大人の恋するフォーチュンクッキー
午前中ジョギングをしていて、猛暑だからすぐへばっちゃってほぼ散歩だったんだけど、大人の恋するフォーチュンクッキーというワードが浮かんだ。昨日友達と中井設計のTiktokどうするかを話題にしゃべってて、中井設計の衣装やメイクはキャッチーだからするべきで、メイクがめんどくさいとかごねてたら、馬鹿か!と怒られてしまった。でもメイクはめんどくさいので週1回に撮り溜めしたい。
誰が作ったかもわからない曲を誰だか知らない人が歌っていても聴いてもらえないのはわかる。私は結構既存の曲をアレンジするのが好きなのだけれど、せっかくの時間を使うなら自分の曲を作りたいと昔から考えてきた。でもオリジナル作るのってエネルギーがいるから腰が重くて作り出せないという悪循環があった。時間と体力があっても、毎日作るとなると例えばライブの準備とか用事が被るとどうしても難しい、作ろうと思えば1日1曲って作れるなというのはわかったけど今振り返ると全曲に対して熱く語れるかというとそうでもない。とにかく露出を増やそうとする場合、人に認知してもらいたい場合は、みんなが知っている曲を媒介にするのがいいんだなって実感した。理性ではわかっていたけれど、「自分で作った曲でも熱く語れるストーリーがないと結局愛せない(毎日更新するような量産には向いてない)」ということがわかったから心でも納得した感じ。
本題に戻るとアイドルの曲が好きで、マジの作曲家がコンペで競争を勝ち抜いた洗練された曲だし、AKB48や乃木坂46の曲、日向坂46もだけど、秋元康さんの詞も美しく儚く、歌詞とはかくあるべきだよねって共感するものが多くて好きだ。編曲が好みではないってのはあるけどいつも心のどこかで曲が鳴っていることがある。
それで、大人の恋するフォーチュンクッキー。さっしーが好きだからそれが出てきちゃうんだけど。地声が低い人でも女性の曲を堂々と歌えるようなバージョンがあってもいいよね、キーを下げても編曲の華やかさは変わらないから低い声用のアレンジって本当はあるよねという仮説。常日頃考えてることってこういうことなんですけど、今までオリジナル曲でそれをやろうとしていたけど、女性曲でそれをちゃんとやってみようかなとジョギング中に考えた、というお話。「低い」「オク下」「シンプル(なアレンジだと声が抜けてくる)」とか候補はあったけど「大人の」がいろんな意味を包含してていいかなと思った。オリジナルだとただ声の低いシンガーが自分で作った曲を歌うという事実だけになってしまうけど、既存曲をデザインする際にはコンセプトとなる言葉が生まれるので、何をしようとしているかが明確なので伝わりやすいような気がしている。
昨日また変な夢をみた、高架下、というより低架下というのが正しいような、浮かせた線路の下が半地下のようになっていて安い飲み屋で埋まっているような感じ。基本は狭いカウンターで通路側に机とオーニングで露天のようになっていて、ハイボールとモツ煮みたいな感じ。そこを歩いていると歳は結構重ねているけどママとして人気がありそうな金髪のお姉さんとか、客と揉めている店なんかがあって、あんたこんなところで足洗ってるんじゃないよ!おばあさんの声が聞こえるなと思ったら食器を水につける槽に足を突っ込んで足を洗っている汚いギャルがいたり、なんだか不衛生な飲み屋街だった。
飲み屋街を抜けると静かな線路沿いが続いている。花火大会の帰り道のような、普段は歩かないけど線路沿いだからなんとなく自分がどこにいるかは保証されているような薄暗い道で、昔付き合っていた女性(に似ている?)が数名で前を歩いている。別に話したくもないけど本人かどうかは知っておきたい、そんな気持ちで近くに寄って近づこうとすると相手のグループはさりげなく立ち止まりこちらを振り向く。ウップス!咄嗟にこちらも身を翻しさも来た道を引き返そうとしている人を装ったが、女性の顔はやっぱり彼女っぽい、もう一度確認したいと振り返ると彼女はこちらに向かって歩き始めていた。どう考えても彼女なので、こちらは不衛生な飲み屋街の方向に逆走しているのだが、すでに飲み屋街は遠く本当はどこを目指していたんだっけ、と思って目が覚めた。空が広く、クリアとはいえないまでも奥行きを見つけていた。数秒後に自分はどうなるのか額に汗をかいていたような、冷房を切って寝たことを思い出すような、気怠い夢であった。
冷房の風を浴びて枯れた紫陽花がどんどん葉を落としながら、机上に濁った風情を呼び込んでいる。
写真は元気だった頃の紫陽花。