[超短編小説] 月が沈む夜に
俺の彼女は少し面倒だ。
初めのうちは可愛くて、甘えてくる彼女に癒されていた。
しかし時間が経つにつれ束縛が激しくなり、いつしか会社の同僚に癒しを求めるようになっていった。
そんなことにも気づかず、一途な彼女からの愛は増すばかりだ。
いつ別れを切り出そうかと毎日のように考えるが、いざとなると難しく週末だけは仕方なく彼女に付き合っていた。
そんなある日、いつものように同僚を家に呼んで夕食を楽しんでいる時だった。
ピンポーンとチャイムが鳴った。
玄関へ行き、覗き穴を覗くと彼女が立っていた。
「まずい、バレたか」と思いながらも平然を装い
「どうしたの?今日は平日でしょ?今同僚が来てて…」と言い訳がましく一気に伝える。
すると「そうなの、じゃあ帰るね」とあっさり帰っていったのでなんだか拍子抜けした。
「誰だったの?もしかして例の彼女?」
部屋に戻った俺に同僚が声を掛ける。
「そう、いつも週末に会う約束なんだけど…」
「本当、早く別れなよ。彼女かわいそうでしょ」
「うん、近いうちに言うよ…」
次の日、彼女から「次の週末は遠出をして、このホテルに泊まろう」というメッセージと共に写真が届く。
この後に及んで旅行なんてと思い「仕事も忙しくて疲れてるし、近場にしない?」と返信したものの、少し考え直した。
昨日のこともあるし、彼女にバレていないとも限らない。
「まあ、たまにはいいかもな。行こうか」
面倒なことになる前に別れを告げる。
その為の最後の旅行にしよう。
「おい聞いたぞ。やっと別れる決心ついたんだってな」
ニヤニヤしながら噂好きの同期が話しかけてきた。
「誰から聞いたんだか。相変わらず情報早いな」
「まあね」嫌味で言ったのに何故か胸を張っている。
「でも最後に旅行なんて面倒じゃない?」
「それはそうなんだけど…それ以上に彼女が面倒だからさ…」
「モテる男も大変だねえ。じゃあな、そろそろ行くよ」
自分の言いたいことだけ言って、逃げるように去っていった。
週末、彼女が予約していたホテルに着いた俺はここに入ってもいいものかと戸惑った。
これは本当にホテルなのか?
アパートのような外観で、ホテルの名が記されているであろう場所には錆だけが残っていた。
「なあ、ここが予約してた宿か?」
「うん。思ったよりもいいところでしょ?ていうか宿って、おじいちゃんみたいな言い方しないでよ。ホテルだよ」
ホテル…宿というのも烏滸がましいくらいだ。
中に入るとなんだかじめじめとしており、たとえ一泊でもこの黴臭さが体に染み付いてしまうのではないかと思った。
彼女をチラリと横目で見るが、気にする様子もなくチェックインを済ませていた。
面倒な彼女と辛気臭い宿。
最悪の週末だ。
ホテルの夕食は、海が近いので海鮮がメインだった。
味はかなり普通で、魚介の新鮮さは感じられず「不味くはない」という程度だった。
その後、彼女が星を見たいというので一緒に敷地内にある展望スペースに行った。
冬だし、海の側だし、凍えるような寒さで今すぐ布団に入りたい気持ちだった。
彼女は「綺麗だね」とかなんとか言うので適当に相槌を打ちながら、宿へと来た道を戻り始めた。
「折角だし私ここでちょっと星見てから戻るね」
途中の駐車場で彼女は足を止めた。
「分かった。暗いし気をつけてね」
俺は一刻も早く部屋に戻りたかったため、不気味な夜の闇に消えていく彼女を見送ることもせず、すぐに背を向け歩き出した。
翌朝、隣のベッドに彼女がいないことに気づいたが、荷物はそのままだし朝風呂にでも行っているのだと思った。
かなり待ったがなかなか戻ってこないので女風呂の前まで行くが、もちろん入ることはできない。
ロビーへ行き、スタッフに中を確認してもらうが、今は誰も使用していないという。
では彼女はどこへ…?
荷物を置いて先に帰ったのか?
昨日の展望台まで行ってみたがもちろん誰もおらず、どうしていいか分からなくなった俺はスタッフに事情を話し、宿内を探してもらうことにした。
こんなに小さい宿だ、すぐに見つかるだろうと思っていたが彼女は見つからない。
不審に思ったスタッフが近くの交番に連絡をしてくれた。
すぐに来た警官は周辺を探してくれるようだ。
とりあえず俺は荷物をまとめ、小さなロビーの硬い椅子に座って待っていた。
「大変だ…駐車場の崖の下…あんたの彼女かもしれん…」
かなり慌てた様子で駆け込んできた警官は思いもよらないことを口にした。
すぐに電話で近くの警察署に連絡をし、応援を要請したようだった。
「えっと、どういうことですか」
俺はまだ状況が飲み込めずにいた。
「落ち着いて聞いてくれよ。駐車場の奥に崖があるんだけどね、その崖の下の岩場に…多分もうダメだろう…」
俺は目の前が真っ白になった。
嘘だろ?あいつが?
やはり浮気に気づいて自殺を?
「失礼します。警察署から来ました。現場はどこですか?」
パトカーで来たのだろうが、混乱していたからかサイレンは聞こえなかった。
「こちらです」とそのまま警官たちはまた外へ出ていった。
数分後ロビーに戻ってきた警官が「あなたが一緒に来てた人?一応あの女性が彼女かどうか確認してもらってもいいかな」というので警官の後を重い気持ちで着いて行った。
「引き上げるの時間かかるから、ここから遠いけど確認できそう?足元、気をつけて覗き込める?」
「はい」と言い意を決して覗き込む。
そこには赤いコートに包まれた女がいた。
うつ伏せの状態で岩に引っ掛かり、
髪は海の波により何か不気味な生き物のように蠢いている。
手足は明らかにおかしな方向を向き、
捲れたコートの裾からは蝋のような脚がのぞいている。
彼女に間違いなかった。
「彼女で、間違いないです」
なんだか胃のあたりがムカムカする。
と思った瞬間、俺は込み上げるものを抑えきれずにその場にうずくまっていた。
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彼はとても良い人で、大好きだった。
結婚を考えるほどの人だった。
同棲をしたかったが、そこは意見の違いで、できなかった。でも私は満足だった。
週末には必ず彼の家でお泊まりをし、とても寂しいが平日には自宅へ帰るのだ。
一緒にいない日には必ず電話をし、日中にもメッセージは送っていた。
ある日私はサプライズをしようと、平日に彼の家へ行った。
寒い日だったので暖かい鍋でもしようと、野菜やお肉を買った。
合鍵はもらっていないのでチャイムを押す。
ちょっとして出てきた彼は焦った様子で
「どうしたの?今日は平日でしょ?今同僚が来てて…」
というので大人しく帰ることにした。
執拗な女は嫌われる。
一人で鍋をするのも寂しいので、帰りにコンビニで何か食べるものを買って帰宅する。
その日は夜に電話をしたが繋がらず、少し悲しい気持ちになりながら眠りについた。
次の週末は私の希望で少し遠出をし、星が綺麗なことで有名な地にホテルをとった。
彼は「仕事が忙しいから近場がいい」と言ったものの少ししてから「たまには」と承諾してくれた。
私はとても楽しみだった。
彼とは初めての旅行だったし、こんなに素敵なことは一生記憶に残るだろうから。
そこは海の近くに立つホテルだった。
部屋や食事、ホテル自体もどこか古めかしく、黴臭い印象だったがそれでも問題はなかった。
なんと言っても一番の魅力は星空なのだから。
敷地内には展望スペースがあり、周囲より少し小高い丘にベンチが据えられている。
夕食を済ませた私と彼はその展望スペースに行くことにした。
テーブルに彼の腕時計が置いたままだったので、それを手に取り部屋を後にした。
「綺麗だったね」
「そうだね。こんなに星見たのいつぶりだろう」
ホテルに戻る前に駐車場を通るのだが、そこから見える星空と海もまた美しく、私は心に決めていた。
「折角だし私ここでちょっと星見てから戻るね」
「分かった。暗いし気をつけてね」
本当はここでも一緒に見たかったのだが仕方がない。
今日ばかりはむしろ好都合だ。
少し奥へ行くと、そこはとても暗かった。
世界には私しかいないのではないかと思えるほどに静かで、心地よかった。
星以外の明かりは何もなく、
星の輝きを邪魔する月は今は雲に沈んでいた。
目線を少し下に向けると、
海に反射した星がキラキラと輝いていた。
辺り一面、そこは空だった。
「私の最期にはとっておきだわ」
私はそう呟き、申し訳程度の低い柵を越えた。
そして、コートのポケットから取り出した彼の腕時計を地面にそっと置く。
「揉み合った末に外れてしまったように見えるかしら?」
「ふふっ」と笑みをこぼし、暗く深い空へ落ちていった。
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「そういえば、この近くでなんか事件あったらしいね」
「ああ、カップルの痴話喧嘩的なやつだっけ」
「あ、このニュースじゃない?」
「現場には交際中の男性のものと思われる腕時計が残されており、なんらかのトラブルがあったとみて警察は事件と事故の両面で捜査を進めています」
小さな食堂のテレビからは淡々とニュースが流れている。
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