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映画「君たちはどう生きるのか」を観て
この質問、答えるのはたいへん難しいですね。私もそこそこ長く生きてきましたが、この歳になってもさっぱりわかりません。
迷いに迷って、日々おののきながら生きてきました・・・。それが生き方といえは、生き方でしょうが。
逆にはっきりこうだと、決められる人はすごい人なんだなと思います。
といった感じで、前知識なく映画を観に行ったわけですが、映画を観ている最中に、「生き方」みたいなことなど、そんな難しいことを考えてしまわないか、ヒヤヒヤしながら見始めました。
しかし、それは杞憂に終わりました。
前にも書きましたが、小説を書いている端くれとして、どんな映画も文学も、小説家目線(自分の作品にどう活かすか)で観てしまいがちなので、一般的な評論や、感想とは違ったものになるのはご了承ください、
と、そんな偏った見方をしても、この作品は単純に「傑作」だと思います。同時に、多くの人が言うように、宮崎駿監督の集大成の作品だと。
ここで比較するのもなんですが、鑑賞後、なぜか村上春樹さんの『街と•••』を読んだときと同じ思いを抱きました。つまり、まことに言いにくいですが、「凄い」、「面白い」ただし何かが足りない。
いったいそれは、なんなんだろうと、つらつらと考えてみました。
簡単に言ってしまえば、「パンチがない」。「爆発力が足りない」でしょうか(本当に印象だけです)。
どうやら、今回の作品は、鈴木プロデューサーいわく、「期限を切らずに、宮崎駿に好きなだけ時間をかけて映画を作ってもらったら、どんなレベルの作品になるか」という思惑もあったらしいです。
これまで、宮崎駿さんは、ジブリを何とかか回していく(経営)ために、厳しい期限を守りながら(時々延期しながら)、定期的に映画を発表してきました。
おそらく本来なら、ジブリの両巨頭であった高畠監督、次世代を担う監督、そして宮崎駿監督というローテーションを組み、長期スパンで作品を発表していく予定だったのだと思います。
しかし、ご存じのとおり、高畠監督は超寡作。新人はほとんど育たず(米林監督は別)、といったわけで宮崎監督が、ジブリの映画ローテションは、結果的に、ほぼ一人で回す羽目になってしまいました。たとえが古くて恐縮ですが、「権藤、権藤、雨、権藤」という具合です。
そうなると、どうしても製作期限が短くなってしまいます。どの制作者もそうでしょうが、限りなく時間をかけたい宮崎監督。
そのため、ポニョを初めてとして、時間に追われる形でできた作品の結果は・・・。みなさんが抱く評価のとおりです。
対して、傑作と言われている、カリオストロ、ナウシカ、トトロ、天空のラピュタなどは、監督が二十代の頃から長年温めていたアイデアを、少しずつ形にしたもので、事実上多くの時間をたっぷりかけて作られたものです。
つまり、いかなる天才(モーツアルトやミケランジェロなどの超天才は除く)だとしても、短い制作期限では、いいものは作れないということでしょう。
逆に、無限なる時間を与えれば、傑作が出来る可能性もまた必然的に高まるということです。
というわけで、時間をたっぷりかけたこの作品。
宮崎監督の老いを感じるどころか、老成した精神(これを得るのはなかなか難しい)を感じました。特に、公開写真で使わせた主人公の、おじ?
この人は、おそらく宮崎監督の代弁者的存在でしょう。
そして、この宮崎駿監督の代弁者(私が、とてもお気に入りのキャラクター)は、作品のクライマックスで
「今後も、お互いわかり合うことがなく、争いを繰り返してばかりで、こんな世界はいずれ滅びるだろう。その中でどう生きる?」と、主人公である眞人に問いかけます。
眞人は自分が作り上げた、創造の世界(村上春樹の作品で言えば壁の中の街)の王になるのではなく、リアルの世界に付け足せる組み木のひとつのピースを持って、現実世界に戻ります。
たぶん私でしたら、「喜んで継ぎます。眞人の代わりに、こんな自分にとって不完全な世界ではなく、このイデア(観念)の中で、ひとつの理想の世界を作り上げた大叔父様の後(意志)を」と答えることでしょう。
そして、眞人の手に残された、リアルな世界にひとつだけ、何かを付け足せる組み木など、手のひらにあったら、無理だと思って、誰かに委ねてしまうかもしれません。
ただし、あくまでこれは私の回答であり、きっとこの映画を観た人の数だけ答えがあると思います。
中には、一つのピースでは飽き足らない、もっとピースを、もっとたくさんのピースをくれとねだる、どこかの大統領のような人もいるでしょう。
同時に小説家になる(観念の王)というのは、どこかで現実を作るピースを捨てざるを得ない時が、必ず来てしまう存在なのかもしれません。
ただ、そのピースをただドブに捨ててしまうのか、誰かにあげてしまうのか、子供たちに託すのか。その委ね方も様々でしょう。
子供がいない私には、自らの子供にそれを託すことはできません。ただ、その代わりに、自らの作品(希望という児童文学)という子供達に、そのピースを委ねられたらいいなと思います。というか思いました。
というわけで、この作品を傑作と思う人は、たぶん現実とずっと闘ってきた人だと思います。リア充の人は、????がつくかもしれません。
さて、監督の次回作ですが、今度はジブリの期限というよりも、自分の寿命という逃れないられない期限との闘いとなるのでしょう。さて、勝てるのか、負けるのか。
とにかく監督には、長生きしていただいて、ぜひ次回作を観させてください。といった願いを、最後に付け加えさせてもらって。
ではまた
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