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刺青

いれずみ、という言葉に「青」が使われている事に気がついたのは、青が使われている言葉を探している最中だった。

ギターの先生にお前は刺青入れたいのかと言われて、BLINK182のドラマーみたいに全身に入れたいと答えると温泉に入れなくなって不便だぞと返ってきてつまらない大人だなと思った事がある。結局1ミリも身体に針は刺していないし、その予定も無い。

会社の人とゴルフ終わりやキャンプ帰りの温泉に浸かったりする時、刺青入ってたらバレちゃうんだ危ねぇと毎回思う。何が危ねぇなのかわからないが、刺青が無いから不便だ惨めだと思ったこともない。

名古屋で銭湯に行った時、刺青だらけのおじさんが体を洗っていた。いいんだ、と不思議に思ったが街の銭湯は良いらしい。

立ち止まって考えるよりかっこいいを優先するのがワルというものなのだろうか。私が立ち止まってウジウジしていると、ワルの気がある友達はやっちゃえやっちゃえと背中を押してくれる。

刺青を入れてレーザーで消しているのを見ると、よく考えないからじゃん、と思うのだけれど、よく考えずに行動してみるという気質には利点や魅力があるのだろう。

決断をした、心に決めた、ということの表現として刺青を入れるようだ。私は極力決めないので、刺青とは相性が悪い。

カナダに居た時、その地元で買ったタトゥーシールを肩に貼ってみたことがある。周りにタトゥーの入った(控えめなやつ)大人が何人かいてカッコよかったので試しに真似してみたのだ。タトゥーシールは遠目からだとフェイクだと気づかない。えっ⁉️タトゥー入れてるの⁉️と周りのティーンネイジャーは色めき立つが、そんなわけ無いと男たちにマジマジと物色され私が答える前にこれはフェイクだとネタをバラされてしまう。タトゥーを入れているとこんなに一目置かれるものなのだなぁとバカバカしく思ったものだ。

小学6年生の時、転校してきた金髪の女子はわかりやすくグレていて異彩を放っていた。ジャニーズが好きで、クラスの女子を巻き込み、腕に油性マジックで推しのメンバーの名前を描き合い、二人で風を切って歩いていた。担任の女教師はそれを見つけた途端に激昂し「刺青なんて入れるんじゃない!!」と怒鳴りながら抵抗する腕を引っ張って水場まで連行していた。刺青という扱いになることが新鮮だった。

その女の子は気がある男子へのメッセージをみんなが下校した後、放課後の黒板に名指しで書いていた。
「何も言わずに後ろから抱きしめてくれたらいいのに」
およそ小学生の女子が書くと思えない色情を感じさせる鮮烈なそのセンテンスはセンセーショナルで、学年中の父兄に広まり私の耳にも入ってきた。同じクラスだったが、黒板に書かれた現物は見ていない。私が科学クラブでミニ四駆を走らせて喜んでいた時分、いつもの教室のみんな放課後にあの子は自分の言葉で表現をぶつけていた。忙しいプロゴルファーを父に持ち、いつも家に誰もいないそうだった。

刺青事件でゴルファーの娘と共謀した女の子は、中学に上がると朝の通学時にたまにバス停で会った。私はバスに乗るために待ち、彼女はそこが通学路だった。小学生の頃と雰囲気が変わり、朝だからなのかなんだか大人しく、しおらしく、色が白くなったようだった。運動神経の良い彼女が数ヶ月前までバサバサなびかせていたほんのり茶色い地毛は綺麗に結ばれており、世界はこんなに変わってしまったんだと私は前向きな切なさのようなムズムズとした想いに胸を苦しめていた。

あれから私は、白い髪を振りながらギターを弾いて歌う人になった。

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