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11月5日(日記)「偉大」は天才ではなく刻苦勉励した人


肌寒い一日

ワールドカップを見ていたら、やっぱりアルゼンチンのメッシとか天才だなあと思う。野球だったら大谷選手、ゴルフだったらタイガーウッズ。そこまで突き抜けていなくても、プロと名が付くスポーツ選手は、みんな天才に見えてしまう。というより天才だ。

しかし、果たして小説家には、天才っているのだろうか。カズオ・イシグロ?三村上春樹?プルースト?ドストエフスキー?
どうも、彼らを天才と呼ぶには、ちょっと違和感がある。

かつて、有名な評論家(ど忘れしました)が、三島由紀夫を「彼は天才ではなく、死ぬほど刻苦勉励した人」と評したことを思い出す。吉本隆明さんも、芥川龍之介について、同じ意味のようなことを言っていた。

しかし、その評論家は、別に三島由紀夫や芥川龍之介をけなしたいわけではなく、もちろん才能を認めつつ、その努力を評価したのだ。そして、その努力こそが、文筆家の肝であると。

だから、「刻苦勉励」という言葉こそ、文筆家、文豪にふさわしい言葉のような気がする。
その時代、時代に、天才的な文章を書く人がいる。かなり前なら、清少納言(古すぎてすみません)、今なら吉本ばななさん。しかし、言葉が時の流れとともに変わっていくように、その天才的な文章もまた時代とともに風化していく。

おそらく、今残っている、古典と呼ばれる文学作品を残した作者は、出版当時は「天才」扱いだったのだと思う。

しかし、今は森鴎外も、夏目漱石も「偉大」とは呼ばれても、「天才」とは言われない。そして、彼ら自身も安易に「天才」扱いされるより、「刻苦勉励した人」と呼ばれる方が、よっぽどうれしいはずだ。

裏では死ぬほどの刻苦勉励しながら、表向きは涼しい顔をして、「小説なんて、筆をなめてさらさらと書いただけ」と、天才ぶるのが美学なんだと思う。あっ、結局それは、スポーツ選手もサラリーマンも同じか。

短日に 出来ることを 指を折り







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