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推論的世界【13】

【13】アブダクション─“推論”をめぐって(6)

 純粋な〈夢〉の世界から《現実》の世界への“変容”を司る巨大で複雑な推論=伝導を成り立たせる四つの推論様式のうち、演繹、帰納に次ぐ第三の洞察(アブダクション)[*1]と第四の生産(プロダクション)について、いま少し立ち入って見ておきたいと思います。
 今回は「洞察」をめぐって、「生産」については次回以降、気になる話題を蒐集し、演繹、帰納、洞察、生産を統括する第五の「伝導」については、それが稼働するフィールドをめぐる「伝導体」の議論のなかで、一括して扱うことにします。

     ※
 『言語の本質──ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ・秋田喜美)の第6章「子どもの言語習得2──アブダクション推論篇」に、演繹推論と帰納推論とアブダクション(仮説形成)推論の判りやすい具体例が示されています[*2]。

<演繹>
 ①この袋の豆はすべて白い
 ②これらの豆はこの袋の豆である
 ③ゆえに、これらの豆は白い

<帰納>
 ①これらの豆はこの袋の豆である
 ②これらの豆は白い
 ③ゆえに、この袋の豆はすべて白い

<アブダクション>
 ①この袋の豆はすべて白い
 ②これらの豆は白い
 ③ゆえに、これらの豆はこの袋から取り出した豆である

 アブダクション推論のもう一つの実例として、『言語の本質』は、ヘレン・ケラーの「water 事件」を取りあげています。「ヘレンは、手に水を浴びたときに、サリバン先生が綴った water が、この冷たい液体の‘名前であると理解’した。これは、単純な洞察と思われるかもしれない。しかし、ヘレンはそこから「すべてのモノには名前があることを理解した」と述べている。冷たい水を掌に感じ、同時に掌に綴りを感じたとき、彼女は、過去に遡及してこれまでの経験がみな「同じだった」ことを理解したのである。そして、そこからさらにアブダクションを進め、「すべての対象、モノにも行為にもモノの性質や様子にも名前があるという洞察を得たのである。」

 続く第7章「ヒトと動物を分かつもの──推論と思考バイアス」では、アブダクション推論の進化的な起源が考察されます。以下、その要旨を箇条書きのかたちで示します。

・「すべての対象には名前がある」という偉大な洞察の下には、「名前というのは、形式(ことばの音や文字)と対象の間の双方向の関係から成り立っている」というもう一つの大事な(ヒトにのみ可能な)洞察が埋め込まれている。

・「対象X→記号A」の対応づけを学習したら、「記号A→対象X」の対応づけも同時に学習する。人間が言語を学ぶときに当然だと思われるこの想定は、論理的には──「ペンギンならば鳥である」が正しくても「鳥ならばペンギンである」は正しくないように──過剰な一般化である。

・「XならばA」から「AならばX」を導く(過剰一般化する)ような、前提と結論をひっくり返してしまう推論を、心理学では「対称性推論」という。それは、「英雄は色を好む。Xは色を好む。だから、Xは英雄である。」という推論や、症状から原因(病名)を遡及的に推論する診断などのアブダクション推論と深い関係を持つ非論理的な推論である。

・言語の学習には、記号と対象の間の双方向的な関係性を理解し、「X→A」を「A→X」に一般化できることが必要である。ヒトはこのような対称性推論を行っているが、ヒト以外の動物は行わない。これらの観察できる事実からアブダクション推論を行うと次のような仮説が得られる。

・すなわち、対称性推論をごく自然にするバイアスがヒトにはあるが、動物にはそれがなく、このことが、生物的な種として言語を持つか持たないかを決定づけている。

・居住地を全世界に広げ、多様な場所に生息してきたヒトは、不確実な対象について予測し、未知の脅威に新しい知識で立ち向かう必要があった。そのためには、たとえ非論理的で間違いを含む可能性があってもそれなりにうまく働くルールを新たに作るアブダクション推論を続けることは生存に欠かせないものであり、アブダクション推論によって言語というコミュニケーションと思考の道具を得ることで、さまざまな文明を進化させてきたと言える。

[*1]アブダクション」を「洞察」と訳したことについての註。「哥とクオリア/ペルソナと哥」第11章第1節から。

 ……「洞観」や「洞見」でもいいのだが、本来は「洞窟的推察」とか「洞窟的【感察】」とすべきところを縮訳したもの。「洞窟的」は、たとえば西郷信綱著『古代人と夢』の「洞窟信仰」をめぐる議論、等々に触発されて採用したもので、伊藤邦武著『パースの宇宙論』も、その議論の急所ともいうべきところで、洞窟内の嗅覚や触覚の世界を通じて「無限に連続する質の世界である第一性の世界、偶然性の世界、潜在性の世界」をかいま見る、パースの思考実験をとりあげていた。
 また、「【感察】」とは、「パース著作集(全3冊)」をとりあげた「千夜千冊 遊蕩篇」第千百八十二夜で、松岡正剛氏が、パースは感情ですらアブダクションの作用のなかに入っていると考えた、「アブダクションとは総合的な【推感編集】なのだ」と書いていることに触発されて頭に浮かんだ、「【推感】的推察」や「【推感】的省察」や「【推感】的観察」を略して造語したもの。この松岡氏の【編集工学】的考察は、古典和歌、とりわけ勅撰集の世界を考えるうえで、まことに示唆に富んでいる。いまその(思いつきの)一端を、説明も論証も抜きにして、備忘録として書きとどめておく。
 古今集は【アブダクション編集工学】をつかって、もしくはパースの「連続主義(シネキズム)」にもとづく三項関係的「類似」を原理に、万象と交感しつつアブダクティブに【推感編集】された。しかし、新古今集はそうではなくて、ソシュール流の二項関係的「差異」の原理にもとづき、諸々の歌をたばねる純粋に言語的な構築物として編集された。また、パースによって「アブダクション」が「レトロダクション」(遡及的推論)といいかえられ、そして松岡氏が「パースにとっては【意識とは推論そのものなのである】」と書いていることを「合成」するならば、貫之が仮名序において歌の淵源たる「やまとうた」へと遡及し、歌の本質を「人の心」へと遡及したことは、それ自体がひとつのアブダクションだったのであり、だからこそ、歌を詠出することがひとつの「心」を創出することにつながっていったのではないか。 ……

[*2]『言語の本質』が「パースのアブダクションと帰納推論について明快かつ洞察に富む論考を展開している」と最大級の評価を与えた米盛裕二著『アブダクション──仮説と発見の論理』(先月、今井むつみ氏の解説が付いた新装版が刊行された)に、パース自身によるアブダクションの推論の形式とその例が紹介されている(54-55頁、『パースの記号論』196頁)。

<アブダクションの推論の形式>
 驚くべき事実Cが観察される、
 しかしもしHが真であれば、Cは当然の事柄であろう、
 よって、Hが真であると考えるべき理由がある。

<アブダクションの推論の例>
(1)「わたくしはかつてトルコのある地方のある港町で船から降りて、わたくしが訪ねたいある家の方へ歩いていると、ひとりの人が馬に乗ってその人のまわりには四人の騎手がその人の頭上を天蓋で蔽って、通って行くのに出会ったことがある。そこでわたくしは、これほど重んじられた人となると、この地方の知事のほかには考えられないので、その人はきっとこの地方の知事に違いないと推論した。これは一つの仮説である」。
(2)「化石が発見される。それはたとえば魚の化石のようなもので、しかも陸地のずっと内側で見つかったとしよう。この現象を説明するために、われわれはこの一帯の陸地はかつて海であったに違いないと考える。これも一つの仮説である」。
(3)「無数の文書や遺跡がナポレオン・ボナパルトという名前の支配者に関連している。われわれはその人をみたことはないが、しかしかれは実在の人であったと考えなければ、われわれはわれわれがみたもの、つまりすべてのそれらの文書や遺跡を説明することはできない。これも仮説である」。

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