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推しの子第二期でみる脚本家と原作者とのコンフリクト(一部ネタバレ)

推しの子第二シーズン視聴。こちらは原作者の芦原妃名子さんが亡くなるというところまで深刻な問題になった、脚本家と原作者との関係について、非常に明快に展開されているので、第二期の話をつかって、整理したいと思います。

まず、著作物の場合、著作権が適用されます。ここで特に重要なのは、推しの子第二シーズン(以下推しの子と省略します)でも言及されている原作者の権利である著作者人格権の同一性保持権です。著作権は表現の自由という現代社会で根本的に重要な権利にかんする権利のため、特に日本では基本的人権、自然権であり、極めて強いとみなされることが多いです。そのため、仮に原作者が少しでも自分の作品が気に入らない場合、利用を差し止めることが可能です。

それ自体は当然なのですが、上記のような原作をアニメやドラマ、演劇といった二次創作に利用する場合、話は複雑です。というのは、上記の原則を厳格に適用し、少しでも気に入らない場合、仮にほぼ作品が完成し、多大なコストをかけた後でも作品の利用ができなくなり、その多大なコストが全てマイナスになるということが起こります。この点は、専門の不完備契約理論のホールドアップ問題として定式化でき、例えばこちらにまとめています。http://thinkcopyright.org/nakaizumi-copyrightsinternet.pdf
そういう場合、ほぼ確実に二次創作が阻害されます。これが人格権と経済的権利の大きなジレンマです。しかも経済的権利は推しの子でも言及されているより、多くの関係者のマイナスになるので、結構たいへんです。そのため、あまりに同一性保持権を適用しすぎると経済的マイナスが大きいため、その制限規定を盛り込む場合が多いと聞きます。

以上、原作をアニメやドラマ、演劇といった二次創作に利用する場合、原作者の同一性保持権(著作者人格権)と再創造に伴う経済的利益とのトレードオフというものが非常に深刻で、他の産業には少ない重大な問題となることをまず指摘したいと思います。

では、これをどのように解決するかというのがこの原稿の最大の意図です。まず、元も子もないですが、このトレードオフはあまりにも大きいですし、原作者と再創造に関わる人の立場や考え方の差も大きいので、完全な解決策はまずないと思います。更に、悲劇的な結末になるのを防ぐか、出来るだけ合意できるようにするかというどちらの目的をとるかでも違ってきます。

そして、ここでもう一つ考えないといけないステークホルダーが登場します。それは観客です。どれだけ原作者が同一性保持権を確保できたとしても、それが観客にとって不愉快なものであれば、今回のように悲劇的な結末が起こり得ます。なので、個人的には、原作者が同一性保持権を厳格に確保することが原作者の利益になるかというと実は疑問です。むしろ、推しの子のケースのように出来るだけコミュニケーションをとることが重要ではないかと思います。ただ、それで更にこじれて、より深刻な問題になる場合もあるので、ここではあくまで一つの提案をしたいと思います。

以上、ここでは、原作者が同一性保持権を厳格に確保するだけでは問題は解決しない。更にどこまでコミュニケーションをとって歩み寄るかはケースバイケースである。ということを前提として、コミュニケーションをいかにうまくとるかということを推しの子のストーリーに合わせて展開したいと思います。

もし、原作者と二次創作者が全く対立するなら、こういうコミュニケーションはほとんど無力です。でも、そうではないのでは?と思います。自分の創作物を提供しようと思ったので二次創作をするわけですから。ただ、そこで自分の意図せざる改変が行われた時、その要因は何か、またどこまで妥協できるか。これらをより良い方向に持っていくためのコミュニケーションの手段が必要です。

現在、当然重要なのか観客であり、お金を出すスポンサーのため、最も重要な改編を行う脚本家の地位が低いということが一つの問題です。従来はメディアがさまざまな方法を駆使し、脚本家を守り、原作者の意図に反しても二次創作を行うということで、問題は軽減されてきました。実はこのような大きな権限を持つ主体が存在する方が、こういう複雑な問題を解決するにはうまくいきます。これも現実なんですね。でも現実問題、メディアの力は弱くなり、それによって起こった、象徴的な事件が芦原妃名子さんが亡くなるという悲劇だと思います。

現在は過渡期ですが、では問題は悪化するかというと、コミュニケーションの設計をうまくすることで、改善するのではと思います。

推しの子によると、現在は、上記のイラストにもあるように、原作者と脚本家とのコンフリクトを最小限にとどめるため、その間に5者も入るそうです。そりゃあ、伝言ゲームになってまとまらないことも起こり得ます。しかもこれだけ多いと、むしろ原作者に介入させないという意図を感じますよね。ただ、原作者と脚本家と直接やりとりすることでこじれて収集がつかなくなることを防ぐという意味合いがあります。また、仮に意気投合すると、非常にマニアックになり観客には受けにくいというリスクも発生します。

なので、立場の違いを間に複数の主体を入れることで、これまでは問題を回避することを最優先してきたと理解しました。それでベストかというと、もう少し改善の余地があるのではないかと思うのがこの原稿のテーマで、推しの子の結論でもあります。というのは、単に多段階を踏むというのではなくて、どこが問題かをしっかり理解するエージェントを入れるってことですね。

最近それができないということで問題が起こっていますが、基本目標が良い作品を作るということであれば、お互いの情報の非対称性を埋めるような存在を仲介させる方がいいのではと思う次第です。

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