週の始まりはずっと月曜日だと思っていた
最近、驚いたこととして、
ずっと、来週とは「月曜日」始まりだと思っていたこと。
それを指摘されて、それで、よくこの年まで生きてこられたと、我ながら呆れた。
しかし、これまで困ったことはなかった気がする。
言い訳だけど、世の中、学生時代、社会人時代ともに、実感として一週間というのは月曜日から始まる気がしていたし、そもそも日曜日を含む、週末という言葉の使われ方も変である。
「あーあ、明日は月曜日かあ」。
日曜日の午後になると、私のように学校や仕事に行きたくなかった人は、月曜日からのことを考え初めてしまい、意味なく憂鬱になり、ため息を何度もつき、どんどん胃が痛くなってくる。
いっとき、「サザエさん」の終わりの歌を聴くと、なぜか息が苦しくなって、涙が止まらなくなるという、「サザエさん症候群」という言葉が流行ったが、自分の場合は、それより前の時間帯(5時30分)にやっていた「笑点」がまさにそれだった。
最初のコーナーのゲストの出し物までは笑って見ていられるのだが、コマーシャルを挟んで大喜利が始まり、お題が進むにつれて、しだいに笑顔はこわばり、凍り付き、笑うところなのに代わりにため息が出てきてしまう。
最後は笑点のメンバーの声すらも耳に入ってこなくなる。
おそらくそれは、司会の人が締めの言葉で言う「今日の笑点はこれまで」という言葉を、無意識に聞きたくなかったからかもしれない。
そして、番組が完全に終わると、深い悲しみとともに大きなため息をつく。
それは「あー面白かった」ではなく、「日曜日が終わってしまった」という絶望感がもたらすものだ。
かといって、別にその日曜日が格別楽しかったわけでもない。いいことがあった訳でもない。ただ、明日からの学校、会社のことを思うと、こうしたとくに何もなかった日曜さえが、とても愛おしく、惜しくなってくるのだ。
だから、今でも、自分にとっては一週間の始まりは日曜でなく、やっぱり月曜日である。
学生時代。教室に張り出された一週間の時間割を見て、あれだけ大きなため息をつける中学生など、あまりいなかったような気がする。
今では、あまり笑点を見ていないが、たまにふいに見ることがあると、あのオープニングの音楽が流れ出すと、つい学生時代のことを思い出して、反射的に胸が痛くなる。息が苦しくなる。
きっとあれは、プチPTSDの一つなのかもしれない。しかし、人はこうしたプチPTSDを少しずつ増やしながら、我慢して耐えながら大人になっていくのだろう・・・「図太さ」、「にぶさ」を得る代わりに、多分。
「笑点症候群」あまり聞いたことがないけれど、わかってくれる人も多い気がする。それとも自分だけかな。
“ 練習の お囃子聞こえ 秋祭り”