ゲームボーイ
我が家にゲームボーイが来た。
電池を入れて「Nintendo」のロゴとピキーんという音を聴き懐かしさに眩暈がした。
LSDjというアプリケーションを操作するために手に入れたものだ。
最初にゲームボーイに触れたのは小学低学年くらいの時か?中学年かしら?サンタさんが赤いゲームボーイを枕元に置いてくれたのだ。Dr.マリオというテトリスやぷよぷよのようなパズル系のゲームを添えて。ゲームボーイが欲しいなんて自分が言ったかどうかは覚えていないし、欲しいなんて思っていなかった気もするが、ゲームは1時間までとか制限を掛ける系の親にしては容易にゲーム環境を与えるのだなぁと不思議に思う。
さっき届いたゲームボーイは、初めて触るLSDjの操作方法がまだ直感的にわからないのでさっさと諦めてよしもとばななの本を読んでいる。下北沢のエッセイだ。まるまる一冊一気に読んでしまった。少しずつ読み進めていた、うたかた/サンクチュアリ、という小説も読み終わった。読みやすく、ユーモアがあり、そして寂しさとちょっと不思議なストーリー展開やキャッチーな設定に惹き込まれてもう虜だ。
風が強く、ビュービューガチャガチャとバルコニーに干した洗濯物が風に攫われそうな音を聞きながら読む吉本ばななは最高だ。下北沢のエッセイでは小説家として生きることを決めた事に自覚的であるんだなということがわかったし、ハードに働きながら子供を育て、生活に必要な家事などをなんとかやりながら街で人と出会う様子がユーモアたっぷりに描かれていて、行ってみたいなと思って登場した店を検索してみると「閉業中」と出てきて残念だったりした。ばななさんはゾウガメを飼ったり、動物が好きな方なのだ。わざわざゾウガメを飼うようなエネルギーがすごいし、それを許してくれる大家さんの話もおもしろい。退居時も動物飼育による修繕箇所は結構なものだったようだが、細かくそんなに請求されなかったようだ。慎ましく生活していたのに莫大な請求をされた私がとてもかわいそうだ。
2ヶ月間めんどくさいだの怠惰だの鬱ブログを展開していたが、最近は自分に怠惰を感じなくなってきた。午前中は運動の時間にしようとなんとなく決めると、外に出かけるのが楽しみになった。基本的に日光を浴びるのが好きなのだ。ジョギングのつもりの散歩、1時間から2時間かけてジョギングコースを歩き、気が向いたらいつもは行かない裏道に入っていってどこだかわからなくなり後悔する。汗だくになりながら昨晩のオールナイトニッポンを聴き、終わるか終わらないくらいで帰宅してシャワーを浴びるのが気持ちいい。わーっと頭を拭きながら氷がいっぱいのジョッキにコークを注いで飲みながら、絵を描くなり調べ物をするなりして過ごす。絵を描いているといつのまにか23時だ。やる事が明確で、悩むこともない。今の絵柄はシステムがほぼ決まっているので、ちょっとずつ仕組みを変えながらもスルッとサラッと製作が進む。やる事が決まっている、イメージが明確にあるというのはストレスがなくて良い。
きっと絵画を専攻していたら、画家という自意識が少しでもあったら、このような制作はできないんだろうと思う。あれと似ている、これを作る意味は何か、社会にとっての存在意義は何か、歴史の中での位置付けを説明できるか、そんなことを考えてしまって筆が進まないだろうし今の絵柄に満足はしないだろうと思う。そういうことは知らないふりをしてスルッとサラッと描く。難しいことは一切していないので誰でも真似できる。下絵を描いて、スキャンして、フォトショップで色を塗るのだ。誰でもできる。
音楽は身近で誰でも作れるし演れるよ、みんなやろうよ!ということを伝えたいのに、実は自分でスルッとサラッと作れていない。