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12月8日(日記)酔いのコントロール

晴れ

名古屋の柳橋で呑む。
酔いというのは、不思議なものだ。意識が拡大し、新しいひらめきや発想が矢継ぎ早に降りてくる(翌日には忘れているけど)。
誰かが、酒を神からの贈り物に喩えたが、厳密に言えば、「酔い」こそが、尊ばれるものなのだろう。

だから、呑み助の割に銘柄とか、種類にはまったくこだわりがない。ビール、焼酎、ハイボールにカクテル。そのときの、「酔い」を求める気持ちに合わせて呑む。だから、未だに日本酒と言うと、「白鶴」とか、「月桂冠」しか思い出せない。ワインの産地などは、フランス? チリ? イタリア? 当然ながらわからない。白と赤の違いぐらい。

かつて、池波正太郎のエッセイ(うろ覚え)の中で、「吉田健一(文芸評論家)さんに連れられて呑みに行くと、銘柄とか気にせず、「熱燗をください」とだけ言うんだよね。それがかっこよくて」というフレーズがあったと思うが(その後に、おいしい熱燗を出す店は、絶対にいい店だと続く)、まさに本当の呑み助は、何よりも「酔い」を求める、格好の例のような気がする(ちなみに、吉田健一先生は、お酒の中で、特にシェリー酒がお好きだったようで)。

ずっと、この「酔い」をコントロールする力を自負してきたが、さすがに少し衰えてきたようで、何を話したのか忘れることが多くなった。酒が強い人に共感してもらえるだろうが、この「酔い」のコントールが出来るからこそ、楽しく飲める。「深い酔い」を自覚しながら、意識の遊びに戯れられる。まさに、精神上の「酔拳」(古いジャッキーチェンの映画です)を極めるのだ。

酔いのコントロール力が弱まったとき、さて、どうするか。これからの課題でもある。
「だったら、飲まなければいいだけだろう」そう、ごもっとも、おっしゃるとおり。だけど、飲まずにおれない。なぜなら、お酒は神様からのギフトですから。

北風に 負けじと 杯を重ねつつ










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