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あだ名は嫌い
今回の新型肺炎の騒ぎの中、
デルタ株 デルタ航空
コロナ コロナ(株)
こういった、突然ついたたネーミングで、多大な迷惑を被った会社なり、団体はたくさんあると思います。
それは個人のあだ名も同じかもしれません。
人にあだ名を付けるのはのはとても難しい。今、小学校であだ名禁止の学校が増えているようです。
かつて、漫画で当たり前だった「ジャイアン」も「ブタゴリラ」も、もはや過去の遺物、NG行為です。
いろんな有識者が、この話題についてあれこれと賛否両論を述べていますが、私としては大賛成です。
学生時代、自分の周りでも、ルックスや、失敗から「あだ名」がついて傷ついた人がたくさんいました。
それで、心からうれしがっている人は一人もいなかったと思います。特に小学校の頃など、ひどいものでした。当時流行っていた番組から、「あみだばばあ」と付けられた女の子がいました。しばらくして、学校に来なくなりました。
つけた方は、「軽いいじり」、「からかい」、「気安い気持ち」から付けたかもしれませんが、やはりそこには、どこか相手を軽んじている気持ちが必ず入っているものです。それがだんだんエスカレートすると、当然ながら「いじめ」につながっていきます。
「いじり と いじめ」
「からかい と いじめ」
「つっこみ と いじめ」
その境界線はとても見極めにくいものです。ひとりぼっちの子や、愛情に飢えている子や、優しい子ほどそれを親愛の情だと思いがちです。そうやって喜ぶ様子を見て、付けた方は、他のことも許されるんだと思って、もう少し過激なことをしはじめる。それがいじめのきっかけとなりがちです。
いじめの問題は、その境界が見えにくく、それを超えているかどうかを、いじめっ子も、いじめられっ子もわかっていないことです。だから、特に、いじめの始まりを見極めるのは困難です。周りにいてもわかりにくいものとなっています。
おれはこいつをいじめている。今日からもっといじめるぜ。と心から思ってやっている奴は、もはや犯罪者であり問題外でしょう。
問題なのは、いじめの加害者もその協力者も、面白がって見ている傍観者も、そのほとんどが、その「からかい と いじめ」の狭間に存在してしまっていることです。
彼らは、自分でもその間のどこにいるのかわっていない。わかっていないで笑ったり、時には同調したりしている、おまけにその境界が、からかいといじめの間で、日々揺れ動いて定まることがない。場合によっては、人気者側に振れることもある。そして、中には本心から言われることをうれしがっている者も混じっているから話はややこしくなります。
会社という組織の中で、あだ名でお互いを言い合うことが決してないように(かつてニュースで、逆にわざとあだ名を付け合う会社があると見たことがありますが、ほんとくだらないですね)、やはりクラスという小さな集団とはいえ、あだ名なんてない方がいいと思います。
そのために、「本名」という、ちゃんとした生まれながらの「あだ名」が付いているのですから。
ではまた
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![仲村比呂(nakamura hiro)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/79732980/profile_daa52673c6af661a37a6b46b5aaa7b0a.png?width=600&crop=1:1,smart)