かつて永平寺に居た?
お盆が過ぎると、急に季節が変わった気がする。
風の質が変わるというか、空気全体が入れ替わるというか。
些細な積み重ねが、ある日突然季節をがらっと変える。
とおもむろに、今回はベタな題名ですが、少し前まだ蝉時雨がかしましい中、福井旅行に行ってきました。
福井という土地は、自分にとっては近くて遠い場所といった感じで、はるか昔の家族旅行で、東尋坊や越前海岸で、カニを食べたというような記憶しかなかった。
その旅も、当然ながら永平寺にも行ったのだが、そうした薄らいでしまった記憶の中でも、永平寺については強烈なインパクトが残っている。
よくお寺巡りというと、あちこち寺を連続して観覧して回ったあげく、数年後には、すべての寺の記憶が渾然一体化して、清水寺を中心とした、寺の合体版のようなイメージと化してしまいがちになる。
しかし、このときの13歳の少年が見た永平寺は少し違った。
幼心に「ここは、他のお寺とちょっと違う」と思ったのだ。
ほとんど霊感がない自分でも、これまで数回ほど、不思議な現象に遭遇したことがある。このときの経験は(後日書きます)が、その中の一つでもある。
それは、永平寺のあの有名な山門の前に立ったとたんに、
「かつて、自分はこのお寺に居たことがある」という強烈なデジャビューに襲われた。
その景色の中には、廊下を懸命に雑巾がけする自分の姿があった。手にした雑巾の冷たさもリアルに思い出していた。
そうした記憶が、はっきりとした一連の映像となって浮かんで来たのだ。
それはよくあるような、かつて見たニュース番組のワンシーンとか、学校の教科書の写真とかの記憶に過ぎない、と言われてしまえばそうかもしれないが、そのときのものは、そうした外部からもたらされた記憶とは、一線を画す確かさがあった。
この時の旅も、夏の真っ盛りで、アブラゼミやクマゼミなど、ありとあらゆる蝉が鳴いていたが、そのときにはそんな蝉の声は一切耳に入ってこなかった。ただ、そんなデジャビューにすっかり心を奪われながら、砂利道をぼーっと歩いていた。
するとそのとき、隣を歩いていた母親が、おもむろにこんなことを言い出したのだ。
「懐かしいでしょう? どう、中学を出たら僧侶にならない?」と。
その言葉に驚いた。そもそも永平寺に来たのなんて初めてだったし、ここが気に入ったとか、それまで将来僧侶になりたいなど、一度も口にしたことがなかったからである
それも、当時の母親は世に言う教育ママで、我が子の将来に対しては、いい成績を取らせること以外は、何も考えてないような人だったから、子供の将来について、僧侶などと言うはずがなかった。
このことを、ずっと後になって聞いたが、この時に交わした会話を、母親はまったく覚えていない。
それどころか、しつこく聞くと「そんなことを言うわけないでしょ」と怒り出すほどだった。
絶句はしたが、その母親の言葉に心が揺らいだのは確かである。
「これが、自分の天命かもしれない」とすら思った。
このときもし、そのとき将来は小説家になると固く決めていなかったら、思わず「うん」と返事をしていたかもしれない。
もし、そうしたら今頃どうなってやら、それでも僧侶をやりながら小説を書いていたかもしれない。それとも、そもそも書いていなかったか。
その時、ずっと黙ったままの息子に対して、しばらくして「まあ、そうね」と母親は冷ややかに言うと、
「とにかく暑いわねえ、冷たいもを食べたいわね」と言って、門前のお土産屋で買ったうちわでパタパタと扇ぎ始めた。
自分は、そのときの母親が扇いでいたうちわのデザインを含めて、一連の出来事を、今でも詳細に思い返すことができる。
蝉時雨、永平寺、山門、まぶしい夏の光。
そして、あれから数十年たち、改めて永平寺を再訪したのだった。
今回訪れる前に、ひょっとしたら、再びこの時のような強烈なデジャビューが蘇るかもしれないと、淡い期待を持っていたが、いざ永平寺の山門を前にしても、残念ながら何も起きなかった。
ただ、この過去の不思議体験自体を思い出しただけだった。
今の自分は、坊主でも、僧侶でも、修行僧でもない。ただ、毎日小説を書き続けている、そこらの三文文士に過ぎない。
少年のときに抱いてしまった、あまりにも強き夢というのは、大谷翔平選手のように、成功に導くだけとは限らない。
もっと適性があるような、本当はそっちに行った方が幸せだったかもしれない人生の選択肢を減らしてしまう。宿命が幸せとは言うのは、ほんの一握りの者が持つ成功者の言い分だ。
この永平寺のデジャビューの記憶を思い出すたびに、このことを考えてしまう。
幼き頃に抱いた夢とは、人生を充実させるのか、はたまた破壊させるのか。
それは、今もってわからない。きっと死んでもわからないだろう。
ただ、今でも、道元の正法眼蔵を読み返し、毎朝、坐禅を欠かさないでいるというのは、やはり、自分はかつて本当に永平寺に居たかもしれないという、ある一つの証明かもしれない。
“ 秋めくや 夏の旅も 遠ざかり ”