見出し画像

中井秀明「変な気持」

文芸評論「変な気持」のPDFファイルを販売します。

初出は群像2004年6月号、分量は2万字(400字詰め原稿用紙換算50枚)です。

標題の「変な気持」とは、1932年に32歳で亡くなった小説家梶井基次郎の言葉です。彼は生前発表した20篇の作品中3度この言葉を使っています。拙論はこの4つの文字の、作中での振る舞いの違いに着目し、そこから「心境小説」という日本文学の、あるいは日本語の根源的条件に迫るものです。

冒頭部と結末部を下に掲げます。

<冒頭部>

 イデーはあるが、詩にならない。そう嘆くドガに、マラルメがいう。詩はイデーによって作るのではなく、語によって作るのだと。
 これはヴァレリーの「詩と抽象的思考」で紹介される一挿話である。このイデーがヴァレリーの考えるように内なる言葉だとしたら、ドガの嘆きは翻訳に関わる。つまりドガは翻訳の仕方を知らなかっただけだ。しかし、ドガのイデーが、「語に表現せられ得たかもしれぬもの」でなかったとしたらどうか。問い方を変えてみる。右のマラルメの言葉は、ヴァレリーのいう「ある変改」、すなわち内的言語の、詩と呼ばれる機械への翻訳についていっているのだろうか。むしろマラルメは、それが内なる言葉であれ何であれ、詩作におけるこのような翻訳の過程を否定したのではないか。無論それは、内的言語を否定することではない、ましてや霊感を肯定することでもない。詩における因果関係を否定することである。この因果関係を「表現」といい換えてもいい。しかし、これは詩だけの話ではない。マラルメにとって、「散文などというものはない」(「文学の進展についてのアンケート」)。
 一方で意識と自然、他方で詩と散文を区別しながら、詩作における霊感と、詩の言葉における実用性をともに否定するヴァレリーは、詩の究極性を語っているようでいて、しかし、あくまで詩が表現であることを留保する。ここには霊感とは別の奇跡、実用性とは別の合目的性がある。そして、この奇跡が奇跡であることができるのは、この合目的性があるからにすぎない。たとえば彼はこのテキストの末尾付近で、「表現への意志、自分の感ずるところを訳出する要求」とは逆の方向、すなわち「何らかの表現手段が、役立つべき何物かを欲する」ことがあるという。何ものでもなかった言葉が、そうである前からすでに表現と呼ばれ、手段と呼ばれる。そしてそれは実際、表現となるのだ。ヴァレリーにおいて「表現」は執拗である。だが創作とは、表現のいい換えにすぎないのだろうか。あるいは、人は表現によって創作するのだろうか。
 ある日、仕事に倦んだヴァレリーが、気分を変えようと外に出る。近所の通りを歩いていると、突然、ある律動が彼を襲う。それはすぐに奇妙な運動の感覚を呼び起こす。誰かが自分のからだを操っているようだ。しかし、それだけではない。また別の律動がやって来た。二つの律動は重なり合い、いわくいいがたい交渉を展開する。そしてこれが、彼の脚のうごき、彼自身よくわからずに口ずさんでいた歌、というより、彼の肉体を用いて非人称的に口ずさまれていた歌に結合する。この結合は、次第に複雑さを増していく。やがてそれは、彼の律動能力をもって産み出すことができるものを超える。耐えがたいようだ。恐ろしい。自分は音楽家ではないのに。どうしようもない。間違っている。
 ヴァレリーは、この「異様の感」を表現することができない。彼はこの事態を、「一音楽作品の内容は私に惜しみなく与えられていた」と説明する。しかし、自分は音楽家ではないので、ここから作品を産出することができなかったというのだ。ヴァレリーは絶望する。しかし、この絶望は、表現それ自体に対する絶望ではない。「イデーならば、それは私に親しいものであり、私はそれを心に留めたり、誘発したり、操ったりできるのです」。しかし、この「異様の感」は、彼がそれを委ねた音楽家ならば表現できたものなのか。いやむしろ、こう問うべきだろう。音楽家の創作の出発点に、この種の律動が存在するのか、音楽家とは、表現する者なのか。
「彼らは、ただ、己れの心境を出来るだけ直接に、忠実に、写し出そうと努めたに過ぎぬのだ。マラルメの十四行詩(ソンネ)は、最も鮮明な彼の心の形態そのものである」。とすると、小林秀雄もまた、マラルメの詩に「表現」を見たのだろうか。そうかもしれない。彼は、その「朦朧たる姿」にもかかわらず、やはりそれは「心の一状態」を表現しようとしたのだと考える。しかし彼は、この心の一状態を「心境」と呼んだのだ。「様々なる意匠」の小林は、ヴァレリーというよりむしろ、志賀直哉の「小僧の神様」に登場する「善良な細君」に似ている。
 この作品で、貴族院議員のAは、秤屋の小僧である仙吉に寿司をご馳走した後、「変な淋しい気持」に襲われる。だがこの気持は、議員仲間のBと会い、音楽会でY夫人の歌を聞いているうちに「殆ど直って了」う。その後帰宅したAは、妻に自分の「変な淋しい気持」について話すが、それに対して妻は次のように答える。
 
「何故でしょう。そんな淋しいお気になるの、不思議ネ」善良な細君は心配そうに眉をひそめた。細君は一寸考える風だった。すると、不意に、「ええ、そのお気持わかるわ」と云い出した。
「そう云う事ありますわ。何でだか、そんな事あったように思うわ」
 
 つまり小林秀雄は、マラルメに「ええ、そのお気持わかるわ」といったのだ。人の気持が分かる、共感する。小林にとって芸術とは、「常に最も人間的な遊戯であり、人間臭の最も逆説的な表現」である。
 さて、梶井基次郎の作品について、丸谷才一が「非人間的とさえ言い得る精神のあり方」といっている。そのような「精神のあり方に共感することは、ぼくにはできない」。この見方は正しい。梶井の作品は、非人間的である。そして人は、梶井の作品に共感することはできない。では梶井は、「吾々が彼らの造型に動かされる所以は、彼らの造型を彼らの心として感ずるからである」という小林の言葉を否定したのか。そうではない。むしろこの言葉を信じた。梶井は、「人間情熱」の「最も明瞭な記号」としての芸術を信じて、「心の一状態」を表現しようと試みた。小林は「心境」という言葉を使った。では梶井の作品は、心境小説なのか。そうではない。なぜか。心境小説は心境を回避する。否、心境小説とは、「変な淋しい気持」から「変な」を取り去り、「お気持」に加工する小説のことをいう。心境小説の「心境」とは、この処理加工済みの「お気持」のことだ。ここに梶井の錯誤の源がある。おそらくマラルメはこの錯誤とは無縁だった。

<結末部>

 梶井は主客の切断を求めている。
 あの自分はたしかにこの自分である。しかし、あの自分とこの自分の間には、連鎖が欠けているような気がする。この連鎖をプライバシーといってもいい。プライバシーが欠けてはいるが、それでもやはり自分である。とすると、自分であることとプライバシーは無関係ということではないのか。この自分も自分なら、あの自分、他者の自分も自分ではないのか。自分のあるところ、あまねくこの自分があるのではないか。すると、たとえばこの自分が死んだとしても、世界には相変わらずこの自分が遍在しているのではないのか。世界はこの自分に満ちているのではないか。この自分は死なないのではないか。
 この一連の文の中で、「路上」の「自分」が欲しているのは、「プライバシーが欠けてはいるが、それでもやはり自分である」という文の保証である。だからこそ、彼は「誰か見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻」すのだ。だからこそ、「帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固(かたま)りが一つ入っていて、本を汚していた」という一文でこの作品は終わらなければならなかったのだ。
「自分」は、あの自分とこの自分の同一性が客観的に承認されること、すなわち自己同一性を求めている。そして同時に、自己の刻印されていない純粋な他者を求めている。他者は二つの観点から要請されている。保証するものとして、保証されるものとして。これは心境小説ではついに起きなかったことだ。なぜ他者を求めるのか。それは梶井が普遍性を求めているからだ。「我は他者なり」ではない、それは当然だ。「他者は我なり」、梶井はそれを求めた。自己の意識の及ばない完全な他者においてこそ、自己の持続が確保される。自己の持続とは自己の普遍であり、自己の不死である。このような意味で不死であるために必要なのが他者だ。あの自分において、この自分は生きる。あの自分はこの自分だ、「この自分」だ、この自分だ。自分は普遍だ、それゆえ自分は不死だ。梶井がとらわれているのは、このような不死の観念である。梶井基次郎の非人間性はこれに由来する。

縦書き版と横書き版を用意したので、お好きな方をどうぞ。

ここから先は

0字 / 2ファイル

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?