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"誰のため"なのか分からないと、維持できない話。

僕は今、宮崎県日南市を拠点としいくつかの企画に携わらせてもらっています。移住に関わるものであったり、関係地作りのドラフト会議、地域のイベント企画、日南の企業のお手伝いなど、大小様々ですが多くは”地域に関わる仕事”と表現されるかなと思います。

しかし、学生時代からその分野について学んでいたかというとそうではなく、大学時代の専攻は物質科学工学専攻でした。学部の時の研究内容は、藻の体内で起こる化学反応のメカニズム解明でした。結論として僕は途中で研究に飽きてしまい休学して、紆余曲折あり今に至ります。

なぜ研究に飽きてしまったのか。当時はなんか面白くなくなったなぁぐらいに捉えていたのですが、今思うと飽きてしまった原因は誰のためなのか分からなくなったことなのかなと思います。(他にも、やりたい研究ができないなどありますが)

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研究していた藻の写真(研究室hpより引用)


この研究って誰のため?

当時の僕は、先生から提示さられた研究テーマの中から上記テーマを選びました。先生がいうには、「これが解明されたらノーベル賞ものの研究」「アンモニア合成にかかるコストが大幅に削減される」とのこと。

アンモニア合成には超高温高圧環境が必要なのだが(ハーバーボッシュ法)それが常温常圧でできるようになるらしい。

確かに、その特殊な環境を作るのに必要な燃料の削減に大きく貢献できそうだ。と最初は思っていました。

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しかし、研究のため実験を続けていくうちに、これって誰のためになるんだっけ?という問いが出てきました。

・燃料を削減したら誰が喜ぶの?
・かかるお金は減るけどそのお金はどこに回るの?
・アンモニア合成って誰の役立つの?

これらの問いに対し答えが出ない状況が続き、気付いたら研究への意欲がなくなっていました。

僕がこの研究を行う意味が全く分からなくなっていました。結果的に誰かの手助けになるかもしれないけど、その人は僕が全く知らない人。

この研究によって誰かのためになるかもしれないけど、その人の顔が浮かばない。目の前の誰かを喜ばせることもできない。そう気付いた時に、研究へのモチベーションを維持できなくなっていました。


誰のためか分かるからモチベーションを維持できる

こうして今の状態にたどり着いた訳ですが、今はこれをやると誰のためになるのかイメージできるから動けているのかなと思います。

今取り組んでいるヤッチャの学校は、リモートで授業を受けている大学生のためのプログラムですが、これによってワクワクしてくれる子の顔がイメージできる。

商店街のイベント企画をすれば、下駄屋のおっちゃん、商店街の飲食店のみなさん、地域のみなさんが喜んでくれる。

これをやれば一緒に動いてくれているAさん、Bさんの手助けになる。

身近にいるあの人のため、直接あったことはないけどオンラインで話したことがある人のため、ご近所の誰々さん、とイメージが具現化できればできるほど意欲も湧くし、反応も分かるからやってて楽しい。

これは学生の研究の時に感じたことはなかったです。

将来的にノーベル賞取れるようなすごい研究だし経済効果も大きい仕事。といわれるよりも、あまり経済効果もないしお金もそんなに発生しないけどAさんのためになる仕事。の方が僕ははるかにやりがいを感じるのだと分かりました。(もちろん人によると思います)

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これからも持ち続けたい問い

これからもいろんな企画に関わると思うのですが、常にこれは誰のためなのか。という問いを持ち続けたいと思います。

そこに発生する金銭的な報酬ももちろん大切ですが、自分の目に見えない人のために動くのではなく

この仕事は誰々のためになる。と自分でイメージできることをやっていきたいなと思います。そしてその人に提供できる価値をあげた結果、得るものも増えていくだろうなと思っています。

貴重な時間を使って、noteを読んでいただき有難うございます。 良かったらサポートしていただけると、自分のモチベーションがめちゃめちゃ上がります!!