パワハラを払いのけるのは難しい
正社員でなくても、一度でも外で働いたことがあれば、実際にパワハラに遭ったことや、見たことがあると思います。
パワハラを受けるのは本当に辛いものです。身体は傷つかなくとも、精神的な傷害を受けます。そして、そうした精神的な打撃は自覚しにくい。気づいた時には傷だらけで手遅れということも多々あります。
パワハラの防止は、いじめの防止と同じく、なかなか難しいものです。というのは、やはり、インパーソナルな個人と個人の力関係に依拠するところが大きいからです。
そして、その力関係というのは、その集団に入った時点ですでに決まっていることが多いと思います。
仕事ができる上司や、仲間内のリーダー的存在、根っからのいじめっ子気質の者。集団というのは、必ずそういった者を中心とした力の相関図が、自然に出来上がっているものです。
そして、そういった中心人物との関係がこじれたとき、パワハラ(いじめ)のきっかけになりやすいと思います。
最初は、何気ない叱責や、マウント的発言、いたずらや、からかいに始まって、しだいにエスカレートしていく。それを受け手が許容すればするほど、内容も、程度はひどくなっていく。いつしか、集団の中で常態化し、周りも慣れていってしまう。
かつて、私もある仕事についていたとき、直属の上司から激しいパワハラを受けたことがあります。こちらにも落ち度があったかもしれませんが、今から思い返しても、明らかにパワハラでした(パワハラは後から気づくことが多いらしい)。
おかげで、軽いうつ状態になり、耐えきれなくなってその上司の上司にも相談したところ、まったく改善しませんでした。それどころか、それを知ったパワハラ上司は、その相談した上司の上司に、逆パワハラをするようになってしまいました。
その様子を見ても、さらにその上の上司は見て見ぬふり、周囲の同僚も陰で同情はしてくれても、本人を前にしては意見するどころか、へらへらと笑って追従するのみ。
その時私は、その課の中で完全に一人ぼっちでした。「集団というのは、こう状況になってしまうと、味方になってくれるような人は、絶対に現れないだなあ」と、変に達観した覚えがあります。集団と名がつくものが嫌いになったのは、この頃からかもしれません。
第三者からは、診断書をもらって休んだらいいとか、外部の解決機関に相談した方がいいというアドバイスや、対処法の本ももらいましたが、パワハラで完全に思考回路がフリーズした状態では、そんなアドバイスなど耳に入らないし、字面を追うことすら困難です。
いかにその上司のパワハラが発動しないか、気配を伺って毎日どころか、毎秒ごとに顔色をうかがって怯えるだけで精一杯でした。
結局、さらにその上の上司が見るにみかねて、強制的に課を変えてくれることで一年ぐらいで解決したのですが、そのときの精神的損傷はすさまじく、完全に治るのに3年は要しました。
そのときの経験から、ある集団に帰属した時点で、ある程度のパワハラや、いじめを回避できる最善の手段は、正直言ってあまりないと思うようになりました。
あらかじめ、できるとしたら、そういった環境を事前に嗅ぎ分けて、できるだけ近づかないこと、入ってしまってもすぐに抜け出すことぐらいです。
それでも入ってしまい、そこで何かパワハラの兆候を感じたら、あえて言うなら、臆せず戦うことだと思います。いじめもパワハラも最初に芽を摘むことしかありません。つまり初動が大切だということです。
もちろん、そんなことが出来たら苦労しないと言われそうですが、とにかく少しでもいじわるやマウンティングしてくるような相手に接したら、その後に何かのきっかけで相手と仲良くなったとしても、絶対に根底の気持ちは変わりません。状況が変われば、何かのきっかけで絶対に言動として表してきます。
では実際に、その最初の兆候を、相手の目の中や、言動に感じた時、どうすればいいか。
馬鹿みたいな対処法ですが、同級生だったら「なめんなよ」、上司だったら、ちゃんとした根拠を持って反論する。何らかの力をバックにやってくる相手だったら、その力に対抗できる力をもって当たる(もっと上の力を巻き込んで大ごとにする)。
やはり、正面切って喧嘩するしかありません。
パワハラを受けやすい人は、この初手の大切さ(ずるさ)を身に着けない限り、どこへ行っても標的になりやすいと思います。おそらくきっと、まじめでやさしい人でしょうから。
いじめと、パワハラ。一番厄介なのはそういう自覚がないままやってくる相手をする時です。追い込まれてどうしようもなくなって、復讐(自殺、暴力を含む)を考えるのはある意味自然なことです。
そして、それを想像することである意味気持ちが楽になりますが、結果として、人生で一番不毛な時間になってしまうので、あまりお勧めはできません(実体験より)。
ではまた