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赤紙

もし赤紙が届いてしまったらどうするだろうか。
赤紙は臨時召集令状のことだ。
戦争に参加しろと言われたら、私はどうするだろうか。

命をかける一大事なのでまずは諸条件を調べる。法的拘束力のある令状なのだろうか。日本国民である以上従わなければいけないのかどうかが知りたい。またその状況化で亡命をすることが可能かどうか。うちの親がインターネットで調べた情報をLINEで矢継ぎ早に送ってきそうだ。戦争なんて行く必要ないと言うだろうが、法的拘束力があったとしたら、じゃあしょうがないねとも言いそうだ。
まずは日本に生きながら戦争をする状況を作ってしまった、その清算は自分達でするしかないと思う。嘆かわしい状況下で、政治への批判を込めた焼身のパフォーマンスを行う者も現れるかもしれない。街は大混乱で仕事どころではない。珍しく若者がデモを行うかもしれない。しかし赤紙が出るようになってからNO WARを掲げたんじゃ遅い。まぁそういう話がしたいわけではない。

戦に出るんだ。命があって帰ってこれるとは思わない。きっと私は母や父、妹、叔父さんに手紙を書く。直筆で、B5サイズの便箋に横書きで書く。

お母さん
戦争に行く事になりました。
法的に義務があるとの事なので従う事になります。
産んでくれてありがとう。
お母さんのおかげで、幸せな人生を送ることができました。
こうやって素直な感謝の気持ちを文章にするのは、20歳の成人式の時以来だね。
孫の顔をみせてあげられなくてごめんね。
お母さんに言われた事に傷ついた事が何度もあって、もうお母さんには心を開かないようにしようとしてしまっていました。表面上はなんて事ない感じで接していたから衝突もなかったけど、きっと心ここに在らずみたいなコミュニケーションしか取れていなかったと思います。寂しい思いをさせていたと思います、本当にごめんなさい。私をヴァイオリ二ストにしたかったお母さんにとって、習い事のしすぎでストレスで倒れてヴァイオリンをやめた私のやることは「たかが〜」と切り捨てていくようでした。ヴァイオリンを辞めたいと言った時も、いくらかけたと思ってるのよと言われました。お金が勿体ないからでやりたくないことさせられたんじゃたまりません。ギターが上手くなってきて喜んでいてもたかがギターなんてと言いましたね。音楽の仕事がしたいと言っても無理に決まっている、音大に行きたいと言ってもお金の無駄、大学に受かっても予備校に行かせたんだから当たり前でしょ、建築学科の課題で最優秀賞をとっても「たかが日大でしょ」と言われました。一級建築士に受かってもすごいですねの一言、でも建築業界はブラックなんでしょ?と言って人の気持ちとか考えないのでしょうか。お母さんと会話しても不愉快な思いしかしないので、もう興味がなくなってしまいました。仕事の話をしたって大手企業に就職できるかも、そんな話の時だけ盛り上がって、それが私にとってどんなプライオリティなのかは関係ないようなブランド思考で本当に頭にきました。
私はお母さんを避けてしまいましたが、お母さんの両親やお友達も亡くなってしまって、生きがいは犬や子供だけなんだろうと思うととても寂しい気持ちになります。この戦争が終わって、万が一無事に帰って来れたら、ヴァイオリンを一緒に弾きましょう。
母国のために戦える、健康で誠実な大人に成長しました。
今まで育ててくれてありがとう。

お父さん
戦争に行く事になりました。
今までありがとう。
小学生の時に連れて行ってもらった会社の福利厚生行事のイチゴ狩りの時に、巨大な建物に入ったお父さんのオフィスをちらっと見学させてもらったとか、とてつもなく広く感じてこんなに凄いところで働いているんだなぁと感心した覚えがあります。またそれくらいの小さい時、「夜分遅くに申し訳ございません、(父の名前)をお願いします」と練習してから会社の親電話に電話したのに、電話にでたのがお父さんだったことにびっくりしました。電話の近くにいたのかなとその時は思いましたが、今思うと上長だったお父さんは一人遅くまで残って仕事していたんだと絵が浮かびます。社会人を10年やってみて、チームの管理をやる事になって初めて、会社で働くってこんな大変さがあるんだなと実感し、それ以上の責任を任されていたお父さんは本当に大変な思いをして働いて私たちを育ててくれていたんだなと思いました。大変だったと思います。ありがとうございました。
お父さんが壊れたギターをゴミ捨て場から拾ってきたり、たまに買ってくるギターマガジンを読ませてくれたりしたことで、自分がギターを持つというイメージを少しずつ持つ事ができて、叔父さんにギターが欲しいとお願いする事ができたんだと思います。お父さんの趣味やほんのちょっとした楽しみが、私に生きがいを与えるきっかけとなってくれました。ありがとうございました。お父さんが毎月のように買っていたカメラの雑誌に投稿されていた素人が撮った写真、たまにヌードがあったり、週刊誌のエッチな袋とじがあったりして、お父さんの部屋で昼寝をする度にそれを覗いて情操教育を受けていたことをここに白状いたします。
お父さんには小学生の時、お前から勉強とったら何が残るんだと言われた事がありました。夏休みの旅行中の楽しい気分が台無しです。ヴァイオリンもピアノも嫌々頑張って練習してたのに、旅行先にもキーボードを持ち込んで練習させられるようなハードな幼少期だったのに、一番の取り柄は勉強だと思ってたんですね。一生許しません。あとお父さんと妹が口喧嘩してた時に仲裁に入ったら、分かったような口を聞くな、と言いましたね。私の意見には意味がないのだとショックだったので、もう何も言わないことにしました。
最近は父の日だの誕生日だのにお祝いを送ってもその事を忘れて、父親なんてどうでもいいと思われてるんだなんて言うそうなので、毎回ギフトを送るようになりました。戦争に行くのでこの前のが最後になりますが、もし無事に帰ってくる事ができたら、昔よく行ったルアー釣りに行きましょう。
お父さんのおかげで健康的に成長し、中高大学と通え、幸せな人生を歩むことができました。
今まで本当にありがとうございました。

妹へ
今までありがとうございました。
いつの間にか疎遠になってしまったけれど、初任給で両親にディナーをご馳走したと聞いた時に偉いなぁと思いました。お母さんをブタと言って泣かせたり、一人暮らしを支援してもらったのに料理も覚えずカップラーメン生活をしていたり、よく親を泣かせる人でしたが、なんだか人間らしくていいよなぁと思っています。ほんの短い間だったけれども、一緒にポケモンをやったり、マジックザギャザリングをやったりしていた時は兄妹仲良くやっていましたね。戦争からもし帰ってこれたら、近況聞かせてください。私はわかったような口を聞く人間が嫌いなので、ご配慮ください。
元気で、幸せに過ごしてね。

叔父さん
戦争に行く事になりました。
自衛隊所属だった叔父さんからしたら、耐え難い事実だと思うけれども、こうして日本に生まれ育った以上ケジメをつけるしかありません。
まさかこんな事になると思わず、身体も対して鍛えず、常識も学ばずに、音楽ばっかりやってきました。戦の場において演奏技術なんて何の役にも立たないかもしれないけど、もし生き延びたら、こんな曲を作ろうだとか、これを歌ってやるんだとか、そういう希望や悔しさなんかを持ちながら人生を全うできるこのことこそが、私の最大の武器なんだと思います。
クリスマスにギターを贈ってくれてありがとう。あの瞬間から世界は変わりました。自我をもち、夢を持ち、未来へのイメージを持つ事ができました。いつも応援してくれてありがとう。私自身がどう感じているかをよく理解しながら、少しずつ手を差し伸べてくれてここまでサポートしてくれたのは叔父さんだけです。本当にありがとうございました。叔父さんみたいな大人からしたら私の至らないところとか沢山目につくと思うけれども、味方がいてくれる、そういう心強さを胸に生きる事ができています。戦争は今まで経験してきた生活の真逆の環境で死に突撃しに行くようなものだと思うけれども、必ず生きて帰ってきたい。叔父さんより先に死ぬわけにはいかないよ。だから心配しないで、祈りつつ、待っていてください。
今までありがとう。

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