独立器官
たとえぼんやりイメージがあっても、それを明確化するには思ったより時間が掛かるようだ。2日もあればデモ音源くらい、、と甘く見ていたが結局人生観を問うような押し問答に行き着いている。とにかくヒントを求めて、必要と思う情報に手を伸ばしていき、脳に映像や絵、活字をインプットしていく。自分が今作ろうとしているものは、何なのか、何に近いのか、を探り、近いものが見つかればその周辺をアイデアの情報源にできる可能性が高い。
そんなこんなで、今作ろうとしているものは短編集やショートショートなんだろうな、ということから、ショートショートってどんなんだっけと家にある大分前に買った読みかけの短編集を引っ張り出す。棚にギュウギュウに詰め込まれた大小の書籍にうんざりしているので本なんて全部捨ててしまおうなんて思う事がしょっちゅうあるのだが、今この瞬間にこういうものを試しに読みたいというときに自分が自ら選び読みかけている状態の本がすぐ手元にあるなんて最高のストーリーだ。こういう事はたまにあるから「はい捨てましょう売りましょう」とは簡単にならない。
一度手に取ると面白くて一日中読書をしていた。面白いのに読みかけになってしまう理由は、短編で完結すると他に興味が移ってしまうことと、内容が示唆的なものだったのでハッピーエンドで気持ちいいとかそういう類のものでなくまぁ今読まなくてもいいかと当時思ったのだと思う。短編なので興味深そうな話から読み、その選別で優先順位の一番低い話を先程読み終わった。そこに正に自分のことが書いてあり驚いた。おもしろい。最後まで読んで良かった。まるまる同じではないけれども、恋愛観のコンセプトが同じだ。この作者が私とバーで何度も飲んでないと書けないような内容で、具体的にどうというのを書く気にはなれないがこういう人っていうのはよくいるものなのだなぁと思う。
試しにやってみるとか、可視化するとか、そういう事をやらないことには何にも始まらないよなぁと感じる。でもある程度その検証にタイトルをつけれるくらいにははっきりとしたイメージがないと着手する腰も重いというものだ。だから新しいコンセプトの曲を作ろうとする時、とりあえず歌詞を、とかとりあえずサウンドをとか思ってしまうんだけど、結局ぼんやりとしたイメージを具体的するためのメモを一つ一つ書いていって自分の頭の中で映像になるまでそれを続けなければ形にならない。頭の良いふりをして近道しようとしても、私はダメなのだ。
写真は焚き火。