大の自由を手に入れるために、「怖い」とちゃんと向き合いながら、壁を乗り越えることが自分の成長につながる。
これからもワクワクを大事にしながら、自分のことを支えてくれる人を大切にしながら、勇気を出して小さな挑戦を繰り返し
後悔しない人生を歩んでいこうと思います。
感謝
約10000文字の長い自己紹介を読んでくださり、本当にありがとうございました。
ここまで読んでくれた素敵なあなたに小さなプレゼントを用意しました。「図解制作500円OFF」と「無料のZOOM相談」をお贈りします!
ご希望の方は公式LINEに登録していただくか、XのDMからメッセージをいただけると嬉しいです。またこの自己紹介が何かの励みになったという方は引用リポストしていただけると全部読みにいきます!
本当に最後まで読んでいただきありがとうございました。
なかじ
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