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[超短編小説] 正義


「お前、おかしいよ」
そう言われたのはいつだったか。

学生の頃は友達付き合いもちゃんとやっていたし、恋人だっていた。
いつからだろう、こんな人間以下の生活を送るようになったのは。

「そうか、あいつの言葉が俺をこんなふうにしたんだ」
そう気付いた俺はいてもたってもいられなくなり
ボロボロになった、本来は白であったはずの黒ずんだグレーのスニーカーを引っ掛け家から飛び出した。

居場所はもちろん連絡先すら分からない。
こんな俺に探すアテや頼れる友人もなく
「はあ、とりあえずコンビニ寄って酒でも買って帰るか…」と一人呟いた俺は、ポケットに手を突っ込み歩き始めた。


「ねえ、アイスでも買って帰る?」
「そうだね、今日も暑いしなあ」
「ねねもあいすたべる!」店の前で、何とも仲睦まじい家族と遭遇した。

「こっちは独り酒だってのに、嫌なタイミングで家族連れと会っちまったな」なんて思いつつ、レジに酒を持って行こうとすると例の家族とこれまたタイミングが被ってしまった。
「あ、先どうぞ」
向こうが譲ってくれたので「ど、どうも…」と小さく呟き、相手の顔を見た。
「えっ…」
「どうかしましたか?」
「いえ、何も…」
とにかく俺は焦りながらもなんとか会計を済ませ、店を後にした。

「あいつだ」
あいつが俺に言ったんだ。
そのせいで俺はこんなことに…。
さっきは驚きですぐに店を出てしまったが、冷静になるとチャンスだったのではないかと後悔し始めた。
「クソっ、後を追ってれば住所が分かったのに…いや、ちょっと待てよ」あいつらはアイスを買ってた。しかもこんなクソ暑い日に、だ。
「ということはこの近くなのか…」

俺は次の日、バイト先に「辞める」と電話した。
連絡をせずに飛ぶことも考えたが、まあ長い間お世話になったところだ。
「これでやるべきことは済んだ。あいつの苗字は覚えてる」
またあのグレーのスニーカーを履き家を出た。
昨日とは違い冷静だし、鞄もしっかり持っている。

その日は一日曇り空で歩き回っていても暑すぎず、過ごしやすかった。
「神様は誰が正しいのかちゃんと分かってるようだな」

この辺りは住宅街で、家族連れから学生の一人暮らしまで様々な層が住んでいる。
実家からそう遠くないこの街に引っ越してきたのは何年前のことだろう…。
市街地までは電車で三十分という立地のため、物件によってはかなりの低価格で住むことができた。
アルバイトの給料でギリギリの俺にとってはここ以外の選択肢はなかった。
もちろん実家に残る選択肢もあったのだが、どうしても親の目が耐えられなかった。

「そういや実家にも帰ってなかったな…」
なんてぼやきながら住宅街を歩いていると、ある一軒家が目に止まった。
古い木造の家や今にも倒れそうなアパートが立ち並ぶ中、おしゃれで西洋風なその家はとても目立っていた。

「あった…」
あいつは昔からそうだった。
いつもクラスの中心で、目立つことが何よりも大好きだった。
表札を見なくてもそうだとわかるほどに、俺はあいつのことを知っていた。

「人の人生を踏み躙っておいて、こんな家に家族仲良く暮らしてるのかよ。俺にしたことなんて覚えてないどころか、俺のことすら覚えてはないんだろうな」

チャイムを鳴らすと「はい」と女が答えた。
「あ、あの、こちらのご主人の友人なのですが、以前借りていたものを返しに伺いました」
「えーっとどちら様でしょう?主人は今おりませんが…」
明らかに不審がっているのでなんとか明るい声を作り
「すみません。山田と申します。高校時代の友人でして、今日伺うと連絡していたのですが。聞いていませんかね」
もちろん嘘だ。名前も、連絡のことも。
唯一、高校時代の友人というのは間違いではないだろう。

「聞いてないですが、せっかく来ていただいたので」ということで中に入れてもらうことになった。
ドアが開き、昨晩あいつと一緒にいた女だと確信した俺は
「すみません、玄関で大丈夫です」と言い鞄に手を入れた。
「え、それは?」
「昔、あいつに借りてた漫画です。こんなに経ってしまって…返しそびれちゃったんですよね」
学生時代に借りた漫画一冊のためにわざわざ自宅まで訪れた俺を不審がるようだったが
「ありがとうございます。主人に渡しておきます」と言い俺の次の動きに注意しているようだった。
「では僕はこれで失礼します。ご主人によろしくお伝えください」
「あ、はい。また主人のいる時に遊びに来てくださいね」とホッとした様子で見送られた。


「ねえ、今日の昼過ぎに、高校時代のお友達の山田さんが来たよ」
「山田…誰だったかな。で、何しに?」
「これ、漫画返しに。わざわざ」
「うわあ、懐かしいなあ。いろんな人に貸してたから覚えてないや」
「まあなんでもいいけど、一言言っといてよね。不審者かと思ったんだから」
「ごめんごめん」と笑いながら答えたが少し違和感を覚えた。
「明日も早いんでしょ?早く食べて寝なよ」
「うん、ありがと」
その日は疲れていたこともあり、そんなやりとりも忘れすぐに眠りについた。

翌日もいつも通り出社し、仕事をしていた。
そこでふと「棚川…そうだ最後に漫画を貸したのはあいつだった…」
急に高校時代のことを思い出した。

あいつとは高校生になって出会った。
気も合うしいいやつですぐに仲良くなり、学校でも学校外でも遊ぶようになった。
しかしそれは初めだけだった。
ある時、好きなアイドルの話になり「え、お前おかしいよ。絶対ゆうちゃんだって」俺が言った瞬間だった。
あいつは顔を真っ赤にし「おい、なんて言った。今なんて言ったんだ!」と俺に殴りかかってきたのだ。

後から、同じ中学だったやつに話を聞くと、昔から「変だ」「おかしい」と言われるとこうなるのだそうだ。
たとえ話の流れで、本人を馬鹿にしたものでなくても。
それに、何故か「優しい」という言葉に執着があるらしく「優しいね」などと言われると妙に喜ぶのだという。
そんなことがあり、俺はあいつとの関わりを減らしていった。
それと共にあいつ自身も周りから孤立していったのだった。

「なんで今更あいつが…」

嫌な予感がした。
席を立ち、妻に電話をかけるが出ない。
とりあえず「昨日の山田が来ても絶対にドアを開けるなよ」とメールをし、早退のため上司に声をかけた。

駅から走って家の前に着くが何も変わったところはない。
少し安心して鍵を開ける。戸締りも大丈夫そうだ。

「ただいま。早退してきたんだ」
いつものように「おかえり」の声がない。
胸が激しく波打つ。
思い切ってリビングのドアを開けるとそこは血の海だった。
綺麗に広がった血の真ん中に小さな娘を庇うように妻が倒れていた。




「お前も愛する家族の元にすぐ送るよ。だって俺、優しいもんな」
背後でそう声が聞こえた。











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