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【補記】もはやイギリスと日本だけ…海外では軒並み廃止になっている「即位儀礼」を日本皇室はやり遂げられるか【プレジデント社『プレジデントオンライン』寄稿】

 先般、プレジデント社『プレジデントオンライン』より拙文が新たに公開された。お世話になった編集部の皆様方には、改めて篤くお礼申し上げる。

 この記事では、提出稿を公開する。参考にした外電等へのリンクが付してあるので、出典が気になった方はここでご覧いただきたい。それとともに、文字数の制約から削ぎ落とした記述や、興味深いとは感じたけれども原稿に盛り込むまでには至らなかった逸話等を保管したり、完成稿の補足をしたりしようと思う。


【提出稿】日本皇室の即位礼の行く末は… 「絶滅危惧種」のヨーロッパの戴冠式

 ※記事名は基本的には編集部が付けるものである。筆者はこのタイトルで提出したのだが、あっけなく現在のものに変更された。入稿時のタイトルや節立てがどの程度受け継がれるのか、ということを見比べてみるのもわりと面白いのではないだろうか。


王室の私財でやってほしい…戴冠式へのイギリス国民の不満

「共和主義者であろうと君主主義者であろうと、視聴者のほとんどはコストを最小限に抑えることを望んでいると思います」

 二〇二三年五月六日、イギリス国王チャールズ三世の戴冠式がロンドンのウェストミンスター寺院で挙行された。冒頭に示したのは、これに先立ってスコットランド自治政府のハムザ・ユーサフ首席大臣が語った言葉であるが、まさに正鵠を射たものだと評すべきだろう。

 世界が注目したあの式典には、いったいどれほどの金額がかかったのか。バッキンガム宮殿は総費用について、しばらくしたら公表するとしている。一カ月が経過しても発表はまだないが、莫大な税金が投じられたことはまず間違いない。

Gold State Coach, drawn by 8 Windsor Grey horses

 昨今の英国は、大勢の国民が「生活費危機」と呼ばれる歴史的なインフレに苦しんでいる。そんな苦境ゆえに、事前の現地報道をあれこれ見てみると、もちろん祝賀ムードに浮かれる人々も数多く見受けられたけれども、莫大な費用がかかる戴冠式に対する不満の声もかなり目立っていた。

 世論調査会社のYouGovが実施した調査によれば、回答者の五一%が、一連の式典に税金を投入すべきではないという考えであったという。要するに、英国王室は億万長者なのだから国民の税金に頼らずに私財でやってほしい、という意見が過半数だったわけだ。

 米CNNの報道には、「私はちょっぴりロイヤリストで、王室が確かに好きです」と語りつつも、式典費の巨額さには眉をひそめてしまう――そんな王室ファンも登場している。

 そのような中で、ジャーナリストのポリー・トインビー氏などの一部の人々は、ヨーロッパの他の君主制と比較する形で英国王室を非難した。英国と他の欧州諸国では、君主制のあり方があまりに違うというのである。

消えゆくヨーロッパの戴冠式

 以下に、現代ヨーロッパの即位儀礼について簡潔に解説しよう。

 まずは、日本に次いで君主制の歴史が古いとされるデンマークである。この国では、立憲君主制の導入に伴って戴冠式が廃止された。最後におこなわれたのは一八四〇年のクリスチャン八世の時だ。王室公式webサイトは、今日の即位儀礼についてこう説明している。

「一八四九年の制憲以来、デンマークでは戴冠式や聖油塗布はおこなわれていない。代わりに首相がクリスチャンスボー宮殿のバルコニーから新しい王を宣言する」

「北欧」繋がりということで、スウェーデンに続こう。この国では一八七三年に挙行された国王オスカル二世の戴冠式が最後のものとなっている。

 そのスウェーデンから一九〇五年に独立したノルウェーでは、新たに国王として迎えたホーコン七世の戴冠式を一九〇六年に挙行したが、これが最後の事例となっている。王室公式webサイトには次のように説明がある。

「一九〇八年、非民主的かつ時代錯誤だとみなされるようになったため、戴冠式を必須とする規定が憲法から削除された」

 明文規定で禁止されたわけではない以上、国王が望めば不可能ではないという考え方もあるようだが、以降の歴代国王は代わりにニーダロス大聖堂で「祝祷式」を受けている。

 これまでに述べた国々とは比較にならないほど早くに戴冠式を放棄したのがスペインである。最後に戴冠式がおこなわれたのは、まだ統一国家を樹立できていない中世カスティーリャ王国の頃だ。

 スペイン憲法は新しい国王に対して、憲法順守などを国会で宣誓することしか即位儀礼としては求めていない(第六十一条)。そして王冠はこの時、王権のシンボルとして置かれるのみである。

国会での即位宣誓式に臨むスペイン王フェリペ六世(二〇一四年)
©モンクロア宮殿(=スペイン首相官邸)

 比較的新しい王国には、戴冠式を挙げたことがない国が珍しくない。現存する国としては、十九世紀に建国されたオランダとベルギーがそうだ。

 オランダの王冠は、新国王がアムステルダム新教会における即位式に臨む時に、その場に安置されるだけのものである。ベルギーに至っては、王冠がそもそも存在すらしていない。

 ヨーロッパには他にもルクセンブルク、モナコ、リヒテンシュタインなどの小さな君主国があるが、もはや戴冠式の有無はいうまでもないだろう。

 王侯貴族の豪華絢爛なイメージ形成に大いに寄与しているであろう戴冠式という即位儀礼は、十九世紀にはすでに「あまりにも形式主義的で、金食い虫で、時代遅れ」だと考えられるようになった。そしていまや、欧州ではイギリスにしか残っていない「絶滅危惧種」になってしまったのである。

洋装での即位礼? 「大嘗宮」は不要?
――日本の即位儀礼縮小論――

 令和元(二〇一九)年秋に挙行された「即位礼正殿の儀」を振り返ろう。いまや戴冠式はヨーロッパにおいてはイギリスにしかないと先に述べたが、さらに踏み込むと、伝統的かつ大規模な即位儀礼が保たれている君主制国家は、先進国では英国と日本の二カ国だけなのだ。

 令和時代の日本国民は巨費が投じられたと知りながらも好意的だったが、あのような大掛かりな即位礼をわが国はいつまでも続けられるのだろうか。即位儀礼が簡素化された欧州を見ると、どうしても不安を覚えてしまう。

即位礼正殿の儀(令和元年十月二十二日)
出典:首相官邸ホームページ

 思い出されるのが、昭和四十九(一九七四)年から約二十七年間にわたり侍従などとして宮仕えした小林忍氏が、平成の即位礼正殿の儀についてこう日記に書いていることだ。

諸役は古風ないでたち、両陛下も同様、高御座、御帳台も同様。それに対し、松の間に候する者のうち三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。宮殿全体は現代調。全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。参列者は日本伝統文化の粋とたたえる人もいたが、新憲法の下、松の間のまゝ全員燕尾服、ローブデコルテで行えばすむこと。数十億円の費用をかけることもなくて終る。新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる。

小林忍・共同通信取材班『昭和天皇 最後の侍従日記』(文春新書、二〇一九年)二七四頁。

 小林氏はどうやら「剣璽等承継の儀」や「即位後朝見の儀」のような洋装の式典を希望していたらしい。筆者はこの記述を初めて目にした時、旧登極令の附式からあまりにかけ離れたアイデアにひどく困惑してしまったことを記憶している。

 もう一つ思い出されるのが、秋篠宮殿下が平成三十(二〇一八)年秋に、一世一代の宮中祭祀「大嘗祭」についてこう問題提起されたことだ。

「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば」

 朝日新聞によれば、秋篠宮殿下は宮内庁長官に「大嘗宮を建てず、宮中にある神嘉殿で執り行っても儀式の心が薄れることはないだろう」と仰せになったという。伝えられるところでは、昭和天皇の次弟・高松宮宣仁親王も同様に「神嘉殿でやればいいじゃないか」とお考えになっていたらしい。

 皇室や宮内庁職員――その立場上、欧州君主制についてもある程度の見識を有するとみなすべきだろう――からこのように大嘗宮不要論や洋装即位礼のアイデアが出てくる理由だが、即位儀礼が簡素化されたヨーロッパの影響を強く受けてのものとは考えられないだろうか。

令和の大嘗宮

 伝統主義者の間には、日本国憲法の制定により即位礼・大嘗祭にさまざまな変更が加えられたこと――たとえば政教分離への配慮のために即位礼の神話的要素が薄められた点――に対する不満がある。

 しかし、帝王を聖別するというキリスト教の宗教儀式の場でもあったはずの戴冠式を放棄したヨーロッパに比べれば、わが国の変化は大したものではない。いくらかの変更点があるにせよ、少なくとも規模的に縮小されたとはいいがたいのだ。

 戴冠式の伝統を捨てた欧州君主たちは、いずれもそのタイミングで戦前・戦後の天皇ほどに位置付けが大きく変わったわけではない。天皇の位置付けを激変させた革命的改憲――本当に「国体」を護持できたかが論点になるほどの――を経てもなお大規模な即位儀礼を維持できている日本は、世界的にみればきわめて特異なのである。

 振り返ってみると、秋篠宮殿下の「身の丈」ご発言には、兄の門出に水を差したという批判も多く見受けられたが、欧州の即位儀礼がどうなっているかを知れば、納得できる人が増えるのではないだろうか。

 筆者は「御大典は明治天皇のご遺志に沿うように京都開催が望ましい」と大真面目に考えている程度には守旧的な人間であるから、即位儀礼の簡素化にはもちろん賛成できないが、縮小論が出てくること自体は至極当然な状況だとも思うのだ。

英国王室は戴冠式を維持できるか

 戴冠式を今日のヨーロッパで唯一保存できているイギリスだが、はたしてこれからもその伝統を維持していけるのだろうか。

 英国の戴冠式も、廃絶の危機が今まで皆無だったわけではない。一八三〇年に即位したウィリアム四世は、儀式を好まない性格から戴冠式をしないつもりだったそうだ。

 ウィリアム四世は臣下たちの懸命な説得を受けて式典を簡素化することで妥協し、これが現代の戴冠式にも大きな影響を及ぼしている。もしも彼が初志貫徹していたならば、今頃は英国ですらも戴冠式を廃止していたかもしれない。

イギリス王ウィリアム四世
(マーティン・アーチャー・シー画)

 かねてから「王室のスリム化」計画を温めてきたとされるチャールズ三世のもとで、所要時間を一時間ほども短縮し、参列者を四分の一に減らすなどして、英国の戴冠式はさらなる簡素化が進められた。

 各種報道によれば、次期国王となるであろうウィリアム王太子もまた王室の「現代化」を考えており、即位の暁にはもっとモダンな戴冠式にしたいと望んでいるという。

 逆に豪勢にすることは難しいご時世だから、代替わりを重ねるにつれてますます簡素化されていくに違いない。しまいにはどんな形の式典になってしまうのだろうか。

「あらゆるものを縮小し始めると、他のヨーロッパの君主国と同じように、縮小しすぎて無意味になってしまうだろう」

 エリザベス二世の国葬からまだ日が浅い頃にジャーナリストのピアーズ・モーガン氏が新国王の戴冠式についてそう懸念を示していたが、質素倹約を良しとする全世界的な風潮からすれば無理もない。

英若年層に広がる共和制支持者

 イギリスが戴冠式をやめるとすれば、まず考えられるのは儀礼縮小だが、最悪のシナリオも想像できる。すなわち、君主制そのものの廃止である。

「いずれこの世には五人の王しか残らなくなるだろう。イングランドの王、スペードの王、クラブの王、ハートの王、そしてダイヤの王である」

 一九四八年にエジプト国王ファールーク一世が残した有名な言葉だ。彼は世界の君主国の中でも英連合王国だけは安泰だろうと考えていたわけだが、しかし今日の英国王室には未来を楽観視できない不安要素がある。

チャールズ三世の戴冠式に際して「私の王ではない」と抗議する反王室デモ
©Alisdare Hickson(CC BY-SA 2.0

 英国では長らくどの年齢層においても君主制支持が多数派を占めていた。ところが、YouGov社による近年の世論調査によると、二十四歳までの若年層に限っては共和制支持者のほうが多くなったというのだ。

 二〇一三年には若年層でも君主制支持率が七十二%もあったのに、戴冠式直前の調査では、君主制支持者が三十六%にとどまったのに対して、四〇%が選挙による国家元首を支持した。

 全体での君主制支持率は六割を占めており依然として多数派だが、若年層の思想が変わらないまま世代交代が進めば、いずれは共和制支持者が多数派になってしまうかもしれない。

英国という仲間を失った時、日本人は変わらずにいられるのか

 今はイギリスという極めて頼もしい仲間がいるからいいけれども、もしもその英国からも戴冠式が失われてしまったら、「横並び主義」の傾向が強いとされる日本人は、伝統的な即位儀礼への態度をはたして変えずにいられるだろうか。

 元宮内庁掌典補の三木善明氏によれば、昭和天皇の大喪の時、装束を着用することに対して、ある宮内庁幹部が次のように述べて猛反対したという。

「大喪の儀は世界中に衛星中継される、そこに時代錯誤の装束姿が映ったら、日本の恥さらしだ」(『文藝春秋SPECIAL』二〇一七年季刊冬号)

 それを思えば、このように主張する人が増加することは想像に難くない。「こんな儀式、欧州ではとっくにやめたというのに。恥ずかしい、日本は『遅れた国』だとみなされる!」

 日本が今の形で即位儀礼を続けられるように、ぜひとも英国には現代版の「栄光ある孤立」をいつまでも保ってもらいたい。そのためにもチャールズ三世には、治世にふさわしく荘厳な戴冠式だったと回顧される立派な君主になってもらいたいものである。

没にした情報まとめ

戴冠した伯父、戴冠しなかった甥

 初稿の第一節とすべく書いたが、ビジネス誌にはそぐわないということで丸ごと置換する形になった部分である。


 一八〇四年十二月二日、フランス皇帝ナポレオン一世の戴冠式がパリのノートルダム大聖堂で挙行された。歴代のローマ皇帝は、ローマに赴いて教皇に戴冠してもらうのが習わしだったが、よく知られるようにナポレオン一世は教皇をパリに呼びつけて『シャルルマーニュの冠』を自身の手で戴いた。

 ナポレオン一世の戴冠式は、世界史上最も有名な戴冠式の一つとされる。そのワンシーンを描いたジャック=ルイ・ダヴィッドによる歴史画は、おそらく誰もが一度は教科書などで見たことがあるだろう。

ジャック=ルイ・ダヴィッド画『一八〇四年十二月二日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式』(ルーヴル美術館)

 それから約五十年後の一八五二年、甥のナポレオン三世が帝政復古を果たしたが、彼の戴冠式が伯父のように語られることはまずない。伯父に比べると知名度が低いからあまり話題にならない、といった理由ではない。彼はそもそも戴冠しなかったのだ。

 野村啓介『ナポレオン四代:二人のフランス皇帝と悲運の後継者たち』(中央公論新社、二〇一九年)によると、ナポレオン三世は伯父に倣った戴冠式を希望していたが、教皇側が見返りとしてフランス国内におけるカトリック教会の復権やローマでの戴冠を要求したので、やむなく挙行を断念したという。

 だが、ナポレオン三世はおそらく戴冠できなかったことをそれほど深刻に受け止めはしなかったのではないか。なぜならば、彼が即位した頃にはすでに、戴冠式という君主制の伝統はヨーロッパ中で過去のものになりつつあったからである――。

消えゆくヨーロッパの戴冠式(過去編)

 この節では戴冠式の経験がない国について触れたが、完成稿では文字数上の制約から、文中にあるように「現存する国」に限定せざるをえなかった。

 比較的新しい王国には、戴冠式を挙げたことがない国が珍しくない。現存する国としては、十九世紀に建国されたオランダとベルギーがそうだ。

 しかし草稿では、すでに消滅してしまった君主国についても、ほんの少しだけ記載してあった。元々の記述はもはや残っていないが、記憶を頼りに概要だけ書いておく。


 神聖ローマ皇帝の位を事実上世襲してきたハプスブルク家(ハプスブルク=ロートリンゲン家)は、一八〇四年に「オーストリア皇帝」という新しい称号を発明した後、ハンガリーなどの国王として戴冠することはあっても、オーストリア皇帝としての戴冠式はおこなわなかった。

 谷口健治『神聖ローマ皇帝の即位儀礼』(大垣書店、二〇二三年)によれば、神聖ローマ皇帝としての豪華な戴冠式を経験してきたにもかかわらず。

 一八〇六年に成立したバイエルン王国では、初代国王マクリミリアン一世の治世下において王冠が制作され、一九一八年のドイツ革命による王国終焉までに六人の王が君臨したが、歴代国王の誰一人として戴冠はしなかった。

バイエルンの王冠。『世界のクラウンジュエル』(パイ インターナショナル、二〇二〇年)曰く、「王国成立時に併合した近隣の領土の反感を考慮し、戴冠式は行われず、その後もバイエルン王が公式の場で王冠を着用することはできなかった」。

 十九世紀に建国された比較的新しい君主国で、戴冠式を挙行していない国としては、ギリシャ王国やイタリア王国、ドイツ帝国やブルガリア王国、ユーゴスラヴィア王国などが他にある。新国家で戴冠式を導入して数代続けていたのはルーマニア王国くらいだろうか。

 わざわざ説明するまでもないと思ったことだが、戴冠式をしない傾向は、君主制国家がまだヨーロッパにおいて圧倒的多数派だった第一次世界大戦前からあったものなのである。

賓客を招かなくなったタイの戴冠式

 ヨーロッパにしか触れなかったのは、歴史的に日本皇室(宮内庁)が海外を参考にしようとした時、その対象は圧倒的に欧州の君主制だったからだ。地域を欧州に限定しなければ、即位儀礼の規模縮小例の一つとして、さらにタイ国王の戴冠式を挙げることができた。


戴冠式に際してのラーマ六世の写真

 一九一一年に挙行されたラーマ六世の戴冠式には、世界各国からの賓客が参列した。

各国ともに御名代、又は大使を遣はさるるが、其中でも、英、露、瑞典スウェーデン丁抹デンマーク、及び我日本の五ヶ国は特に皇族を差遣さけんされたのである。尤も此皇族の席次に就ては、暹羅シャム国も余程苦心したものと見えて式の始まる前数日に至ってようやくく発表された。即ち第一が瑞典、第二が丁抹、第三が露西亜、第四が日本、第五が英吉利である。この定め方に就ては、元首と其名代との続き柄の如何いかんを調査して決定されたものださうで、即ち現今の元首に最も近き血統の方を上位に、又最も遠い方を下位に列することを原則とした模様である。

日置黙仙『南国順礼記』(平和書院、大正五年)一六六ページ。

 貴種としては、デンマークのヴァルデマー王子、スウェーデンのヴィルヘルム王子、ロシアのボリス大公、日本の伏見宮博恭王(※当時は父宮がご存命ゆえにまだ「伏見若宮」)、イギリスのアスローン伯爵アレクサンダーらが名を連ねた。

 ところが二〇一九年のラーマ十世の戴冠式は、盛大でありながら国外からの賓客は招かない方針で挙行された。伝えられるところでは、秋篠宮殿下は戴冠式ご出席に意欲を示しておられたそうだが、そんな事情から参列なさることはなかった。

保守派の「即位礼・大嘗祭」への不満とは何か

 完成稿には次のように書いた。

 伝統主義者の間には、日本国憲法の制定により即位礼・大嘗祭にさまざまな変更が加えられたこと――たとえば政教分離への配慮のために即位礼の神話的要素が薄められた点――に対する不満がある。

 伝統主義者が現在の「即位礼・大嘗祭」に不満を抱いていると述べたが、薄められた「即位礼の神話的要素」とはいったい何なのか。具体的なことは何も言っていないに等しいので、そんな疑問に答えねばなるまい。

 一例を挙げると、保守系の外交評論家として知られた加瀬英明氏が『私の日本外交危機白書:アメリカはふたたび日本を敵とするか!?』(学習研究社、一九九一年)の中にこう書いている。

「即位礼正殿の儀に当たって、大錦幡から金鵄と八咫烏が消えてしまったのは残念なことだった。何でも、日本神話と関わっているので抹消されてしまったそうである。天皇がお言葉の中で皇祖皇霊にお触れになることがなかったのは、あまりにもお痛ましく、暗澹たる想いがした」

 大錦幡から消えてしまった「金鵄と八咫烏」とは、これのことである。

『昭和大礼写真帖』(内閣官房大礼使、一九三〇年)より。

 大嘗祭については、大嘗宮の一部建物がプレハブ建築にされたことが挙げられよう。たとえば、旧宮家末裔として言論活動をおこなっている竹田恒泰氏が次のように述べている。

今回は一ミリどころか、大幅に伝統が捻じ曲げられた。例えば、伝統的には「譲位」とすべきところ、「退位」と「即位」に分離された結果、三種の神器が渡御することの意味合いが隠されてしまったこと、元号が代替わり前に公表されたこと、「太上天皇」を正式名称とせず「上皇」という略称が正式名称にされてしまったこと、大嘗祭の建物が一部プレハブにされたことなど、枚挙に遑が無い。

竹田恒泰『天皇は「元首」である』(産経新聞出版、二〇一九年)

イギリス王ウィリアム四世の逸話

 イギリス王ウィリアム四世――黄金時代の大英帝国の象徴として知られるあのヴィクトリア女王の伯父――が、儀式を好まない生来の性格から戴冠式をしないつもりだったことは、完成稿の中で触れた通りである。

 彼についてはそれほど多くを語らなかったが、戴冠式を拒否しようとしたことに関するものとしては、次のようなエピソードもあるようだ。

イギリス王ウィリアム四世
(マーティン・アーチャー・シー画)

 一八三一年、庶民院解散に立ち合った時のことである。長兄ジョージ四世の崩御を受けて即位したばかりのウィリアム四世は、更衣室で王冠を掴んで頭上に戴き、首相のチャールズ・グレイ伯爵にこう言ったという。

「ほら見ろ! 戴冠式は済んだぞ(There! The coronation is over.)」

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