
仮面的世界【15】
【15】予備的考察(補遺ノ参)─素顔と仮面、記号論的転倒をめぐって
前回取りあげた柄谷氏の議論を、(柄谷文字論[*1]を視野の片隅に入れながら)、「転倒」の前後途上に腑分けして再編集する。
Ⅰ.転倒前
Α
・音声とは別個に存在する文字(アルシエクリチュール)=Α
仮面による演技(誇張的な科白、人形的な身ぶり) =Α
・顔はもともと「形象=意味」(漢字のようなもの)としてあった。
・人々は「仮面」にこそリアリティ(活きた意味)を感じていた。
・概念としての顔にセンシュアルなものを感じていた。
Ⅱ.転 倒
-1.価値論的・記号論的布置の設定
【一次的なもの】 【二次的なもの】
Α > β
・事実として存在していたが見えなかった[*2]βが俎上に載る。
・Αは「意味するもの」かつ「意味そのもの」と位置づけられる。
-2.価値論的・記号論的転倒
【一次的なもの】 【二次的なもの】
β > Α
【意味そのもの】 【意味するもの】
・文字(Α)を音声(β)をあらわすものとみなす音声中心主義
-3.記号論的転倒の完成
【意味そのもの】 【意味するもの】
(γ) ← Β
・言(β)文(Α)一致が成就し、音声的文字(Β)が成立する。
・写実的な素顔(Β)が“何か”を意味するものとしてあらわれる。
・素顔による写実的で言文一致的な演技
・観客はありふれた身ぶりや顔の背後に「意味そのもの」を探る。
Ⅲ.転倒後
【意味そのもの】 【意味するもの】
Γ ← Β
・内面=内的な音声(Γ)が“発見”される。
・素顔(Β)が内面(Γ)を“表現”する。
[*1]「柄谷文字論」については、別の機会にあらためて取り組みたいと考えている。おそらく「韻律的世界」「仮面的世界」に続く「文字的世界」の中で。(仮面の記号論に向けた予備的考察の「補遺」として、坂部恵の「日本文化における仮面と影」の抜き書きから始まった考察は、「文字的世界」をめぐる論考の‘先触れ’であると言えるかもしれない。)
いま朧気に思い抱いている三世界の‘構図’をスケッチしておくと次のようなものになる。(韻律的世界と文字的世界が形成する水平世界を仮面的世界が──マテリアルな界域から「韻律・文字」の世界との交叉(キアスム)を経てメタフィジカル=メタフォリカルな界域まで、たとえばデスマスク、劇場の仮面、神のペルソナ、等々の変態=相転移を重ねながら──垂直方向に突き破ってくといったイメージ。)
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文 字 ┃ 韻 律
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仮 面
[*2]『日経サイエンス』2023年5月号の記事「数学の数学「圏論」の世界」(エミリー・リール、荒武永史訳)に、ライフゲームの考案で有名なジョン・ホートン・コンウェイの言葉が紹介されている。「それらは間違いなく存在するのに,思考する以外に調べる方法がない。この事実は実に驚くべきことで,私はずっと数学者をやってきたのにいまだに理解できない。実在しないものがいかにして存在しうるのか?」
原文を確認したわけではないが、ここで言われる「実在」と「存在」をそれぞれ「something that exists really:現実に(事実として)存在するもの」、「something that exists conceptually:概念的・観念的に(思考において)存在するもの」に置き換えて考えると、本文中の「事実として存在していたが見えていなかった」は「“実在”していたが“存在”していなかった」と書き換えられる。